フクロウのいた森

quiet

フクロウのいた森


 あなたは何者なのだ、と訊かれて「フクロウ」と答えたとき、フクロウは自分の名前を初めて知った。

 ここはどこなのですか、と訊かれて「深い森の奥」と答えたとき、フクロウは自分がどこに居るのかを初めて知った。

 深い森の奥のフクロウは、自分がいつ、どこで生まれて、どのような時間の末にここにいるのかを、何も知らない。意識にある限りもっとも古い記憶では、すでにあたり一面を暗闇が包み込んで、何も見えずにいた。親を知らない。己の肌を知らない。どころか、自分が生きているかどうかすら、正確には知らない。

 代わりに、問われたことにはすべて、正しく答えることができた。

 その答えは、誰かに聞かれるまではフクロウの頭の中にない。問われた途端に、その言葉があるべき場所に帰ろうとするように、フクロウの舌から転がりだす。老母を冒した流行病の治し方も、七つの季節を眠り続けた物言わぬ恋人の心底の気持ちも、穢れた神に憑かれた子からその呪いを取り上げる儀式の手順も、まったく詳細に、フクロウは語ることができた。

 しかしフクロウは、己の好奇心のために自身の言葉を引き出すことは、決してしなかった。

 なぜ、と理由を聞かれればフクロウは答えただろうが、誰も聞かなかったものだから、誰にもわからない。

 ただフクロウは、深い森の奥に佇み、問いかけを待っている。

 何のためにそうしているか、誰も知らないまま。



 あるとき、一人の男が深い森の奥に現れた。

 足音で、フクロウはそこに人がいるとわかったが、しかし何も語り掛けはしなかった。フクロウは、自分から何か問いかけることをしない。

 静かな男だった。自分がどこにいるか知っているのか、いないのか。ただフクロウの立つすぐ傍に横たわり、時間の流れるのに身を任せていた。小さく漏れ聞こえる溜息、足音、服の擦れる音。それだけが、男から発される音だった。

 二日ほど経ったあたりで、寝返りを打った男の手が、フクロウの足に当たった。

「うわあっ!」

 そこでようやく、男は声らしい声を発した。フクロウは、まだ何も喋らない。

 男はその場から飛びのいたのち、恐る恐るフクロウに近づいた。手を握り、肩を掴み、頬を撫でた。生温いその体温を確かめて、こう言った。

「人か?」

「ちがう」

 唐突に発されたその声に、肝が据わっているのか、男は今度は飛びのいたりしない。ゆるゆると、幼子でも容易く振りほどけるような柔い力で、フクロウの手を握っていた。

「じゃあ、何だ」

「フクロウ」

「フクロウ? 鳥じゃないだろう。君は、何だ」

「フクロウ」

「……フクロウとは、何だ?」

「問いかけに、答えを与える存在」

 男はしばしの沈黙の後、「知恵か」と小さく呟いた。それは、答えを求めての言葉ではなかったから、フクロウは何も言わなかった。

 男はフクロウの手を放し、再び地に身体を投げ出した。

「なら、僕は君に一つも用はないな」

「…………」

「……なあ、君。気にならないのかい、僕のことが」

 男は暗闇の中、フクロウのいるだろう方へ視線を向けつつ、言う。

「君はこの世界の知恵だろう。どんな問いかけにも正しく答える。富める者も貧しい者も、強い者も弱い者も、善く正しい者も悪しく過った者も、誰もが求める至宝だ。それなのに、君は気にならないのかい? その至宝を前に、こうして無愛想に寝転がっている僕のことが」

 一度口を開けば、男は多弁だった。

 しかし、フクロウは口を開かない。男の言葉もまた、答えを求めた問いかけではなかった。男は自分でそれをわかっているのか、いないのか。どれほど待ってもフクロウの声が返ってこないことに気落ちしたように、先ほどよりも暗い声音で、再び口を開く。

「よくわかった。やっぱり僕は、取るに足らない存在なんだな。潔く死ぬとするよ。そのためにこんな、誰もいないところまで来たんだ。……いや、待てよ」

 男は身を起こした。

 枯葉の上に座ったまま、自分の顎の、無精髭の伸びているのを触りながら、考え込んでいる。

「誰もいないところで死ぬはずだったのに、ここには誰かがいたってわけか。すると初めから僕のしていることは、僕の思うような行動ではなかったということになる。それなら、僕がここに来た本当の意味は……。ねえ、君」

