クラスメイトがクジラになる話

じんたね

 ――今度のクジラは、立花ちゃんなんだって。

 新学期を迎えて、とても寒くて空気もからからしている4年1組の教室に入ると、クラスのみんながその話ばっかりしていた。ぼくは聞き耳を立てながら自分の机に向かい、そこにランドセルを置く。

「聞いた? あいつクジラになるんだって」

 ぼくの友達は横目で、クラスにいる六花ちゃんを見ながら聞いてきた。

 聞き流しながらランドセルから1時間目の国語の教科書を出す。

「驚かねえの? ここら辺からは3年ぶりなんだぞ?」

 友達は目を輝かせている。

「ううん、別に」

 でもぼくはじっと教科書を見つめながら適当に返事をするだけだった。



「今日はみなさんに大切なお話があります」

 国語の時間が始まるまえに、担任の先生があの話に触れてくる。

「私達の立花さんがクジラになることが決まりました。予定日は2ヶ月後です。みなさん、六花さんの送迎会を開こうと思いますが、どうですか?」

「さんせーい!」

「ほんとー? すごいね、立花ちゃん」

 本当はもう知っていたはずのことに改めて驚いて見せたクラスの女の子2人、五徳さんと四頭さんがキラキラした視線を、担任の先生と六花ちゃんの両方に送っている。

「六花さん、よかったですね。クラスのみんなが送り出してくれていますよ」

「……」

 立花ちゃんは教室の端っこで静かにうなずいた。



「ねえねえ、立花ちゃんは誰が好きだったの?」

 あの女の子のうちの1人、五徳さんが六花ちゃんの顔を覗き込みながら聞いている。

 もう午前中の授業は終わっていて、今はお昼休み。

 立花ちゃんがクジラになるということ、その気持ちはどうなのか、どんな準備をしているのか、とにかくあれこれと質問をしていた。立花ちゃんは教室の中心で、みんなに囲まれながらまごまごしている。その様子は別にいつもと一緒だった。控えめで授業でもあんまりしゃべらない立花ちゃんは、目をつむったり振りむいたりすると鈴の音がする、きれいな子だった。

「好きとか、私は……」

 立花ちゃんはしゅんと頷いてしまう。

 これもいつもの会話で、立花ちゃんは五徳さんと同じ女子グループといつも一緒にいたし、こんな風に返事に困っていることがしょっちょうだ。

「うそうそー、絶対いるって」

「バレンタインデーのとき、チョコ作ってたじゃない」

「クジラになるんだったら、もう教えてくれてもいいでしょ? クジラになったら人間だったときのこと忘れちゃうんだし」

 五徳さんとそのお友達のみんなが、立花ちゃんの周りを所狭しと囲んでいる。

「ううん、いないから、本当に……」

 六花ちゃんはちりんと鈴の音を立てながら、さらに深く下を向いてしまう。

(ねえってば、――君)

 五徳さんと一番の友達で元気のいい女の子――四頭さんがぼくを見ないまま、肘でつっついてくる。しかも小声で耳打ちするように。

(立花のこと、どう思うの)

(どうって、別に)

(立花ってかわいいよね、クジラになるんだから、本当のこと言っちゃえば?)

 四頭さんにはもう想定している答えがあるみたいだった。なんだ。そういうことなのか。

 でも、ぼくはそんなふうに立花ちゃんのことを見たことなかったし、そういうことはよくわからない。女の子に合わせて話をすることはあるけれど。家で畳のうえで寝っ転がったり、プラモデルを組み立てたり、一人でいるときのほうが楽しい。

「ごめんごめん、じゃあこの話はなし。ちゃんと送迎会の話をしようよ」

 五徳さんは四頭さんを横目で見ながら話題を変えた。

 言葉もかわさないで、お互いに考えていることが分かるなんて。五徳さんと四頭さんはすごいな、と心のなかで思った。2人の女の子を囲んでいるみんなが、一斉にほっとため息をこぼす。

 ぼくも安心した。立花ちゃんが困っている風に見えたから。

 ――ちりん

 教室の中心から鈴の音が聞こえてきた。うつむいたままの立花ちゃんが、体の向きをこっちに変えたような気がした。



『クジラになるとき』

 ぼくの目の前には、黒くて大きなマラカスのような形をしているクジラの木製模型が、天井から吊るされながら横たわっていた。

 あのあと、送別会の日程や内容を決めたぼくたちは、そのあと自由に帰っていった。みんなは立花ちゃんという新しいクラスの自慢に興奮していたし、その興奮にどう対応していいのか分からないみたいだった。

