婚約者の語尾が大変なことになった件

焦田シューマイ

第1話



 昔から、魔術師と騎士は相性最悪だと相場が決まっている。

 優れた頭脳と知識を武器に、優雅に戦う魔術師。一方、勇気という名の無謀を振りかざし、剣を片手に暴れ回る粗野な騎士。この対極に位置する存在とも言える2つが、相入れるはずがないのだ。


 ……だというのに。どういうわけか、目の前にいる騎士・オルベルトはこの私——魔術師アトレイアの婚約者ということになっている。それも、もう六年も前から!


「あら、オルベルト部隊長ではありませんか。今日はどのような御用でいらしたのですか?」

「……」


 アポイントメントもなく私の工房に押しかけて来たオルベルトは、こちらの問いに答えることなく、渋い顔で両腕を組んだ。


 その背後で、弟子のティジレが気まずそうに頬を掻く。


「こちらにいらしてから、ずっとこんなご様子でして」

「だからって、こんなお邪魔なオブジェを師の部屋に置くんじゃありません。ほら、さっさと騎士団本部に戻して来なさい」

「でも、これを」


 ティジレは私に紙切れを差し出してくる。

 紙には『至急アトレイアに面会したい。案内を頼む』と書かれていた。この几帳面で面白みのない文字は、オルベルトのものだ。文の末尾には、何か文字をインクで塗りつぶしたような跡がある。書き損じをごまかしたのだろうか。こういう場合、違う紙に書き直すのが礼儀でしょうに。


 ああ、これだから野蛮な騎士は嫌なのよ。そう忌々しく思いながらも、心の広い私はオブジェに向かって微笑んでみせた。


「私に面会をご希望とは、一体どんな風の吹きまわしですか? お熱があるのなら、ここではなく診療所の受診をお勧めしますよ」

「……」

「もしかして、喉が腫れて声が出ないのかしら。これは大変。さっさと医者に——」


 オルベルトは急にこちらを睨みつけた。そして懐からメモを取り出すと、さらさらと何かを書き始める。

 そして先ほどと同じ紙切れを、私に向かって突き出した。


『大事な話がある。ティジレを外してくれ』

「……」


 また末尾に、塗りつぶしの跡。

「これ、何かのゲームですか?」と訊ねてみても、何の答えも返ってこない。

 私は受け取った紙とぶすっとおし黙るオルベルトを交互に見て、最後に深くため息をついた。


「ティジレ。ちょっと席を外してくれる?」

「はい、ただちに!」


 ずっと退出する機会を伺っていたらしい。ティジレは元気良く答えると、小さな体を翻して部屋をパタパタと飛び出て行った。


「……」


 外せというからティジレを部屋から出したのに、オルベルトはまだ黙ったままだ。

 普段から何も言わずに不機嫌そうにすることが多い彼だけど、今日は特にひどい。筋肉ばかり育て過ぎて、人の言葉を忘れてしまったのだろうか。


 この寡黙っぷりを精悍だとか漢らしいと褒めそやす婦女子は結構な数いるけれど、彼女たちの考えがまるで理解できない。

 いくら顔や出自が良かろうと、喋らず動かぬ婚約者など、ただの岩も同然だ。


「いい加減にして下さい。こちらも暇ではないのです。そこに黙って座っているだけなら、騎士団に連絡して引き取りを要請しますよ。今日は非番じゃないでしょう。こんなところで分隊長殿が油を売っているなんて、バレてもいいのですか」

「……」


 オルベルトの顔が更に険しくなった。一般人であれば震え上がるような凶悪な顔面だけど、6年間婚約者をやっている私にはまるで通用しない。逆に睨み返してやると、オルベルトは気まずそうに目を伏せた。

 ふっ。勝った。


「……驚く……ゃよ」


 初めてオルベルトが口を開いた。けれど、声が妙に小さい。


「いいから、早く要件を」

「むぅ……」


 急かすと、彼は口を開きかけて、また閉じた。ああもう、イライラする。

 しかしとうとう意を決したようで、オルベルトは突然ぺらぺらと低音で捲し立てた。


「……実は今日の朝からおかしな現象に見舞われて非常に難儀しているのだが、どうも魔術関連の問題らしく、専門家に解決を依頼したいと考えた——のだが、これが非常に奇怪かつ珍妙なもので、無闇に他人へ言いふらすわけにもいかず、まあ身内と言えなくもないお前になら相談しても角が立たないだろうと考えここへ来た——のだが」


 やたら台詞に「のだが」が多いのだが?