 男は今度こそ、きちんと問いかける調子で言う。

「僕はこれから、幸せになれるんだろうか」

「あなたは幸せになれる」

「どんな……、ああいや。これは聞くことじゃないな。そうしたら、僕はどうやって幸せになればいいんだろう。最初の一歩目を、僕に教えてくれないか」

「内海沿いにある、小さな白い町。一月後、そこで金の髪をした娘が売っている青い花を買うこと」

「白い町……。いや、結構。教えてもらわなくても。このくらいのことは、自分で見つけなければ」

 見えもしないに決まっているのに、わざわざ男はフクロウに平手を向けて、制するようにしながら、何度も口の中で唱え続ける。内海沿い。小さな白い町。一ヶ月後。金の髪の娘。青い花。

「よし、覚えた。ありがとう……、と君のような存在に言うのも筋違いかもしれないが、あれかい。ひょっとして、代償を払ったりしなくちゃいけないのかい」

「いいや」

「まるっきり救いの神ってわけだ。しかしどうも、貰ってばかりじゃ座りが悪いな。どうだい、君。何か私にできること、してほしいことはないかい」

「ない」

 は、と男は笑った。

「だろうね。まあ精々、この森から出たら君のことをよく伝えることにしよう」

 ありがとう、と男は頭を下げた。そして踵を返したところで、はた、と。

「この森からは、どうやって出ればいいんだ?」



 幼いながらもルーシィは、ちょっとこれは変だと勘づいていた。

 普段は穏やかな家庭で暮らしている。父は画家。母は花屋。家計の事情などこの年で知れるはずもないが、清潔で、晴れの多い白い町の風景に、生まれの幸運を察することも多くなってきた。

 だから、こんな暗い森に連れ出されることが不可解で、恐ろしくてたまらない。

「パパ、どこまでいくの?」

「もう少しだ。確かこのあたりだったと思うんだが……」

 父は自分の手をしっかり握りしめてくれているけれど、段々と歩む道は深く、暗くなる。もうルーシィは、自分一人では決して帰れない場所まで入り込んでいる。

 大体、「ママに内緒で」なんて言われたときから変だとは思っていたのだ。ルーシィは自分の父がいわゆる「困った人」で、時々大人の目から見れば信じられないようなことをする人だとも、もうわかっている。

 ひょっとすると、とルーシィは思う。ママがいないときは、私がパパを止めないといけないのかも。

「ねえ、」

「うおっと!」

 そのとき、急に前を行く父が止まった。

 どん、と音がしたから、木にでもぶつかったのかと思ったが、ルーシィには確かめようもない。なにせ、森のあまりに深くに行きすぎて、自分の手のひらだって見えないような闇の中なのだから。

「ここにいたのか。久しぶりだな。僕のこと、覚えているか」

「覚えている」

 さすが、と父は嬉しそうに言ったが、ルーシィはそれどころではない。

 突然、暗闇の中から声がしたのだから。少年のものとも、少女のものとも取れないそれは、明るいところで聞けばただの声だったろうけれど、こんなところで聞けば恐ろしいものでしかない。

 ぎゅっとルーシィが手を握る力を強めたのに気づいているのか、いないのか。父は明るい声で続けた。

「フクロウ。君のおかげで僕は随分幸せになった。あれほど売れなかった絵も、暮らしていけるくらいにはなったし、伴侶も、娘も、愛も得た」

 フクロウ、というのが声の主の名前なのだろうか。ルーシィは父の背に身を寄せながら、返答のない相手を想像している。

「そこでお礼をしようと思って、娘を連れてきたんだ。この子の声はとにかく美しくてね……、おっと。親馬鹿と思わないでくれよ。美しさにかけて僕の感性は何より誠実だ。ね、ルーシィ」

「え? えっと……」

「ほらね、聞いたかい。天使にだって負けてない。そのうえ、この子は歌も上手い」

 父がとにかく上機嫌だから、悪いことにはならないだろう、と最低限の安心くらいはしているけれど、それ以外はずっと不安ばかりが募る。

 確かに、とルーシィは思う。声も、歌も、学校でたくさん褒められる。学年で一番、と言われることだって少なくないし、母に至っては町で一番、父に至っては国で一番、などと大袈裟に褒めてくるものだから、自信がないと言ったら嘘になる。

