第9話

 短く鈍い爆発音。それに続き、回転尾翼がひしゃげ、弾け飛ぶ。ヘリは急速に不吉な振動を始め、ぐわんぐわんと振り回されるように機体そのものが宙を舞い始めた。


《総員、耐ショック姿勢!》


 パイロットの指示は、階級に関わらず絶対だ。私と山路はシートに腰かけたまま、膝の高さまで頭を下げ、後頭部に手を当てた。衝撃で舌を噛み切ることがないよう、ぐっと歯を食いしばる。


 既にキャビン内は前後左右も分からない有り様で、シートベルトを締めていなければとっくに全身打撲に陥っていただろう。


《緊急着陸します!》


 そんな無茶な。私は胸中で叫んだが、そうしてもらわなければ困る。とは言っても、ここは倉庫街の上空だ。着陸に適した空き地などあるわけがない。


 隣の山路に視線を遣ると、彼もまたやや顔を上げ、周囲を見渡そうとしていた。どうにかして、地面に降り立たなければ。

 その時、パイロットが切羽詰まった声を上げた。


《お二人共、脱出してください!》

「⁉」


 驚きのあまり、私と山路は顔を見合わせた。


《きっと何某かの『性能』をお持ちなんでしょう? この機体を捨てて、お二人だけでも脱出して任務を達成してください!》


『そんな無茶な!』『あんたはどうする気なの?』など、言いたいことが脳内を駆け巡る。しかし、とても顔の筋肉を動かせる状態ではない。

 困惑する私の鼓膜を、凄まじい轟音が震わせた。見れば、山路はシートベルトを外し、あろうことかヘリのドアを蹴破ろうとしていた。

 いや、『していた』というのは適切ではない。一撃で蹴破った。私にはできない、怪力の行使だ。


 山路はこちらを一瞥すると、思いっきり私の肩を抱き寄せた。ここに至って、私はようやく彼の意図を察して驚いた。私を抱えて飛び降り、そのまま着地するつもりなのだ。


「ちょっ、山路さん⁉」

「パイロットの指示に従うのは鉄則だろうがッ!」


 言い終えるや否や、私を半ば引っ張り出すようにして、山路は宙に身を躍らせた。さっと胸元に私の頭部を抱え込み、お姫様抱っこの格好へ移行。黒煙を振り払って、重力任せに落ちていく。


 私は自分に対し、冷静であるようにと念じてから状況把握を開始した。ヘリの高度は約三百メートル。これなら、私一人でも飛び降りは可能だ。昨日、四百五十メートルのバーから飛び降りた時のように。


