34 ・ 追いかけっこ
地面を思い切り蹴り飛ばし、間合いを詰める。
「ふっ......!」
俺が繰り出した長剣での突きは難なく躱され、再び距離を取られてしまった。
それならばと懐から両手にナイフを掴む。狙うは腹や腿だ。身体を大きく捻らなければ回避するのは難しい。
瞬きする程度の時間差をつけ、纏めて投げ飛ばす。しかし少女は驚く素振りも見せることなく、
「あはっ!」
あろう事か、衣装の裾でそれらを全て叩き落としたのだ。刃を受け止めた筈の生地には切込み一つ入っていない。両手で足元を払いながら、ぷりぷりと怒ってみせる。
「ちょっとあんた、ドレスに傷がついたらどうしてくれるのよ!有り得ないくらい高価なんだから!」
「......ならもっと大事に扱ったらどうなんだ」
「ふん。布切れひとつも切れないような輩じゃお話にならないわ。邪魔よ」
その言葉が攻守交替の合図となる。今度はレオナがこちらに向かって突撃してきた。刃を盾にして構える俺に対し、素手での攻撃……長剣に少女の指が触れた瞬間、「ハッ!」その華奢な体躯からは想像も付かない凄まじい衝撃が腕から伝わり、後方へ吹き飛ばされた。身体が宙を待っている間にも、追い撃ちを仕掛けるべく少女が走る。
「……ッ」
靴が地面を叩くのと、腹部に掌底を叩き込まれるのとはほぼ同時だった。呼吸が止まり、その場に崩れ落ちてしまう。
なんて馬鹿力だ!俺やエリスは当然ながら、下手をするとあのホノカでさえ比較にならない程の膂力である。
「アスタ!」「……駄目だ、来るな!」
俺の背後からエリスが突撃しようとするのを、声を無理矢理に張って踏み止まらせる。今二人で相手にかかった所で纏めて潰される可能性は高かった。ならばどうするか。
「エリス、“あれ”寄越せ!」
「ん!」
彼女が転がした物を剣で跳ね上げ、手に握り込んだ。その様子を見物するレオナは、こちらを訝しむ表情すら見せない。
「ふうん……そうね、諦めずに向かってらっしゃい。男のくせして、すぐにへばっちゃ詰まらないんだから」
「心配しなくて良いぞ。ここから本番だ」
似たような修羅場は幾つも潜り抜けて来たのだ。躊躇する事なく前へ踏み出し、ナイフを連投。レオナが煩わしそうに片手で弾くと、真後ろから瞬時に二本目が飛来する。全神経を集中させての投擲。僅かな時間差をもって突如現れたそれに、少女が初めて焦りの色を見せた。「.....調子に乗るな!」片脚を高く蹴り上げて二投目を防ぐーーが、重なるように飛び出してきたのは、三本目の刃。
俺自身も飛び出す。見事命中した攻撃に苦悶の表情を浮かべるレオナのもう片足を掬い、おまけとばかりに剣の腹を叩きつけると、華奢な身体が大きく宙に浮く。
「おぉっ!!」
今!
俺は両眼を瞑り、握りしめていた”あれ”を、少女の真上へと投げつけた。すると、少しだけ間を置いて。
ーーキイィィン!!
劈くような金属音と共に、瞼の裏が真紅に染め上げられた!
例の如く、エリスお手製の「目眩し」である。どんな生き物であろうとも、こいつをもろに喰らってはひとたまりもない。
「行けるよっ!」「おう!」こちらに向かって馬を走らせるエリスの声に応じ、伸ばされた腕を握り返した。馬の背に飛び乗り、彼女は俺の脚の間に上手くおさまる。
レオナと名乗った少女がどのような素性の人間か分からない以上は、勝つ見込みの薄い戦闘を続けるのは悪手だろう。もう既に、どこからか増援が迫っているかもしれないからだ。
「よし、逃げるぞ!」
エリスが足元に煙幕をばら撒く。手綱を強く弾くと、馬が急加速した。追跡の目を逃れるために林道を逸れ、木々を縫って走り抜けていく。しかし、俺達の逃走劇は、序盤にして終幕を迎えつつあった。
幾らも進まない内に、馬諸共、派手に転倒してしまったのだ。少女を抱き抱え、庇うように坂を転がる。
「何が起こった......?」
目を回したエリスを抱き起こす。状況が把握出来ないままに辺りを見回すと、目に飛び込んできたのは衝撃的な光景だった。
馬の首から上が無くなっていた。転んだ際に撒き散らされた体液が草木を血色に染め、目を覆いたくなる凄惨な様相を呈していた。
そして、次に目に入ったのはその断面だ。スッパリと刃物で切断された綺麗なものではなく、何かとんでもない力で引きちぎられたかのような......
