37・揺蕩う不安定な、

 時計塔の内部は吹き抜けになっているようだった。その周りを階段が延々取り巻き、一面硝子の天井から真鍮色の明かりが塔を満たしている。


 そんな息を吞むほどに美しい金色の海の中、窓際に腰掛ける人間が一人。


「そうなんだ。漸く出会うことができたよ……わかりきった事ではあったのだけれど」

 ふふと笑う。彼女は虚空を見つめる。


「君がいなくなってから、どれだけの時間が経ったんだろう?……いや、何も寂しいことなんて無かったさ。私達の苦労が報われるまで、あと少しなのだから」

 立ち上がり、廊下へ続く扉に手をかけた。


「……あの子が目覚める頃合いだ。また今度、お喋りの相手になっておくれ」




 これまた、俺のいた世界とはかけ離れた景色だった。


 機械的な建造物が各所に立ち並び、合間を縫うようにして住居や謎の店が見えている。とりわけ大きな建物には幾つかのからくりが取り付けられているようで、年季の入った歯車や透明な配管を通して、屋上に乗せられたランプに何か貯めこんでいるようだった。


 そして時計塔からも窺えていた空気の正体は空にあった。この町の上空を、金色の膜が覆っているのだ。膜は時たま波のようにうねり、差し込む光をゆらゆらと反射させていた。


 俺には数年前からの記憶がないとはいえ、この様な場所の話題は一度も耳にしたことがない。旅の経験豊富なエリスの口からでさえもだ。


「お前さん。そんなにきょろきょろして、迷子探しかい?」


 不思議の国を興味津々で探索していた俺を、老けた声が呼び止めた。白髪の混じった、優しそうな爺さんだ。ニルグレス東方の伝統的な装束姿である。


「いい天気だったもんだから、ちょっと散歩をな……不審者に見えたかな」

「ほほ、変わったことを言う若者じゃ。儂も暇していたところでの、ご一緒させてはもらえぬか」


 俺は頷き、了承した。アステルのことを知る良い機会になりそうだ。二人並んで歩いていると、再度老人が尋ねてくる。

「そうか、今日は快晴か。……何故にそう思ったのかの?」しつこい爺さんだ。

「……なんでも何も、空が明るかったからだ」


 もちろんでまかせなのだが、ぶっきらぼうな返事を気に留めることもなく、納得したようにひとり頷いている。「どうしたんだ?」爺さんはまじめな顔をして答えた。


「言われてみればじゃ。確かに近頃は魔香まこうの錬成が遅れてきているからの……つられて”膜”への供給も減っているらしい。ほんの些細なものだと”先生”は仰っていたがの」


 そのまるで意味の分からない発言に目を回す。

「すまん、さっぱりわからないんだが」


 すると今度は爺さんが目を回したようだった。

「んん。なんじゃおぬし、何にも知らんのか。どういうことじゃ?」


 こちらの台詞である。俺はこの町に訪れたばかりだという事を伝えようとしたが、それより一歩先に彼の説明が始まった。


「どこからどう話したものか。ではまず大前提として、オロンス・フィネ先生のことからじゃな。流石に彼女のことまで知らぬとは言わせぬぞ?」


「流石に知ってるぞ。ついさっきまで話していた人の名前くらいは覚えてるさ」

「………………」

「ああ、割り込んで悪かった。続きを話してほしい」


「……う、うむ。して、そのフィネ先生だが、それはもう強力な術法を操るのじゃ。先生の持つ三叉槍から広がる結界はあらゆる危機を避け、災いを退ける。ある日、先生はその力を儂らアステルの住民の為に使ってくださることになった。詳しい経緯までは知らぬがの。先生の結界は小さな町全てを覆いつくした。するとどうじゃ、リアーナの蛮軍どもの徴収や侵略がピタリと止んだ。当時世間を騒がせていた伝染病が襲ってくることは無かった。住民は大喜びしたものだ……歳をとらなくなった、なんて言う者まで出る始末じゃ」