 ぼくはなんだか一緒に帰る気にはなれず、いつも向かっている下駄箱じゃなくて、学校の図書室に行った。図書館の入り口からは、小学校低学年の子どもでも手の届くように作られている、低めの本棚が平行に並んでいて、その先に『クジラ』コーナーがある。クジラの生活とか、クジラの危険、人間がどうやってクジラになっていくのか、そんなことが書かれてある本がいっぱいあるし、上から見たら長方形をしている図書室の一辺もある大きなクジラの模型が置かれてあるところだ。

『人間はクジラになります』

 クジラコーナーの図書を手にとって、最初の一行を読んでみた。

『いちどクジラになったら人間にはもどりません。少しずつ時間をかけてクジラになることもあれば、いきなりなることもあります。なので、クジラになることが決まった人は、水槽のなかで過ごしながら、いつクジラになってもよいように準備するのです』

 ぼくは本を閉じて、図書館をあとにした。



「立花、私たちを忘れないでね」

 教室のなかでは、ほとんどの人がすすり泣いていた。先生も涙ぐんでいる。

 今日は立花ちゃんを送りだす日。

 最初、先生が送別会の挨拶をし、それから1人ずつ寄せ書きを書いて、じゅんじゅんに立花ちゃんへの言葉を読みあげていっていた。はじめのほうは楽しそうにしゃべっていたのに、五徳さんが「もう会えないんだ」って言ったのがきっかけで、みんなすっかり静まり返ってしまった。

「うん、忘れないよ……」

 立花ちゃんはずっと表情を変えていない。みんながすすり泣いているのに、ほとんど何も態度を変えていなかった。

『クジラになっても鈴の音がするのかな』

 ぼくの寄せ書きは、その一言だけだった。

 別に言うこともなかったから。ぼくは立花ちゃんがいなくなることを悲しいと思ったり、逆に嬉しいって思ったりしなかった。

「ありがとう。みんなのことは絶対に忘れないよ」

 立花ちゃんは微笑みながらクラス全体を見回す。送別会用にデコレーションした紙で作った輪っかや黒板のメッセージなんかを確認するみたいに。

 担任の先生は、一段と大きな声ですすり泣き始めた。



『クジラパークへようこそ!』

 担任の先生にちょっと強引にタクシーで連れていかれたところの入口には、遊園地みたいにでっかくて派手なった看板があった。クジラパーク?

「――君、キミがここにいる理由、もう分かっているわよね?」

「はい」

「立花ちゃん、もうすぐクジラになるから、ここの水槽に入るの。お外には出られないの。四頭さんでも五徳さんでもだめだから、いい?」

「はい」

 ぼくの返事を聞くか聞かないかのところで、先生はぼくの手を引きながらクジラパークのなかに進んでいった。

 送別会が終わった次の日、朝起きて学校に行こうとしたら、玄関で先生が待っていた。タクシーも一緒で立花ちゃんに会いに行こうって、学校の授業はいいからって。

ぼくには全然意味が分からなかった。

 どうして立花ちゃんのところに行くんだろう。もう送別会は終わったはずなのに。

 けど、それはとても大事なことらしくて、そしてぼくじゃないとダメそうなことは、先生の真面目な顔から理解できていた。だから本当のことを聞かずに、そのままついていくことにした。



 クジラパークは本当に遊園地みたいだった。

 あっちこっちに人がたくさんいるし、クジラのかたちをした乗り物もたくさんあった。楽しい音楽も流れているし、お土産屋さんにもいろんなものがあった。乗り物のアトラクションはどこも海水の匂いがしてて、やっぱりクジラパークなんだなって思った。

 恋人みたいな人達や家族で来ているっぽい人達もいる。人混みがすごくで、先生についていって歩くときは、みんなの膝にぶつかっちゃわないかと心配で仕方なかった。

「ついたわよ」

 先生が足を止めた

 そこは端から端までが見えないくらい長い四角形の建物で、ところどころ、錆が浮いていた。なんとなく風が冷たい。

「さ、――君」

 先生は白くて大きな扉を、それにぴったりなくらい大きなハンドルを回しながら開けて、ぼくをなかに入れてくれた。

 ぼくが一歩足を入れると、スニーカーの裏から、しめったような冷たいような水の感触がのぼってきた。

 ――うわ。

 目の前にはとても、とても、「とても」という言い方だとうまく言えないくらい、とても大きな水槽があった。そのなかは熱帯魚を飼うときみたいに、いろんな色の草や飾りがあってきれいだ。