「正直なところお前に解決できる案件かも分からないし、これが本当に魔術であるのかも分からないし、俺のキャリアに影響しかねない問題であるから、是非ともこのことは内密にしてもらいたい——のだが」

「のだが、はもう結構です。回りくどい口上はやめて、さっさと本題に入って頂けません?」

「にゃん」

「は?」


 気のせいだろうか。今、すごく不細工な野良猫の鳴き声が聞こえたような気がする。

 しかも、目の前の男の口から。


「お、オルベルト。どうしたんですか? もしかして舌を噛んだんですか?」


 オルベルトは首を振る。そして自嘲気味に笑みを漏らした。

 

「朝起きたら、こうなっていたにゃ。どうやら俺は……語尾に“にゃん”がつく呪いにかかってしまったらしいにゃん」

「うぐぅっ!」


 呪詛のように発せられた“にゃん”に、私は頭を横殴りされた。

 何? 今のは、何?


「悪い病気かとも思ったが、何を試しても気味の悪い語尾が消えないにゃん。力を貸してくれにゃん」

「おおふっ」


 きゅるきゅると音を立てて私の精神力が失われていく。まさかのクリティカルヒットに、ついつい下品な悲鳴をあげてしまった。


 これはひどい、耐えられない。私の負けだ、認めよう。


「参りました。貴方の勝ちです、オルベルト。降参するので、どうかその気色の悪いお芝居をやめて下さい」

「芝居じゃないにゃん」

「……ッッ」


 あまりの破壊力に、私はもんどり打ちそうになる体を抑えて唇を噛んだ。あ、血が出て来た。


 私は夢を見ているのだろうか。それならさっさと覚めてほしい。

 けれど噛み切った唇の痛みは本物で、これは現実であるということを思い知らされる。


「……呪い? 本当に呪いなんですか……?」


 オルベルトは重々しく頷いた。残念なことに、そこに私を痛めつけてやろうという意思や、冗談の色は見えなかった。


「昨日異端魔術師と交戦した際に、妙な術をかけられてにゃ。奴は俺に呪いをかけたと言っていたが、特に体調に変化はなかったので様子をみていたのにゃ。……だが、朝起きたらこの通り語尾に忌々しい響きが加わるようになっていたにゃん……」

「えっと……普通に我慢できないんですか、それ」

「できたら苦労しないにゃ! 俺が好き好んでにゃんにゃん言っていると思うかにゃん? それも、よりによってお前の前で、にゃん!」


 ほわぁ、壮絶ぅ。

 婚約者の口から発せられるにゃんにゃんラッシュに、私はめまいを禁じ得ない。


 自然と頭が下がり、懇願の言葉が口をついた。

 

「ごめんなさい、愚問でした。謝りますので言葉数少なめにお願いします」

「ううっ……」


 オルベルトは口を閉じた。

 普段は黙れと言うほど口数を多くして癪に障ることを言うくせに。その素直さが、彼の追い詰められっぷりを体現していた。


 どうやら呪いは本物のようだ。

 信じがたいけれど、オルベルトはこんな捨て身の冗談を口にするような人ではない。それだけは断言できる。


 でも、語尾ににゃんがつくなんてふざけた呪い、聞いたことがない。死の呪いだとか、魔力を封じる呪いだとかは比較的よく知られているけれど……。

 呪いの考案者の悪意と飛び抜けたセンスに、感心すらしてしまう。一体どういった機序で呪いの対象ににゃんと言わせているのか。そもそもこれは、語尾ににゃんと言わせるだけの呪いなのか——