「町の人全員不老になったのか?とんでもない能力だな……」

「ほほ。流石に不老にはなれんかったようだわい。じゃがの、あながち間違ってもいなかったんじゃ」


「?」


「みな急に老けにくくなったのだ。成長しなくなった、といったほうが良いか……町の子ども達はいつまでも子供のままだし、かく言う儂ももう数十年、この格好のままじゃ。世の中不思議な術もあるものだのう……まぁ、かくしてアステルは驚くほど長寿の町と化した。病気も戦争もない、老いについても大抵の者は不満を感じておらぬ。世界一幸せな町じゃ」


「なるほどな……よし、”膜”の存在に関してはわかった。それがどう”魔香”に繋がるんだ?」

「そう急くでない。さて、おぬしの想像通り膜というのは空に見える金色の結界のことなんじゃが、あれは有限のものなのだ」


「いつかは消えてしまう、ってことだよな。けど聞いた限りでは、爺さんは数十年そのかっこのままなんだろ?随分長く保てる術法なんだな」


「不正解じゃな。術法を扱う時には己の精神力を使うであろう?」

「わかった。フィネは有り得ないくらい心の強い人物ってことだ」


「それではこの話をする意味がなくなってしまうぞ」

「確かに」


「そこで魔香の出番じゃ。それはフィネ先生の操る術法と全く同じ効果を持つ物質。各所に設置された機械たちは魔香を錬成する為に、先生自らの手によって開発された。これは資源さえ揃っておれば勝手に作動し、魔香でできた膜を張り続けてくれるのだよ」

「そりゃ凄いな」


「うむ。但しこれを用いるにあたって、当時の町長が約束したことがある。”決して魔香を本来の目的以外に転用しないこと”、”先生の許しがあるまではこれの錬成を止めないこと”のふたつじゃ」


 金物の雑貨を売る露店の脇を通り抜け、例の機械たちに囲まれた薄暗い路地を進む。


「……ともかくそんな訳で、アステルは健康で平和な暮らしを手に入れたわけなのだ。儂の口から話せるのはここまでじゃ。至らぬ点は多々あるとは思うがな」


「十分だよ。長々喋らせてすまないな」

 気にするなと老人は笑った。


 ここまでの内容を要約すると、フィネは自身の法術を用いてアステルに巨大な結界を張った。その結界を半永久的に持続させるための設備をつくり、町の住民に術を共有する条件として”正しく扱う”、”勝手に魔香の錬成を止めない”と言う二項を提示した。という事だろうか。


 フィネの秘密が暴ける、と言う言葉にひかれて話を聞いては見たものの、半分見当違いだったようである。


 肝心な部分がごっそりと抜けているのだ。

 この町に人の出入りや人口の増減といった現象は存在するのか、特製の設備を用意してまでなぜアステルに自身の能力を使おうと思ったのか、魔香の原動力とは一体何なのか、錬成が遅れている原因は何か。

「当時の町長」と言っていたが、フィネはどういう経緯でアステルの管理者となったのか、そもそも彼女は何者なのか。


 ぱっと考えただけでこれだけの疑問が浮かぶ。これでは、フィネやアステルについての謎がさらに深まってしまっただけではないのか。

 まあ、ただの町の住人である爺さんをあてにした俺も間違っていたわけなのだが。


 不意に、路地の奥まった方から、複数人の怒鳴り声らしきものが聞こえてきた。


「なんだ、喧嘩か?」


 ため息をつく爺さん。


「またあいつらか。……お前さん、荒事は得意かの」

 突然の発言に面食らう。「お、おう。それなりにはな」


「ここいらで名の知れた不良どもだ。儂のようなおいぼれや子供相手に調子に乗っている連中じゃ、どうにか成敗してはくれぬか」

 勝てるかどうかはさておき、俺は問いかけた。


「別に構わないが……いいのか?俺はここの人間じゃないし、下手にかかわるのはアレかと思うんだが……」


 すると老人はゆっくりと頷き、


「わかっておったわい。じゃがな肝に銘じろ、決してそのことを他の住民の前で口にするでないぞ」


「……あんた、」

「儂らの日頃の鬱憤を、かわりに晴らしてきておくれ。では達者でな!ほら早ういかんか!」


 質問させる暇も取らせずに、背中をバシバシ叩いて俺を送り出した。


 どうにも腑に落ちない俺が振り返ると、そこには誰の面影も残されてはおらず、空の結界越しに暖かな陽光がたゆたうのみだった。

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嘘と誠のアルメリア ぷらちな @pulatina

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