 でも一体、私は何をさせられるのだろう。

 その答えを、父が言った。

「だから君に聴かせてやろうと思ったのさ。こんなところにいて、芸術の美しさに触れたことなんてないんだろう。こんな暗いところじゃ僕の絵は見られやしないが、この子の歌声なら聴ける」

 さ、ルーシィ、と父がルーシィの肩を叩いた。

 何が何やらわからない。おずおずと父の前に出たルーシィは、顔も知らない相手に向かって、つい最近習った歌の一つを、しかしそれでも思いきり歌い上げた。

 実際、それは大した歌だった。

 父は闇の中で誰にも見えないのに頷いていたし、ルーシィだって、歌っている自分でうっとりしてしまうくらいに美しい、そんな素晴らしい歌だった。

 だからその後のことを、ルーシィは決して許せなかった。

「どうだった、娘の歌は」

 旋律が聞こえなくなるほど森の遠くに去っていったころ、父は拍手をしながらフクロウに訊いた。

「感動したかい?」

「いいや」

 そうか、と父は笑った。

「この子の歌声ならあるいは、と思ったんだが。要らないお世話だったみたいだね。まあしかし、恩は恩だ。僕が君に受けた恩を忘れていないってことだけは、どうしても伝えたかったのさ」

 フクロウは何も言わず、父はフクロウに帰り道を訊いて、その答えの通りに家路を辿った。

「ルーシィ?」

 その父が娘の異変に気づいたのは、森を抜けてからのことだった。

 小さな顔を歪めて、真珠のような大粒の涙をボロボロと零し、声を堪えていたのか、唇には果実のように真っ赤な血が滲んでいる。

「ごめんね。怖かったかい」

 父は言った。ついさっきまで森にいたときのような、どこか旅人めいた軽い口調ではなく、慈しみ深い父親の声で。そして、ゆるゆるとルーシィを抱きしめた。

「へたじゃないもん」

 その身体は、火のように熱かったという。



「パパに似たのね」

 と母は言い、

「いや。あの苛烈なところは君に似てるよ」

 と父は言い、怒られていた。

 人が変わったようだ、とまで言う人はいなかったが、それでも何かが変わったことは間違いない、と誰もが思っていた。

 森から戻ったルーシィは、それこそ火がついたように歌に打ちこみ始めた。これまでのような、生まれ持った声と音感を振り回すような歌い方をやめて、ただでさえ光っていた宝石に精緻な模様を彫りこむように、歌を磨き上げた。

 学校の休み時間に外に飛び出していって歌うくらいは、かわいいものだった。家にいる間は食べているときか、寝ているときかしか口を閉じない。話しかけられても歌って返す。週に一度、大きな街からやってくる音楽教師は、毎週毎週、ノート三冊分に及ぶ膨大な『歌に関する質問』を投げつけられる。算数が音楽と関りのある科目だとわかってからは、算数教師もその標的に加わった。

 疲弊した算数教師は、彼女に訊いた。

「君、都で歌姫にでもなるつもりかい」

「ううん」

 それにきっぱりと、ルーシィは首を横に振って答えた。

「みかえしたいだけ」

 四つの季節が過ぎ、八つの季節が過ぎ、十二の季節が過ぎた頃には、もう眠っている間にまで歌うようになって、宵闇に溶け出す白い吐息に、桜の花の匂いが混じっていた。

 人が変わったようだ、とまで言う人はいなかった。だって、人が人に変わったところで、あんな風にはならない。天使や妖精というならまだわかるけれど。

「パパ」

 腕を組んで、仁王立ち。

 自信に溢れた不敵な笑みを浮かべる娘の顔を見た父は、ほらやっぱり君に似てる、と母に零し、どこがよ、と怒られながら、それでも言われることはわかっている。

「あの森につれていって。今度はもう、私負けないから」

 勝ち負けの話だったの、と母が問い、どうもそうなってしまったらしい、と父が答えた。

 今度は母も伴って、家族三人で森まで向かうことになった。しかし母までがフクロウのいる森の奥に進むのかと言えば、そうではなかった。

「なんだい、それは」

「縄よ。迷ったら仕方ないでしょう」

「いや、もう二度も行っているんだし」

「黙りなさい」

 母はきっぱりそう言うと、父とルーシィの腰にぐるぐると縄を巻きつける。

「港の人たちに貰ってきたの。海底の谷に下ろす縄を八つくっつけたのよ。これなら絶対に安心だわ」

 しかしその目論見も虚しく、ルーシィたちはどこまで進んだのか、途中で縄の先は母の手から逃げ出してしまう。こうなってしまえば、もはや花屋の母の声が届く距離ではなく、青硝子のように透き通ったルーシィの声ですら、森の入口までは聞こえなくなった。