 そこまで考えて、私はふと先ほど彼に渡されたメモを思い出した。


「もしかして。さっきから貴方のメモに、妙に書き損じの誤魔化しが多いと思っていたのですが、これは……」

「そうにゃ。これは俺が書く文章の末尾にもにゃんを強制的につけてしまう呪いらしいにゃん。だから、文字を書く度ににゃんの文字を消していたにゃん」


 言いながら、オルベルトはまたメモに文字を書き込んで、私に手渡した。


『まるで地獄にゃん』


 彼の悲痛な叫びが、シンプルな一文に込められていた。


「なんって凶悪な……」

「気色が悪いということは、承知しているにゃん。お前に相談していいものか、随分迷ったが、にゃん……」


 不自然ににゃんが付け加えられる。どうやら言葉を切るだけでもにゃんが出てしまうらしい。

 だから、話し始めのとき、あんなに「のだが」を多用して、言葉を繋げようとしていたのか。


「そうだ。呪いをかけてきたという魔術師はどうなったのですか」

「あんな雑魚、すぐに捕縛したにゃ」

「なら、そいつに呪いを解くようこっそり頼めばいいじゃないですか。どうして私に助けを求めるんです」

「そんなこと、もう試したにゃ」

「……それで?」

「笑われたにゃん」


 かっ……かわいそう。


「奴としては、己を捕らえた忌々しい男の醜態を見て胸がすく思いだったろうにゃ。絶対に呪いを外さないと宣言されたにゃん」

「脅したり、交渉したりは……」


 言いかけて私は言葉を切る。そんな法に抵触するような真似、真面目の塊みたいなオルベルトにできるわけがない。だから私の元へやって来たのだ。


 同僚に救いを求めることもできなかっただろう。うっかり仲間に「助けてくれにゃん」なんて言って回ったら、騎士団部隊長殿の威厳は光の速さで地に落ちる。


 迂闊に言葉を発せない、字も書けない、人に相談できない。色々なことが、にゃんという語尾のためだけに制限されていく。やはりこれはとんでもない呪いだ。


「……お前が案外冷静に対応してくれたことには感謝しているにゃん。てっきり、ひどく馬鹿にされるか大笑いされるものと思っていたにゃん」

「この惨状を笑えるほどの余裕、私にはありません」


 きっぱり言うと、オルベルトは大きな体をしゅんと縮こまらせた。

 いつも無駄に場所をとると思っていた彼の巨躯が、今はひどく小さく見える。


 何かと憎らしいことばかり口にする男だけれど、その哀愁漂う姿に、流石の私も憐れみを感じずにはいられなかった。


「仕方ありません。親が勝手に決めたこととはいえ、貴方は私の婚約者。見捨てるわけにもいきませんし、大変不本意ではありますが、ここは協力してあげましょう」

「……恩に着るにゃん」


 調子狂うなあ、もう。

 こちらの嫌味に感謝を返す彼を横目で見ながら、私は書架から“古代魔術大全”と表紙に書かれた本を取り出した。

 小さく詠唱して表紙に触れると、本は独りでに目的のページをぱらぱらと開く。


『呪い:第四級禁忌指定魔術。

 呪いとは、対象に不利益な効果をもたらすことを目的とした古代魔術の一つ。術式を介した魔法効果と異なり術者の感情など不特定要素によって構成されるため、解呪が困難であることが広く知られている。

 解呪方法については下記参照。

1、術者が解呪する

2、術者を殺害する(殺害によって強力な呪いに転じることもあるため注意)

3、対象に異なる魔法効果を付与することで、呪いの魔力を打ち消す(相乗効果でより呪いが増悪した事例があるため注意)

4、呪いの効果が減弱するのを待つ(消えることも稀にある)

 お伽話でしばしば見られる「呪いを解く白馬の王子・美しい姫君のキス」は、呪いが感情面に大きく影響されることや、古来より王族が高い魔力を保有していることに由来していると考えられている。実際の効果についての検証報告はない。』


 ……見事に有益な情報が一つもない。


「ここにある中では、この本が一番呪いに詳しい書物なのですが。禁忌指定されているせいで、一般書には大した情報が載っていませんね」

「ではどうするにゃ」

「魔術院に相談しましょう。正当な理由があれば、禁書庫への立ち入りが許されます。呪いの説明はしなければなりませんが、上手くいけば詳しい人に相談もできるかも」

「そうかにゃん。では早速――」

「まずは禁書庫使用申請を出しましょう。通常一ヶ月はかかりますが、私のコネを使えば一週間程度で申請が通るはず。その間に呪いに詳しい魔術師を探せばそう時間をかけずに解呪の手筈を整えられるはずです」

