昭和生まれより平成生まれの方が優秀な気がして

ひとみ せいじ

第1話 昭和生まれより平成生まれの方が優秀な気がして

 筆者はいわゆる就職氷河期の世代(※就職氷河期の世代とは概ね1972年(昭和47年)から1984年(昭和59年)までに生まれて就職難を迎えた世代を言う)である。


 筆者個人は会社にて管理部門で働いている。勢い、あらゆる世代から会社に対する不平不満をぶつけられる。その中で、どうしても世代的傾向というものに、意識が向いてしまうのは、恐らく自分の性分というか、世の中を見る方法として自然と養われたものかと思う。


 その中で表題の、昭和生まれより平成生まれの方が優秀なのではないかとの思いが、段々とつのるようになった。


 いわゆる団塊の世代(※概ね1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している)という人々がいるが、彼らから不平不満をぶつけられる場合、どうも妙な反発心の中でものを言っているのだろうか、という偏見に似た思いを持つことがある。少し勉強した限りでは、彼らの世代は、更に上の、戦争を行った世代を批判することで、自分らの存在を認識する作業に明け暮れたらしい。なるほどと思った。彼ら団塊の世代というのは、批判をすることしか習っていないのか、と得心した次第だ。それなら意地悪も言ってしまいたくなるが、自分の上の世代を否定することに明け暮れていたのだから、当然自分たちが否定され続けることも覚悟しているのだろう、と思っていたが、どうもそうではないらしい。彼らほど自分たちに対する否定に弱い世代も無いのではないか、と今のところ観察している。

 ともかくは、上の世代を否定し続けた世代というものを、一体どこから肯定したら良いのか、皆目見当が付かぬ、という心境を持つに至った。


 次にバブル世代(※概ね1965年(昭和40年)~1971年(昭和48年)生まれ)という人々が居た。彼達の特徴は、ともかく福利厚生にがめついことだ。何故そんな分不相応な要求が出来るのだろうと、筆者がポカンとしてしまったことは、一度や二度ではない。恐らくだが、彼らはバブル景気が華やかな頃の、若い自分が受けた福利厚生が忘れられないのではないか。忘れられないのは構わないが、それを自分の実力と、いつまでも勘違いしている世代だと思った。景気に彩られた分不相応で贅沢な待遇が、たまたまそこに転がっていただけなのだろうと、筆者は疑っている。


 我々就職氷河期世代も微妙である。苦労はしてきているが、少し上のバブル世代の上司から、社会人としての心得などを習得しているせいか、要求はどこか強気にするところがある。勘違いはしていないが、表面上余裕があるように取り繕う癖がある、とでも言ったら良いだろうか。


 そこへいくと平成一桁生まれの社会人は、ゆとり世代とも叩かれてきたせいでもあるのだろう、ともかくは謙虚という言葉がしっくりくる。時々トンチンカンなことを言う子もいるが、それでも分不相応というところを逸脱することは無い。これ、とても凄いことだと思う。自分を冷静に客観視出来ているのだ。今まで語ってきた昭和の世代のような、肥大した自意識が無い。無いのではないだろうが、それを社会にぶつけるような、情けない行動を取らない。全員では無いだろうが、なかにはきっちり爪を研いでいるのだろう、と思うような雰囲気を持つ子がいる。


 そんな平成一桁生まれの謙虚は、社会にて恐らくとても大きく花開く可能性がある。生活の中に世代の対立などという課題はほとんど顕在化しないが、社会で彼達と関わった限りでは、平成生まれが昭和生まれをことごとく凌駕していく様が思い浮かんだ。


 こちらカクヨムでも平成一桁生まれが奮闘しているだろう。心から応援したい。


 ちなみに筆者は平成10年代生まれの若者と直接触れ合ったことが無い。どのような世代として今後社会で存在感を発揮していくのか、こちらも注目している。

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