35・黙考

「ね、アスタ」

「ん?」

「退屈だね?」

「……まあ、この警備さえ終わればお待ちかねの舞踏会に行けるんだぞ。頑張れ」

「うー……」


「な、エリス」

「どうしたの?」

「この蔵の中って何が入ってるんだろうな……」

「もう、そういう事ばっかり考えるんだから。開けちゃだめです」

「はは、冗談だ」


「ね、アスタ」

「何だ?」

「もしわたしが、キミの隣からいなくなっちゃったらどうする?」

「いや……連れ戻すだろ。お前だけ楽しようたってそうはいかんぞ」

「む。今の話じゃなくて……わたしがある日突然消えちゃったら、アスタはそれからどうやって過ごすのかなーって」

「変な質問だな。そりゃ勿論追いかけるさ」

「ほんとに?内緒であの世に行ってたとしても?」

「あぁ。天国だろうが地獄だろうが追い回して、なんでそんな事を聞こうと思ったのか死ぬまで問いただしてやる」

「あはは。天国とか地獄にいたら、死ぬまでというかもう死んじゃってるよ」

「……確かに。で、お前はどういう意図でこの質問をしたんだ?」

「んー何と無く?かな?だってすることないんだもん」

「……」

「……退屈だね?」

「退屈だな……」




「さ、次はあんたが死ぬ番よ」

 エリスという存在は、俺の記憶に存在する短い人生そのものだ。


 俺はこれまでに、エリスとどれだけの会話をしてきたのだろう。記憶をなくしていた俺が現在持てる知識や技術は、すべて彼女から得たものだ。その大半が、実生活で役に立たない、下らない豆知識だったりするのだが。


 ふと、以前のエリスとの会話が頭の中で再生された。


 あいつは天国に行けるんだろうか?それとも地獄へ落ちてしまうのだろうか。彼女が倒れてしまった今も尚、その身を案じている自分に少しばかり呆れる。いつからこんなに心配性になってしまったんだろう。……しかし、それを確かめる方法はすぐ目の前に存在していた。


 どの道、エリスのいない世界で生き続けられる自信は、俺にはなかった。


「ほんとは、あんたは殺しちゃダメって聞いてきたんだけれど。……あたしには詳しいワケも教えてくれないし、もうどうでもいいわ。ちょっと叱られればすむ話だものね」


 という事は、この少女はリアーナからの追手だったのか。彼女の手のひらが鈍色に包まれていくのを眺めながら、ぼんやりとした頭のなかを思考が巡る。


 少々違和感が残った。リアーナの皇女様は俺のことを生け捕りにしようとしていたはずだ。あれほどまでこの身に執着していた彼女が、”殺してはいけない”などという確実でない命令を下すのだろうか。しかも女王本人はこの場におらず、現に今、彼女の部下が命令を無視して俺を殺そうとしているのだ。


 そう言えば。他にもエリス一人のみを狙い、俺には手を出さないと語っていた人物がいたような。確か……


 結局、思い出すことは出来ないままその時はやってきた。なんにせよ、エリスはもう帰ってはこない。初めて、自分が泣いていることに気が付いた。視界がぼやけ、相手の表情は読み取れない。


 やがてレオナは手刀を振りかざし、こう告げた。

「じゃあね」


 瞼を閉じる。


 今度は俺が彼女を探そう。四年前、エリスが俺を見つけてくれたように。


 …………しかし、いつまで経っても俺の五感は途切れることが無かった。「……?」訝しみ、目を開いた次の瞬間。


「何とか間に合ったようだね……危なかった」

 世界は黄金に染まっていた。周囲の空間はまるで意識を持ったかの如く脈打ち、その中央には長大な得物を携えた一人の人物。


「これは……」

 唖然として周囲を見回し、更なる異変に気が付いた。レオナの動きが手刀を振りかざした状態で停止していたのだ。――いや。俺と、この現象を引き起こしたであろう人物を除いた全ての動きが、極端に遅くなっていると言うべきだろうか。レオナの赤髪や、舞っている木の葉の動きからそれが見て取れる。すると、前方に佇んでいた”声の主”は振り返って矢継ぎ早に告げた。


「その子を連れて逃げるんだ。立てるかい?」

 その姿は足まで届く長い外套に隠れて確認することは出来ない。その声から女性だと判別できる程度だ。


「あ、あぁ……けど、エリスは……」

 まさに神の助けとでも呼ぶべき介入ではあるが、少しだけ、ほんの少しだけ遅かったようだ。


 だがうなだれ、途切れてしまった俺の言葉を、彼女は励ますかのように継いだのだ。


「まだ息はある。諦めるのは後回しにしてみてはどうかな?」「……!!」


 うずくまっているエリスのもとへ慌てて駆け寄る。

「エリス!」あちこちの打ち身や内出血による痣が痛々しいが、大きく目立った外傷は見受けられない。そして俺の呼びかけに応えてくれたのか、彼女の胸は微かに上下していた。緊張からどっと解放される。