「……そんなにかかるのかにゃん」


 期待に満ちていたオルベルトの瞳が、明からさまに沈んでいく。


「三日後には大事な任務があるのだがにゃん」

「任務なんて言っている場合じゃないでしょう。ご自身の名誉と任務、どちらが大切なのですか」


「しかしにゃん」ともぞもぞ言いながら、オルベルトは眉間に皺を寄せる。

 なんでも三日後、都の郊外で騎士団による大規模な魔獣討伐作戦が行われるらしい。部隊長である彼も、その作戦では多くの騎士を指揮して戦わないといけないのだという。


「俺には団員の命を預かるという重大な責任があってだにゃ。己の勝手な都合で任務に穴を空けることなどできないのにゃん」

「他に方法がないのです。それに、呪いを抱えたまま任務に参加するわけにもいかないでしょう。貴方の部下たちだって、信頼する上司が語尾ににゃんをつけて話す様など見たくないはず。戦闘中上司に『突撃にゃん!』なんて言われたら、何人か命を落としかねませんよ」

「……」

「責任ばかりを考えて、自分を蔑ろにしてはいけません。ここは任務を休んで解呪に専念すべきです。大丈夫、貴方はこれまで騎士の仕事に多くのものを捧げてきました。ちょっとくらい長いお休みを貰ったって、貴方のことを責められる人などいやしませんよ」


 優しい言葉がすらすらと出てきて、自分で少しびっくりしてしまう。しかし、両腕を組んで項垂れるオルベルトの姿を見ると、そう言わずにはいられなかった。


 オルベルトはしばらく考え込んで、唸るようなため息をつく。

 私だって、気色悪い呪いをかけられて仕事に支障をきたすような事態になったら、きっとひどく思い悩むだろう。彼のことは気に入らないが、今のこの状況には同情を禁じ得ない。

 そう考えて、オルベルトの返答を辛抱強く待っていると、彼はぽつりと呟くように言った。


「……最後のそれは、どうなのにゃ」

「何がですか?」

「その本の説明にある、最後の……にゃん」

「……」


 あえて触れないでおいた話題を引っ張り出す空気の読めない婚約者に、私は努めて冷たい視線を投げかけた。

 優しい気持ちが瞬時に薄れてくる。


「白馬の王子さま、もしくは美しい姫君のキスですか? 貴方、やんごとなき方々から唇を賜われるような伝手をお持ちなのですか?」

「いや、伝手はないが、にゃん」


 この国にも王子殿下と王女殿下はいらっしゃる。ちなみに両殿下は、それぞれ御年十歳と十二歳。オルベルトなら両殿下に拝謁するくらいは可能かもしれないが、幼き高貴な方々に接吻を求めれば、色々な意味でただでは済まなくなる。


「馬鹿馬鹿しい。だいたい、呪いがキスで解けるという話自体がおかしいんですよ。呪術も魔術の一種です。魔力による強制力が、キスで綺麗さっぱりなくなるなんて、意味がわかりません」

「だが検証はまだされていないと書かれているにゃん」

「呪いの症例自体が少ないし、結果が分かりきっているから誰も検証しなかっただけですよ。……とにかく、王子王女から接吻を賜われない以上、こんな方法について論じても時間の無駄です。いい加減、うだうだ悩むのはやめてさっき言った通りの方法で対処しましょう」

「いや、俺が言いたいのはそういうことではなく……にゃん」


 再びオルベルトの視線がこちらへと向けられる。少し遠慮がちに、しかしまっすぐと見つめられて、その意図がわからず私は彼の顔を見返した。


 ……それから、彼が何を言わんとしているのか分かってきて。次の瞬間、顔がカッと燃えるように熱くなった。


「な、なんて——破廉恥な! 哀れに思って優しくしたら、そこまで図に乗るなんて……。見損ないました! 呪いにかこつけて、女性にそうやってキスを迫るつもりですか貴方は!」

「別に下心があって言っているわけじゃないにゃん! 俺とて、こんなことを他人には頼みたくにゃい。だが、現状はかなり切羽詰っているのにゃ。この呪いをどうにか出来るなら、藁にだって縋りたい気持ちなのにゃ……」

「私の唇は藁扱いですか」


 失礼に失礼を重ねられて罵倒の言葉も出てこなくなる。

 段々馴染んできたにゃん言葉がひどく忌まわしい。

 

「とにかくお断りです。屁理屈ばかりで可愛くない女、なんて言ってのけた相手によくもそんな要求ができますね」

「まだそんな大昔のことを根に持っているのかにゃ。第一あの時、お前が俺に向かって騎士なんて野蛮で品のない職業だと言ったのが事の始まりだろうがにゃん」

「それは貴方が粗野でデリカシーのない振る舞いばかりしたからでしょう」

「だからそういうところが――」


 オルベルトが何かを言いかけて、はたと言葉を切ってしまう。そしてしんと静まり返った室内に、「……にゃん」という語尾だけがぽとりと響いた。


「……」


 何だか急に気まずくなってしまって、お互いに視線を逸らす。彼との口論なんていつものことなのに、どうしてか面と向かって言葉を発することができなくなって、視線を逸らしながら私は口を開いた。