 だから、ルーシィがフクロウに向けてどんなふうに歌ったのかを、母は知らない。

 けれど、歌い終わったのがいつかだけは、はっきりとわかった。

「なんでよぉーっ!」

 とてつもない怒声で、森から飛び立った鳥たちが真っ青な空に黒い絵を描いて、そのとき傍にいた父はそれから一週間、だいぶ耳が遠くなっていたという。



 そういうものじゃないんだ、と父がどれほど言っても聞かなかった。

 もうルーシィは、あの生意気なフクロウに「まいった」と言わせてやると決めていた。

 起きているときも、寝ているときも歌ってきたルーシィは、とうとう食べているときにすら、自分の手の動きに音楽を見出し始めた。

 音楽と算数だけに飽き足らず、今度は国語にこだわり始めた。教科書に載っている詩の一言一句、一文字の意味と発音とその歴史から始まって、解釈の羽を広げるようになった。理科を勉強して、物がどのようにして震えるか、どのようにして音を伝えるかを考え始めた。社会を勉強して、どんなふうに言葉や音楽が心の中から生まれてきたかを推し測り始めた。

 そしてその次の季節、また森の奥へと旅立って、また涙目で戻ってきた。

 歌ではなく曲の問題なのかもしれない。そう考えたルーシィは、今度は自分で音楽を作り始めた。自分の声が一番美しく輝いて、そして自分以外の人間には歌えないだろう、そんな曲を作り始めた。

 次の季節もまた泣いた。

 次の季節も、次の季節も、そのまた次の季節も……彼女は泣いて、とうとう家族の誰も森までついてくることはなくなった。道をすっかり覚えてしまって、ルーシィはもう、たとえひとりきりで森のどこに置き去りにされても、フクロウのいるところまで辿り着けるようになっていた。

 それでも、フクロウは決して「まいった」とは口にしなかった。

「そういうものじゃないんだ」

 と父は言った。

「言い方は悪いがね、フクロウは石や、風のようなものだ。ルーシィ、君の歌がいくら上手くたって、初めから心のないものの心を震わせることはできない」

「石は震えるよ。大きな音を出せば」

 父の気持ちを知ってか知らずか、ルーシィはきっぱりと返した。もう随分背が伸びて、父とも母とも少し違った、自分の喋り方をするようになっていた。

「そして風は、星のうたう歌。フクロウが石でも風でも、私が諦める理由にはならない」

 そして父も、かつてよりは少し老いていた。だから自然に、昔のことが口を衝く。

「やれやれ。自分の娘をとんでもない運命に引き合わせてしまったな。僕の若いころに壁になっていたのは、結局『見る人のことを考える』なんて簡単なものだったのに、君はちょっと、とんでもない。壁の高さは才能の差かな」

「いま、なんて?」

 ルーシィが問い返すと、父はきょとん、として、

「才能の差?」

「ううん。『見る人のことを考える』って言ったでしょ」

「言ったね」

「それ、どういうこと?」

 何かの助けになればと思ったのか、それとも若き日のロマンスを懐かしんだのか、父は語りだす。この町で、金の髪の若い娘が青い花を売るのを見たこと。それに見惚れたこと。手を握り、モデルを頼み、この美しさがどうやったら人に伝わるだろうと春の日のよろこびのままに筆を走らせたこと。

「一目惚れだったのさ、つまりは。でも僕は、ママのあの一瞬を見たことがない人にまで、僕の覚えたその感覚を教えてやりたかった。なぜって、それがこの世でいちばん価値ある瞬間だと思ったからね。実を言うと僕の描く絵は、花も風も、ぜんぶ『あのママの一瞬』を違う形で描いているだけなのさ」