「流石に重症であることに変わりはないけど……って、しっかりするんだ!ここで君まで倒れたら……」

 疲労からか安堵感からか、その声を聴くより早く、俺の意識はゆっくりと現実から遠ざかって行ってしまった。


 そうだ、あいつはこんな事で倒されるようなタマではないのだ。俺には教えてほしいことだってまだまだ沢山ある。仕事のこと、薬のこと。まだ行ったことのない国のこと、ラヴェスケープのこと。全部あいつの口から聞けるまで、俺達はどこまでも……






 カチ、カチ。


 一定の間隔で鳴り続ける硬い音で目を覚ました。


「ここは……」

 不思議な空間だった。木造りの床や天井は木目が目立ち、常に視線を投げかけられている感覚。周りの背の低い棚や壁には色とりどりの塊が無数に並べられ、それらの光景を窓からさす夕陽が包み込む。ベッドから降りて棚へ向かい、金属でできた球体を手に取ってみる。どうやらこの世界全土を模した地図のようだ。青色の装飾が細かくあしらわれており、刻まれているいくつかの単語。この部屋にひしめいている雑多な雑貨達は、占いや法術に用いる道具の類なのだろう。そういったものに疎い俺の目でもそう認識できる。


 そもそも俺はなぜこのような場所にいるのだろうか。


 あの人物が気を失ってしまった自分を介抱してくれたのだと思ったが、当の彼女と、それにエリスの姿も見えない。


 緊張と少しの孤独感を味わいつつ、出口を探す。先の戦いでの怪我が痛むが、歩き回る分には問題ないだろう。エリスの容態や追手の状況、気にかかることは山ほどある。


 想像していたよりも広い部屋のようだった。片付いていたのはベッドの周りだけだったらしく、多種多様な物たちをかき分けて進まなくてはならない。漸く、蹴ってしまった宝石箱から中身をぶちまけながらも壁に触れることに成功した。そのまま壁伝いに歩いていくと、指先にドアのノブらしきものが当たった。

「おわっ」


 水晶や大量の貝殻と共に外界へ転がり出る。あとでこっそり片付けておかなければ。

 今度はどこまでも果てしなく伸びる廊下が目に映った。これまた不思議な場所である。天井は見上げるほど高く、アーチ状に支えられた骨組みや、同じく見上げるほどに長い窓枠の微細な装飾は、高貴さのそれとはまた違った品の良さを醸し出している。


 そして特筆すべきはこの”色”だ。純金と、若葉の淡い緑をかき混ぜたような、そんな真鍮色に染まっているのだ。一応、窓から光は差し込んでいるものの、建材等、そして空気そのものまでもが綺麗に浸っていた。


 一定間隔に置かれた観葉植物を眺めながら歩を進めていく。敷かれた分厚い絨毯で足音が埋もれ、辺りを静寂が満たしている。途中で幾つか戸を発見したのだが、全て鍵がかけられていた。とすれば、遥か前方に窺える物々しい扉……あそこにエリス達がいるのかもしれない。


 若干速まった鼓動を抑え、先を急ぐ。


「ふうむ……」

 果たして到着した扉に手をかけるが、びくともすることはなかった。廊下はここで行き止まりになっており、他に脇道などは無いようだ。


「反対側に行ってみるしかないか……」

 落胆し、踵を返したその時。


「や、待ちたまえ。君のほうから来てくれるとは思わなかった。直ぐに開錠するよ」


 扉の向こうから例の声が聞こえた。直後にかちりと鍵の回る音がし、物音ひとつ立てずに新たな景色が広がった。


「やっぱりだな。あの時の……」

「具合はどうかな?その様子であれば問題なさそうだけど」

「まだ礼を言えてなかったならな。……すまない、あんたのおかげで命拾いした」


 俺の視線の先、小さな椅子に腰掛けていた女性が静かに微笑む。

「うん、どういたしまして。聞きたいことは沢山あるだろうけど、先にお茶にしようか。座って待っていておくれ」


 そう言い残すと部屋の隅へと消えてしまった。不安と心配をまくし立てたい気持ちを一旦落ち着かせて、彼女の座っていた向かいに腰を下ろした。


 ここも例にもれず、真鍮を溶かし込んだかのような部屋だった。先の廊下に似た特徴的な木組み。正面の壁には巨大な円盤時計が設置されていて、他には幾つかの本棚がある程度だ。次に目の前の、小さな作業机の上に置かれた物体達に目を引かれる。武器や楽器でもなさそうな、用途のわからないからくりが所狭しと積まれていた。


「気になるようだね」


 ふと背後から話しかけられる。そちらを振り返ると、丸眼鏡の奥からこちらを覗き込む彼女の姿があった。茶を淹れてきたらしく、片方のカップを手渡してくる。

「確かに気にはなるが、今は」


 軽く手を挙げ、そう切り出した俺を制した。

「アスタ君だね。想像していた通りの人物でほっとしたよ」「……!」


 俺の名前を知っているのか。あの窮地でいつ名乗ったと言う記憶もないし、全くの初対面のはずなのだが……


 動揺を隠せない様子の俺を見ると、彼女は少しばかり得意そうに微笑んでみせた。


「私はオロンス・フィネ。この”アステル”を管理しているものだ」

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