「それなら、相手が私でなくてもいいじゃないですか。貴方が頼めば喜んで唇を捧げてくれる女性は大勢いるでしょう」

「俺とお前は婚約関係にあるのにゃぞ。俺が他の女性とそういう行為をするのは、その、色々と倫理的に問題があるだろうが……にゃん」

「それは、そうですけど……」


 分かっている。この馬鹿みたいに真面目な男は、形だけの婚約関係に義理立てして、好きでもない相手にこんな頼みごとをしているのだ。でも、だからっていきなり六年間の付き合いのうち口喧嘩しか思い出のない相手と恋人のような真似をするなんて、無理に決まっている。


「わ、私は貴方がどこで誰とどうなろうが気にしませんから。どうぞ遠慮なさらず、お好きになさって下さい」

「……そうか、にゃん」


 返された言葉は、どこか寂しげだった。

 私自身、自分が放った言葉にどうしてか胸を抉られる。動揺を悟られたくなくて、私は外の景色を見るふりをして、窓の方へと視線を向けた。


「すまなかった、無理を言って悪かったにゃん。切羽詰まって、ひどい頼みをしてしまったにゃん」

「いえ。私こそ、力を貸すと言いながら大したお役に立てなくて」

「お前が負い目を感じることはないにゃん。元々、この呪いは俺の慢心が招いたものにゃ。それなのに、色々と迷惑をかけた挙句、キスをさせろと……余計なことを迫って……にゃん」


 言っていて自分でも恥ずかしくなったのか、オルベルトの言葉は歯切れ悪くなっていく。結局彼は気まずさを振り切るように、扉へと身を翻した。


「今日はこれで失礼するにゃん」

「でも呪いは」

「お前に任せるにゃ。手間をかけて申し訳ないが、魔術院への申請とやらを頼むにゃん。報酬は後日払いで問題ないかにゃ」

「え、ええ、大丈夫です。……分かりました。お任せください」


 三日後にあるという任務のことだとか。明日以降どうするのか、だとか。

 オルベルトにはまだ問題があるはずなのだけれど、それについて彼は何も言わない。このことを蒸し返せば、また先ほどの気まずさが訪れるような気がして、私も深く訊ねることができなかった。


「あの、オルベルト。せっかく私を頼ってくださったんだもの。呪いを解くため、出来る限りの協力はします。ですから焦らずお待ちくださいね」

「お前らしくないにゃ。俺が無理な頼み事をしただけで、お前は何も悪くないにゃ。だから、そうかしこまるにゃ」

「はい……」


 オルベルトは私に責任を感じさせまいと思ったのか、慣れない笑顔を浮かべた。そして再び私に背を向ける。


 一歩、また一歩と離れていく彼の背を見つめながら、私は先ほどの彼に向かって放った言葉を頭の中で繰り返した。


『私は貴方がどこで誰とどうなろうが気にしませんから』

 