 ぼくが一歩また一歩と水槽に近づいていくと、なかから鈴の音が聞こえてきた。

 とても澄んだ音が聞こえてきたものだがら、ぼくはてっきり先生が鳴らしたのだと思ったけれど、先生は入口を閉めたっきり、その場に立って動いていない。

「――君」

 鈴の音に何かが混ざって聞こえてくる。

「――君」

 声だ。いつも聞いていた。

 もぞり、と水槽の奥から、黒いかたまりが近づいてきた。驚いてしまったぼくは、しりもちをついてしまう。地べたに座ったまま見上げたその先には、立花ちゃんがいた。

「うん、私だよ。驚いた?」

「立花ちゃん、水のなかでも息ができるの?」

 立ち上がりながら、ぼくはもう一度水槽に近づく。

「ううん」

「じゃ苦しい? 大丈夫?」

「平気」

 こぽこぽ、と立花ちゃんの口角からこぼれる泡を見ながら、ぼくはとても驚いていた。

「息はできないけど、そんな息継ぎしなくても苦しくないから……」

 こぽぽ。小さいダンゴムシみたいな大きさの泡が行列をつくりながら出てくる。

 立花ちゃんはちょっと困ったように水槽内を見回す。

「私、クジラになるのがちょっと不安で」

「泳げないから?」

 こぽっ、こぽぽっ。

 立花ちゃんはちょっと驚いたような懐かしいような顔をした。

「どうして知ってるの?」

「水泳の時間いっつも見学してたし、みんなでプールに行っても水着に着替えてなかったから」

「クジラになったら泳げるようになるのかな、私」

 両腕をひらひらと動かしてみせながら、立花ちゃんは困ったような顔を見せた。

「ごめんね、急に」

「どうして?」

「私ね、本当は呼びつけたりしたくなかったんだけど……」

 立花ちゃんは軽く膝を曲げると、ゆっくりと浮かんだ。

 浮かんだ、っていうのは違うかもしれない。水中なんだし。さっきまで二本足で立っていたように見せていただけなんだから。ふわふわと立花ちゃんは水中に立っている。両手は人間のそれだったけれど、スカートからしたはもう真っ黒で、学校の図書館でみたようなかたちに変化していた。

「クジラって、なるためにはきっかけがいるみたいなの」

「食べ物とか、そういうの?」

「ううん」

 立花ちゃんは両手をうまく使って、ぼくに近づいてくる。

 水槽のガラスを隔ててるけど、顔がもう目の前にあった。喉の奥で何かがひっかかったみたいになって声が出せない。

「私――」

 六花ちゃんがなにかを言いかけようとすると、ずぅんという地震みたいな大きな音が水槽の底から聞こえてきた。水槽内の水がすごい勢いで波打ちはじめて、上から飛び出してきた。

 夏の日にプールに飛び込んだときみたいに、強い力と痛さを頭に感じたと思ったら、いつの間にかそこらじゅうが水浸しになっていた。ぼくの全身もびっしょり。

 ――あ。

 気づいたら目の前には、図書館で見たような黒くて丸くて大きなクジラが一匹いた。もう六花ちゃんはいない。水槽の底がお菓子のケースの蓋みたいに、下のほうへと開いていくと、そのクジラは重さに任せるようにゆっくりと奥深くまで沈みだした。

 ぼくは両手をガラスに当てて、その姿を食い入るように見つめていた。



「ありがとう。――君のおかげで六花ちゃんは立派なクジラになれた」

 びしょびしょのままタクシーに乗った帰り道で、担任の先生が、流れる景色を見ながらぼそりと言った。

「……ぼくがきっかけなの?」

 その質問に先生は返事をしてくれなかった。

 ただ窓を開けて、外に広がる海面を見やっている。

 ――ちりん

 海の遠くのほうから、鈴の音が聞こえてきたような気がした。

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クラスメイトがクジラになる話 じんたね @jintane

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