「そっか……。感じ方がちがうんだ」

「何か、わかったのかい」

「うん、パパ」

 ルーシィは頷いた。自分がずっと、ひとりよがりだったんだと気がついた。

 絵も歌も、伝える側と、受け取る側でそれぞれの心があって、それぞれの感じ方は同じじゃない。一つの歌を聴いて、どんなふうに思うかは、聴く者の数だけ違う。

「『この曲を聴いて私と同じように感動して』ってお願いするんじゃない。私は『私と同じ気持ちを覚えてもらうために』『フクロウのための』曲を作って、歌うべきだったの」

 迷路を抜け出たような顔のルーシィに、父は満足げに頷いた。

 明日から毎日森に行く、と言われればさすがに腰を抜かしたけれど。



「この曲は好き?」

「いいや」

 晴れの日も。

「この言葉は好き?」

「いいや」

 雨の日も。

「よろこびは好き?」

「いいや」

 風のない熱帯夜も。

「さびしさは好き?」

「いいや」

 月のない冬夜も。

「私の歌は好き?」

「いいや」

 ルーシィは森の奥で、フクロウに向かって歌い続けた。それは確かに父の言うとおり、石や風に語り掛けるようなものだったかもしれないのに、まるで物憂げな様子も見せないまま。

 言葉は、音楽は、終わりのない星々を編んだ絹布のように森の奥から広がって、やがてその樹々の一つ一つに、光の代わりに柔らかな残響を宿し始めた。りぃん、ごぉん、と森そのものが、ルーシィの喉から溢れ出した歌が鋳った白鐘のように響き始める。

 フクロウが頷くことは一度もなかったが、もうルーシィも泣かなくなっていた。ただ、星に向かって歩くことを楽しむ旅人のように穏やかに笑って、フクロウのために歌い続けた。

 手紙を受け取ったのは、そのためである。



「王立音楽学院だって」

 たまには人の歌も学ぼうと出かけた先の教会で、聖歌隊に一人抜けが出ていた。よりにもよって喉風邪を引いてしまったのはソロを任された女の子。あらあら、とルーシィが見ていると、たまたまその聖歌隊のうちの一人が知り合いで、あれよあれよと言う間にお揃いの制服を着て、壇上に並ばされた。

 その結果が、招待状だった。

「って言っても、入学試験自体はするらしいんだけどね。でも受験資格があるだけでもすごいの。音楽をやってる子は、みんな泣いてよろこぶくらい」

 真っ赤な蝋を剥がした白封筒をひらひらと、ルーシィは指先に挟んで振るけれど、暗闇の中だから当然、自分の目にも見えやしない。

 フクロウは何も答えない。

「ま、試験はパスできるだろうし、四年くらいなら、」

「あなたは受からない」

「……はい?」

「あなたは受からないと言った」

 聞き間違いかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「た、」

 ルーシィは驚きながら、

「たかが学校の試験に、私が? あんたいま、そう言ったの?」

「そう言った」

 しばし茫然とした後、けれどルーシィは、ふうん、と頷いた。

 試験はパスできる程度だろうし、在学期間の定めの四年では大したことは学べまいと思っていた。でも、自分が落ちるような試験を課すところであれば、それは相当の学校に違いない。

「ふうん、そうなんだ」

 行ってみたい、と思わされた。

 フクロウに言われたからには、自分は決して受からないだろう。でも、一目見る価値はありそうだ。

 そう思って、二日後、ルーシィは王都へと旅立った。



 どういう手紙屋を使ったのか、試験を受けた本人が父とともに白い町に戻ってきたときには、もうテーブルの上に合否を告げる封筒が届いていて、その前で母が肩を強張らせていた。