「待って……!」


 気づけば、今にも部屋を出ようとする背中に声をかけていた。

 オルベルトが立ち止まって、不思議そうにこちらを振り返る。


 呼び止めてみたものの、何と言えば良いのかわからない。だけど、先ほどの言葉を訂正しないまま、彼を返すわけにはいかない。


 耳の奥で大きく響く鼓動を聞きながら、私は彼に駆け寄る。そして、彼の鉄色の瞳をまっすぐと見上げた。





 ティーセットと茶菓子を載せたトレイを持ってティジレが師の部屋へと向かっていると、廊下の向こうから大きな影が現れるのが見えた。

 おや、とティジレは首を傾げて、影に声をかける。


「あれ。オルベルト様、もうお帰りですか。お茶をご用意したのですが」

「……」

「オルベルト様!」

「む! ……す、すまない、君か。少し考え事をしていた」


 オルベルトはぱっと目を見開いて、慌てふためきながらティジレを見下ろした。


「それで……何か、用か」

「その、お茶をお部屋にお持ちするところだったのですが」

「そうか。だがそろそろ仕事に戻らねば。せっかく用意してくれたのに悪いな、ティジレ」

「いえいえ。それより、お口がきけるようになったんですね」

「あ、ああ、そうだな。色々あってな」


 オルベルトが何かをぼかしたことにティジレは気付いたが、言及はせずに笑って頷いた。ティジレは大人の“色々”に口を出さない、思慮深さを持った子供だった。


「それではお気をつけて。また遊びに来て下さいね。」

「ああ……。君も、困ったことがあったら騎士団に相談するんだぞ……」


 心ここに在らず、と言った様子でオルベルトはカクカク頷く。そしてふらふらとしたおぼつかない足取りで、工房の出口へと消えていくのだった。


 ——良い人なのになあ。


 大きな背中を見送りながら、ティジレはそう思う。

 オルベルトは一見怖そうに見えるが、顔立ちはハンサムだし、心優しく気遣いのできる人だ。ティジレがちゃんと食事をとれているのか、アトレイアにちゃんと修行をつけてもらえているのかを、いつもこっそり気にかけてくれる。ここに来る度に、手土産を欠かしたこともない。今トレイの上に載せているクッキーも、彼が持ってきてくれたものだ。

 しかしアトレイアはそんなオルベルトの気遣いを、「余計な御世話」「菓子のセレクトがジジくさい」とこき下ろす。

 師匠はオルベルトの何が気に入らないのだろうと、ティジレは何度疑問に感じたことか。


 オルベルトが昔とても失礼なことを言ったのが二人の諍いの発端だ、というアトレイアの主張は聞いているが、それもティジレからしてみれば全面的に信用できるものではない。

 それに、本当に仲が悪いのなら相手の顔など見たくないと思うのが普通のはずだ。しかしあの二人は、わざわざお互いの家を訪ねて、定期的に不毛な口喧嘩を繰り返しているという。全くもって、理解不能である。


 まあ、『喧嘩するほど仲がいい』とはよく言うし、大人には大人なりの付き合い方というものがあるのだろう。とりあえずそう結論付けて、ティジレは手にしたトレイを予定通り師の部屋に運ぶことにした。


 それにしても、今回のオルベルトの様子はおかしかった。ぷりぷり怒りながら工房を立ち去っていくことはこれまでに何度もあったが、あんなに心ここに在らずな様子の彼を見るのはティジレも初めてだった。


 きっと、相当手酷い喧嘩をしたのだろう。となると、師匠のご機嫌は最悪に違いない。お茶とお菓子で上手くごまかせればいいけれど——

 そう考えながら、ティジレはアトレイアの部屋の扉をノックした。しかし返事がない。

 仕方なくゆっくり扉を開けて中を窺うと、茫然と立ち尽くすアトレイアの姿があった。


「あれ? 師匠、どうしたんですか?」

「……」


 師は答えない。まるで寝起きのようにぼーっとした顔で、何もない宙を見つめている。日陰暮らしのせいでいつも真っ白な顔は、珍しく真っ赤に染まっている。


「オルベルト様、帰っちゃいましたけど。また喧嘩したんですか?」

「……」

「師匠!」

「へあ!」


 ティジレの声に、師は奇声をあげながらぴょんと体を飛び上がらせた。先ほどのオルベルトを彷彿とさせる反応だった。


「もう、師匠もオルベルト様もぼーっとしすぎです。ほら、お紅茶を用意しましたから。これを飲んで、頭をシャッキリさせて下さい」


 ティジレはトレイをテーブルに置いて、カップに熱々の紅茶を注ぐ。そして湯気の立つカップをアトレイアに差し出した。


「さ、どうぞ」

「え、ええ、ありがとうにゃ。頂くにゃん」


 ……にゃん?


 アトレイアの口から漏れた奇妙な響きに、ティジレは首を傾げる。


「師匠。今のは……?」

「……!」


 何故かアトレイアは、魚のように口を何度も開閉した。赤く蒸気していた顔は、段々と青白く変色していく。


「ティジレ。私、語尾ににゃんなんてつけてないわよね、にゃん」

「……」

「……にゃ」


 にゃああああああん!


 ——その日。とある魔術師の工房に、一際大きな猫っぽい悲鳴が響いた。 


 その後、語尾ににゃんがつく恐ろしい呪いがどうなったのか。

 喧嘩ばかりの魔術師と騎士の関係はどうなったのか。


 それはまた、別の話である。


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