「アスタ、これって.....」
「......逃走失敗だな」
周囲の煙幕が徐々に晴れ、一つの陰がゆらりと姿を現す。
「なんで逃げようだなんて真似するのよ。折角面白くなってきたところだったのに......ついカッとなってやっちゃったじゃない」
「どんな男でも、それじゃあ怖くて近寄れないだろうな」
口ではそう言って見せたものの、首筋を冷や汗がつたっていく。それに舌を巻くべきは少女の瞬発力の方にあるのではないか......片足を怪我した状態で、全速力で疾駆する馬に追いつけるなどと想像出来るはずもない。
俺はエリスを下がらせてから剣を抜き、静かに構える。
「一々癪に障る男ね。私はあんたなんかと違って相手に困ったりしていないわ」
そう吐き捨てる彼女の様子が、先程と違う。
こちらをじっと見つめる両眼は仄かに青黒く変化し、周囲の空気がゆらゆらと歪んでいく。尋常では無い程の殺気。
同じく隣で何かを察したらしいエリスが、静かに言った。
「アスタ......わたしに強化術を使って。ありったけの力を込めて」
彼女の提案が最善手だと言う事は分かっていた。先刻の投げナイフはあくまでも相手の意表をついただけに過ぎない......同じような手は二度と通用しないだろう。単純な戦闘能力で劣るなら、機転が利き、臨機応変に対応できるエリスを前へ出させるべきだ。だが、奴の狙いはそのエリス当人である。
「出来ない」
「でも、このままじゃ結局逃げられないの。それはキミも理解してるはずだよ」
「しかしだな、」
「大丈夫。今回だけでいいから、信じてほしいな......お願い」
一度は首を振ったものの、そう食い下がられては頷く他なかった。一歩退き、エリスの肩にそっと手を乗せた。少女の身体や、淡い金髪に赤色の闘気が混ざり合う。
この場の緊張に耐えかねた大気や木々が、ざわと身を震わすと、
「行くよ!」
それを皮切りに、彼女は短剣を抜き、突撃した。
渾身の突きを上体の動きのみで避けられるが、それを追いかけるようにエリスは真横に薙ぎ払う。相手に反撃の暇を与えぬべく、何度も何度も急所を狙い、剣閃が残像となって幾重にも重なり合っていく。
全力の術法を行使し、反動で視界が明滅する。朦朧とした意識の中、その場に膝をつきたくなるのをぐっと堪えた。二人の戦闘を見届けなくては......ここで俺が倒れてしまっては元も子も無い。
この時点では、息もつかせぬ追撃を繰り出すエリスの優勢に見えた。
「......ッ!!」
レオナが強引に割り込ませた攻撃を、素早く地面に伏せて避けた。そこから敵の顎へ向けて、両足での蹴りが伸びる。いつかの攻防でも見せた技。
戦況が一変したのはここからだった。
「なんっ......」
彼女の突き上げを、レオナはナイフが刺さったままの膝で受け止めたのだ。続けて力任せに振り払うと、無理な体勢のエリスは遥か遠くへ吹き飛ばされた。
「エリス!!」
「あーあ、つまんないつまんないつまんない!そんなんじゃ直ぐに殺しちゃいそうだわ!もっと頑張りなさいよ、ほら!」
木にもたれてぐったりしているエリスにそう叫ぶと、楽しそうにけらけらと笑い声を上げた。そして、ふと足に食いついている刃を一瞥すると、
「あんたも、こんなオモチャであたしの相手になるだなんて......笑わせてくれるわ」
俺の肩に衝撃が伝わり、それは直後、灼熱の痛みに豹変した。レオナはナイフを抜く手も見せずに、俺に投げ返して来たのだ。適当な放り投げ等とは思えぬ位に深々と突き刺さる。
「ぐっ!」
「はっ.....不甲斐ない男ね。先ずはあなたからよ」
喉元にひんやりとした感触。俺の長剣の切っ先が突きつけられた。いつの間に奪われてしまっていたのか、それすらも分からなかった。
山吹色の髪の少女はにこりと微笑んで見せると、
「あたしの身体に傷付けた代償は重いわ。じゃあね、お兄さん」
そして、当てられた刃に力が掛るーー
「だめぇぇ!!!」
しかし剣は軌道を大きく逸れ、俺の頬を掠めていった。
側面から体当たりをもらい、地面を転がったレオナが飛び起きる。こちらに向けていた笑顔とは打って変わって、凄まじい形相でエリスを睨みつけた。その周囲では銀に輝く光が巻き上がっていく。ここに来て漸く本気を見せたらしい。そう言えば、彼女の能力は一体どの様なものだったのだろうか.....?今更考えてももう遅いか。
今の俺に、エリスを助けることは出来ない。
「......なによ、何なのよ!どうして邪魔するのよ、黙って見てなさいよ......あんたもどうせ死ぬんだから!」
叫ぶと共に爆音が響き、放たれた矢の如く獲物の目前まで迫る。
「エリス!」
俺の悲痛な呼び掛けへの返事は、至って穏やかなものだった。
「そんなに心配しないで。......わたしは、逃げない。.....アスタを守るって、誓ったの。だってわたしは、キミの保護者なんだからね」
両の手を広げ、俺の前に立ち塞がる華奢な身体は、掌から放たれた鈍色の波動に撃ち抜かれた。
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