36・疑問
「自己紹介が済んでいなかったね。私はフィネ、ここ”アステル”の管理をしている者だ」
そう言う彼女は、少し波がかった髪と柔らかく微笑んだ表情に、大きな丸眼鏡が似合う女性だった。
「お、おう、よろしく……いや待て。どこで俺たちのことを知った。それに管理ってのはどう言う……?」
「一つずつ説明していこうか。聞きたいことは山ほどあるだろうからね」
突拍子もない自己紹介に面食らった俺を軽く制して、茶を口に含んだ。
「アステルは三大陸のうち”ニルグレス”の最東端に位置する、ごく小さな町のことだよ。聞いたことはあるかな?」
以前、エリスから教えてもらったことがあったような。たしか、
「ハピルの真反対じゃないか。それなりに奴らの捜索の手は広がっていたはずなんだが……」
「現時点では綺麗に撒けているよ。捜索網は、北西側……リアーナやハピルから海岸線沿いに広がっていくから、君たちが休息をとる時間くらいは充分にあると思うかな」
”君たち”と言う台詞に自然と反応してしまう。
「てことは、エリスも無事なんだな?」
「やっぱり先に伝えておくべきだったね。君が落ち着いてくれないと、ゆっくりお茶することもできないよ」
ふふと笑うと、音もなく立ち上がる。
「会わせてあげよう。但し、触れてはいけない、話しかけるのもいけないよ。万が一目を覚ましたら悲惨なことになってしまうからね」
打って変わった真剣な表情に、俺は問い返すことが出来なかった。俺より若干背の高い後ろ姿を追いかける。つい数分前に渡った廊下を戻り、向こうの突き当りを目指すようだ。
不意に、フィネが話しかけてきた。
「心配させるようなことを言ってしまったかな。快方に向かっている、とは言い難い容体なんだ。死んでしまう事は無いけれどもね」「……」「あの赤髮の少女の術法が原因なんだけれど……まあ、詳しいことは会ってみてからかな」
レオナのことか。最後に放っていたあの闘気……今となっては彼女の能力を推察する術は無いが、もろに受けたエリスにとってはよほど強烈な一撃であったことに間違いはない。
「それに関して、先の戦闘で二つ、おかしな点があるんだ」
「……というと」
続けて発せられたのは、少し不気味さを感じさせる言葉だった。
「一つ。あの女の子……レオナには二種類の術がかかっていた。……二つ。私はこう見えて、それなりに人生を歩んできたつもりだったんだけど……術者当人に対して、直接的に能力を付与できる人間を見たことがないんだ」
一瞬、理解が遅れる。
「そうだね、嚙み砕いて説明すると、法術は、その法術を操る人間に対して効果を発揮しないという事かな。君の強化術は君自身に使用できないだろう?エリス君は地震に治癒術を用いることは不可能だし、ホノカ君は自分の身体を凍らせることは出来ない」
「……何故ホノカの事まで知っている」
「私はこの街の管理者だからね。知らないことなんてないのさ」
「……」
「レオナという少女は、己の術を自身に向けて使用していたと推測している。具体的に何がとは言えないのだけれど、あの異質さは、そうでもしないと説明がつかない」
彼女の口ぶりからして、法術の類に通じている人物なのだろうか。ともかく、率直に表現するとすれば、
「しかしそんな事は有り得ない。そんな意味不明な法術は存在しないはずなんだ」
「存在しない……?そりゃありえないと思うが……あんたが目撃したことなんだろ?」
「中々面白い返答をするみたいだね。そう、有り得ないんだ。少なくとも私の人生経験上の話ではあるけれどね」
「種や仕掛けの一つくらいは見つかりそうだが……」
「絶賛検討中だよ。後で君にも手伝ってもらう予定だから、よろしくね」
「お、お手柔らかに……」
にこりと振り向いた彼女から得体の知れない波動を感じ、思わず後ずさる。
「中々面白い返答をするようだね」
「さて。現実に引き戻すようで申し訳ないけれど……到着したよ」
更に数分後、俺達は一つの扉の前で立ち止まった。
「いいかい?極力静かにするようにね」「分かってる」
漆でてらてらと光るノブを回し、中に踏み込む。
そこには俺が寝ていた部屋とうり二つの構造、装飾品の数々……容易に聞き分けられる程の、ごく僅かな音数。
その一つが背後から囁く。
「君のいた部屋と同じ呪いがかけてあるんだ」
”まじない”という聞きなれない単語が脳内で反芻される。再び、あの部屋で感じた緊張。
逸る気持ちを抑え、相棒を探す。
「エリス……」
純白のベッドの上で、丸まって寝息を立てるエリスの姿があった。布団からはみ出ている手足からは、目立った外傷は確認できない。
そっと布団をかけ直してやりながら、フィネが言った。
「先刻の少女の術は、対象の内側に損傷を与えるもののようなんだ。臓器や筋肉を破壊し、精神状態にも悪影響を及ぼしている。短くてもあと一週間は目を覚まさないだろうね」
相手の体内を砕く術……
ふと、脳裏に疑問が浮かんだ気がした。言葉には出来ないが、少し違和感を覚えるしこりのようなもの。
「心配いらないよ。外からできる処置は全て施したし、彼女の回復力には目を見張るものがあるからね」
「そうか……」
思考を一旦遮って、彼女の言葉に耳を傾ける。それでは確かに、下手にこちらからエリスに触れるのは避けたほうが良さそうだ。
「この場で手を握るくらいは許可してあげられるけれど、するかい?」
「余計なお世話だ」
「んぅ……」
窓から差し込んだ光が、少女の瞼を優しく撫でた。ふかふかの枕に、気持ちよさそうに顔をうずめる。
「ぐっすり眠っているね。しかし、君もエリス君も凄まじい耐久性だ……並みの人間なら即死だっただろうね」「はは、そりゃどうも……」
そう言われたところで俺だってただの人間だ、全くもって他人事ではない。
それから静かな時が流れ、室内に差す日光が僅かに強くなった。まるで異世界のような場所ではあるが、時間の経過くらいは感じとれるらしい。
「うん。エリス君の容態を把握できたことだし、アステルを散策してきてみてはどうかな。気になることはまだ沢山あるのだろう?」
「あんたこの街の統括なんだろ、余所者が勝手に出歩いても大丈夫なのか?」
「私が許可を出したんだ。時間もあるし、何も問題はないさ」
そう言って、フィネは悪戯ぽく笑みを浮かべる。
「アステル。そして私に秘められた、面白い事象を知れるかもしれない。君自身に興味があるかは置いといて……ね」
かくして俺は、この奇妙な街に繰り出したのだった。俺の安易な行動が、まさかあんな事件に発展するとも知らずに……
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