 それに、ヘリで降下するよりも、生身で飛び降りた方が必要なスペースを確保しやすい。それを考えて、山路は飛び降りを決断したのだろう。


 頭を回転させている間に、地面はぐんぐん迫ってくる。大丈夫だと分かっていながらも、私は山路にしがみつかずにはいられなかった。

 泣きじゃくる女の子を抱き締める父親――。周囲からはそんな風に見えたかもしれない。無論、山路の足が地面についていればの話だが。


 山路の腕に、一層強く力が込められる。地面が近い。私は思わず、ぎゅっと目を閉じる。そして着地。

 バリバリと何かが引き裂かれる音が連続し、次いでドン、という衝撃音。山路の腕から、着地の振動が伝わってくる。

 そして、この飛び降りは私一人の時ほど上手くはいかなかった。


 私たちが落ちたのは、廃倉庫の天井だった。私は山路の腕から投げ出され、ごろごろと無様に転がる。


「山路さん!」


 四肢が無事なのを確認した私は、声を上げて山路に駆け寄った。彼はこれまた私同様、膝を折り片手を地面に着くようにして、その場で固まっていた。


 再度山路の名を呼びながら、彼の肩に手を載せる。すると、山路は顔を上げることもなく問うてきた。


「無事か、紺野?」

「う、うん、私は大丈夫。でも山路さんは……?」

「しくじった」


 山路は顔を上げ、防護メット越しに私と目を合わせてから自分の足元に視線を落とした。

 私ははっと息を飲んだ。そこには、血だまりができていたのだ。


 見た限り、山路は平静を保っているし、出血もまたすぐに収まるだろう。こういった荒事をこなすために、わざわざ私たちは身体をサイボーグ化しているのだから。

 しかし問題は、山路の負傷そのものではなかった。


 ピピッ、という短い電子音。直後、山路の状態が彼の頭上に表示される。それを見て、私は息を飲んだ。


「防護服損傷……?」

「でなけりゃ血が外に漏れるわけがないだろう」


 立ち上がり、痛みに顔を顰めながら山路が告げる。言い終えると同時に、今度はより鋭い電子音が響いた。新たに表示された立体画像に、私は目を通す。


「有毒ガス侵入って、ヤバいよ山路さん!」

「分かってる。ぎゃあぎゃあ騒ぐな。メット内の表示によれば、俺が致命的ダメージを被るまでの残り時間は、ざっと六百秒。さっさと片をつけるぞ」


 大股に一歩踏み出し、携帯端末から付近のマップを展開させる山路。喋ることで痛みを意識から分離させたのか。

 って、そんな悠長な観察をしている場合ではない。


「山路さん、早く戻りなよ! すぐに救護ヘリを要請して――」

「また撃墜されるぞ。あれを見ろ」


 私は山路の視線の先を追った。天井に空いた穴から見える、ビルの屋上。そこに、無人の地対空迎撃ミサイルが設けられていた。


「あれで私たちを……?」

「そのようだな」


 直後、視界を何かが横切った。先ほど私たちが飛び降りる前に搭乗していた輸送ヘリだ。

 それは黒煙を上げながら付近のビルに衝突し、ばっと爆光を瞬かせた。


「と、いうわけで、俺に一番近い安全地帯は、地下の研究室ってわけだ。まさか十五年も籠ってる連中が、ずっとこんな防護服を着ているわけはないだろうからな」


 その言葉に、私ははっと顔を振り向けた。


「山路さん、まさか……!」

「作戦続行だ。もう二十秒もロスした。行くぞ、紺野」


 確かに、山路の考えは正しい。この一帯は『事変』以降、有毒ガスが晴れることなく立ち込めている。付近で一番安全なのは、制圧目標であるところの地下研究施設だ。

 だが、敵が待ち構えているかもしれない――いや、確実に待ち構えている。足を負傷した山路が、どれだけ戦闘に耐えられるか分からない。


「おい紺野! 何ボサッとしてるんだ!」


 振り返りもせず、しかし山路は立ち止まり、屈みこんだ。


「ほう、ついてるな。どうやらここが、地下施設に通じる配管らしい」


 聞き終えるまでもなく、私は彼の背中に向けて猛ダッシュしていた。距離は約十メートル。私の脚力で走破するまで、約〇・五秒。ごめんなさいと念じながら、私はスライディングの要領で山路に蹴り込もうとした。


 が、しかし。


「踏み込みが甘いぞ、紺野」


 足元のハッチを操作しながら、山路は片手で私の足をむんずと掴み込んだ。こちらを振り返ることもなく、だ。


「残り五百秒。それが俺のタイムリミットだ。きっとこの刻限を過ぎれば、俺は意識を失うだろう。そうすればお前の足手まといにしかならん。だったらせめて、敵を制圧することに注力した方がいい」

「だ、だってさ山路さん!」


 私は、自分の声が異常に幼く響いていることに驚いた。そして狼狽えた。

 それに対し、肝心の山路は床面のコンソールを操作し、施錠システムを開放することに集中している。

 

 その時、私は気づいた。この状況は、自分の過去の追体験になっている。

 誰が仕掛けたわけでもないだろう。それでも、否応なしに私の胸に迫ってくる不吉な感覚がある。

 大切な人が――私を守ってくれる人が、今まさに命を賭して困難に立ち向かっている。そして行ってしまう。私の手の届かない所へ。二度と温もりを与えてくれない、絶対零度の向こう側へ。


 私は立ち眩みを覚えたが、どうにか立ち留まった。それでも、自分の足がこれほどの脱力感に襲われたことはない。スラスターを搭載するに至った、私の切り札とも言える脚部が。


「よし、ハッチを開放する。行くぞ、紺野。俺が先行するから、バックアップしろ」

「……」

「紺野、復唱はどうした? 作戦中だぞ」


 作戦、という言葉が私の脳内を飛び交う。しかし靄がかかったように、その言葉の輪郭ははっきりしない。

 何のための作戦だ? 山路は何をしようとしている? まさか、再び奴――東京湾沿岸を根こそぎ破壊し尽くしたあの怪物と、戦おうというのか?


 そんな怪物、今はとうに沈黙している。胸部から背びれに至るまでを、一振りの大剣で貫通されて。それは、今朝もさっきも私自身が見た光景の中に記憶されている。


 その記憶を以てしても、私には実感が湧かなかった。

 今この場にいることも、作戦中であることも、戦闘体勢に入らなければならないということも。


 今の私に感じられるのは、また自分だけが助かり、取り残されるのではないかという恐怖だ。皆に置き去りにされてしまうのではないかという絶望感だ。


 悲鳴を上げ、助けを求めたい。だがそんな甘い幻想から私を突き放したのは、いつの間にか振り返り、私の腹部に爪先をめり込ませた山路だった。

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ルージュの弾丸 岩井喬 @i1g37310

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