「き、来てたわよ」

 ルーシィはそれを大して気にするでもなく、ただいまを告げながら外出着をハンガーにかける。おなかへった、とキッチンに入って、ついにはこんなことまで言う。

「開けちゃっていいよ、それ。どうせ落ちてるし」

 驚いたのは母で、父に小声で問いかける。

「上手くいかなかったの?」

「いや、そんなことはないと思うんだが……。開けてみるか」

 さっそくペーパーナイフを持ち出して、父は封を開ける。す、と中身を取り出すのをルーシィは横目に見て、

「フクロウが『落ちる』って言うから気になったんだけど、別にそこまですごいところには見えなかったなあ。私、なんで落ちたんだろ。」

「いや、受かってるぞ」

 ふうん、と言いながらルーシィは戸棚を開けた。

 閉めた。

「え?」

「受かってる」

 父が掲げた紙には、確かに『合格』の文字が書かれている。

 ルーシィは近寄って、それを瞳のくっつくような距離で見つめて、それから

もう一度、こう言った。

「…………え?」



「さあ、それじゃあ訊くよ」

「…………」

「私が落ちるって言ったのは、嘘?」

「…………」

「そもそも私は、試験に受かるかどうかすら訊いてなかったもんね。いつから嘘を吐くようになったの?」

「…………」

「それはいいか。大事なのは、一度は嘘を吐いたってことだもんね。じゃあ、嘘を吐いたあんたは元の通りのフクロウなの?」

「…………」

「パパが言ってた。『そういうもの』として生まれたものがその役割を違えたとき、もうそれは『そのまま』じゃいられないって。だから、あんたはもう質問されても答える必要がない。それでも訊くよ。どうして嘘を吐いたの?」

 森はもう、かつての姿をしていなかった。

 深い闇に包まれていることは間違いない。けれど、それは以前のような、先の見えない暗がりということではない。

 樹々が、土が、大気が、その身に湛えた音と音を寄せ合って、春の月待ち夜のようなひそやかな波が輪唱のように巡っている。花の匂いは芳しく、触れるものはみな、生温い湯のようないのちの光を内に秘めていた。

 だから、彼が口を開いたのも、誰かが許したことなのかもしれない。

「……わからない」

 その答えに、ルーシィは静かに続きを待った。葉露が土に垂れかかるような速度で、言葉は紡がれる。

「ただ、あなたがここを離れると言ったとき、答えとは異なる言葉が出た。理由などもう、わからない」

「そう。私の歌は好き?」

「わからない。だが、何かしら心動かされたことは、事実なのだろう」

 そ、とルーシィはもう一度言って、それから誰にも見えないところで、にんまりと笑った。

「だったら、あんたは私の歌が好きなのよ」

「どうしてわかる」

「確かめてあげようか。ほら!」

 言うと、ルーシィは大きく足音を立てて一歩下がった。そして立て続けに、

「ほら、ほら、ほら! どう?」

「どう、とは」

「感情が動いたでしょう。切なくなったでしょう。悲しくなったでしょう!」

「わからない。感情は確かに動いているが、それが何かまでは」

「恋しい、って言うのよ。それは」

 立ち止まって、ルーシィは言った。

「好きなものに離れていってほしくないって気持ち。それを恋しいって、人は言うの。鎮め方も、教えてほしい?」

「知りたい」

「じゃあ、私に近づいてみて」

 長い躊躇いのような沈黙の後、小さく、足音がした。

「気持ちが弱くなったでしょう」

「なった」

「恋しい、を鎮めたかったらね、近づくの。好きなものに、もっと。もっと、もっと、もっと。そう、もっと!」

 とん、と。どこか、ルーシィの身体が触れた。

「そしてあんたがいま感じているのが、うれしいって感情」

「その源が、あなたの歌を好きな気持ちか」

 そう、と言ってルーシィは、また背を向けて、二、三歩と歩き出す。それに、後ろからついてくる。

 足音の連弾は、森の入口まで続いた。

 もうすっかりルーシィは光の中で、片や、もう一歩で闇を抜け出るところ。

 ルーシィは振り向く。

「相手に近づくっていうのはね、すごく怖いことよ。叶わないかもしれない。傷ついてしまうかもしれない。だからそういうときはね、恋しいが強い方から近づかなくちゃいけないの」

 不敵に笑って、こう言う。

「だって、恋しちゃった方が負けなんだから。さあ、もう近づくのはあんたの番よ!」

「……なるほど、確かに」

 そう応えた声は、笑っているようにも聞こえた。

 闇の中から、爪先が現れる。続けて、二歩目、三歩目、四歩目――、


「――まいった。どうも、おれの負けらしい」




 それからその森については、人の口に上るような、語るべきことはほとんどない。

 せいぜいが『美しい花が咲くらしい』だとかそのくらいの、慎ましく、控えめで、何より大事なことが、時折確かめられるくらいである。




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