2-4 一炊の夢

 色里での暮らしを”苦界”と断ずる声がある。

 無理もない。この業界は所詮、人気商売。時として生き馬の目を抜くことを求められる所だ。

 人気が高ければ一目置かれ、そうでなければ明日の食事にもことを欠く。


 さて。

 ここに、リリスという名の女夢魔サキュバスがいる。


「うふふふふ。ふひっ。うふふふふふふ」

「…………」

「ふふふふふ。あはははははははは! 笑いが止まらないったらないわね、ローシュさま!」

「ああ、――そうだねえ」


 いま彼女の花魁としての格は、”部屋持ち”から二ツ上がって”昼三”になっていた。

 この身分になると、自分の個室に加えて専用の座敷が与えられ、さらに配下として番頭新造が一人、複数の振袖新造、そして禿が数人、雑用係として常に身の回りを世話する立場になっている。

 いま、リリスはアラクネ(半人半蜘蛛)の少女たちに部屋の掃除をさせながら、どこぞの国のお姫様のようにふんぞり返っていた。

 そうしているとリリスのやつ、正月に飾られる鏡餅のようである。

 あれから十年の間で、こいつもずいぶんと肉を付けた。まあ、仕事に打ち込めば打ち込むほどにぷくぷく肥える”女夢魔”の宿命と言えるのかも知れないが、――。


「やっぱねー。……本当の苦労を知った者じゃないと、真の人格は身につかないってものよねー。そう思わない? お前たち」

「は、――はぁい!」


 背丈で言うと膝丈よりも少し高いくらいのアラクネたちが、一斉に返答する。


 アタシはというと、「真の人格、ねえ……」と呟いたきり、特に何も言わない。

 実際、彼女の稼ぎのお陰で、『魔性乃家』もずいぶん大きくなった。

 今やアタシの中見世は、天を衝くように巨大な高層建築物となっている。


 小説家の部屋を訪ねてから、 ――十年。


 その後のリリスの躍進たるや、他の追随を許さないでいた。

 ”魔族”専門の小さな見世が、今や通りに面したヨシワラ一の大見世である。


「いやー、やっぱり口コミで客を連れてくるのが一番だねえ! ねえローシュさま、きいた? 遣手やりてお婆の話だと、もう百年先まで予約待ちだってさ!」


 百年先、か。

 人間の寿命にして孫の代まで予約がいっぱいって、どういうことだよ。


「まあ、口コミ……というか。変態同士の連帯感のものすごさ、というか」


 最近ではもう、”寝取られ”性癖の界隈にいる者として、リリスの世話にならないでいる者はモグリだ、という話にまで広まりつつあった。


「いやあ。これまで密かに芸を磨いてきた甲斐があったものだわ!」

「アタシにゃあ、ただ昼寝していたようにしか見えなかったけど」

「それが芸を磨く時間だったって訳」

「あ、そうだったんだ」

「そうともよ!」


 なんか、後付け感が否めないのは気のせいだろうか。

 とはいえ、偉そうにするのは成功者の特権だ。

 リリスもそれをわかっているから、かなりいい気になっている。

 ……ちょっと引っかかるものを感じるけどね。


「それにしてもまさか、ここまであんたの新しい仕事が当たるとはね……」


 あの小説家が与えたのはちょっとしたヒントに過ぎなかったとはいえ、大したものだ。


「まあね。ちなみに最近では、『僕の方が先に好きだったのに』ってのも流行ってるのよ」

「なにそれ」

「言葉の通りよ。好きだった異性が自分よりイケてる同性の友人に取られちゃうの。自分はそれを、為す術なく眺めていることしかできないわけ」

「……それの、どこに快楽を得られる箇所があるんだ?」

「そりゃもう、愛する人が雑に扱われてるところを眺めたり。たまたま友人宅を訊ねたら二人がいて、なんだかひどく生臭い匂いがぷんぷんしたり。日に日に薄汚れていく愛する人を眺めながら、お客様は暗い悦びに浸るのね。『僕ならもっと彼女を幸せにしてやれるのに』って。最高でしょ?」

「へ、へえ……」


 そんなドス黒い快楽も食えるんだ。女夢魔って。


 この十年間、――リリスが狙った顧客層は”童貞”と呼ばれる連中であった。

 ”童貞”ってのは要するに、女を抱いたことのない男全般を指す。これはこの国においては、少々変わった身分であった。

 とある戯作に登場する女房同士のおしゃべりに、


『地女(素人娘)に手を出すような旦那は男らしくないね。男なら男らしく、金で女郎を買うくらいでなくちゃ』


 なーんて台詞が大真面目に登場するほど、ヒノモトの住人は女郎買いに寛容だ。

 夜鷹(私娼)を買えば蕎麦一杯と同額で女を抱ける世の中で、この”童貞”って称号は知識人の間である種、価値あるものになりつつあった。


 処女を尊ぶのであれば、その者も童貞でなくてはならぬ、というのだ。


 アタシみたいな仕事をしている者にとっては「うげげ」といった思想だが、リリスは見事、その”童貞”たちの需要をかっさらうことに成功したのである。


 以前にも何度か触れたとおり、リリスは夢の中で仕事を行う。つまり物理的な接触を行う必要はない。全て頭の中でのみ行われる交合であれば、”童貞”たちの潔癖も守られるということだった。



 ごろりと怠惰に寝転ぶリリスと、忙しく座敷部屋を掃除するアラクネたち。

 そんな絵面がしばらく続いて、日が傾き描けたころ。

 ふと、三人の来客が現れた。


「おじゃま」「ちょうしどう~」「ずいぶんとゴキゲンじゃん」


 湯屋で働くA子、B子、C子の三人組である。

 一昔前までは盆と正月くらいしか休みがなかった遊女たちも、最近では異人さんたちの慣例に従って、週一で休日が与えられるようになっていた。

 今日は休日を使って、リリスがちょっとした茶会を開くのである。

 名目は、以前ちょっとした相談に乗ってもらったことの感謝の意を伝えるため。

 だが実際には、何かと理由をつけて女子会を開きたがる遊女特有の性質のためであった。


「今日は来てくれてありがとー♪ お菓子はたくさん用意しといたから、是非たべてねー♪」


 机の上で山盛りにされているのは、全世界から集められた、色とりどりの駄菓子類。

 夢魔は物理的な食事で栄養を摂取することができないが、――娯楽として甘いものを好む。

 リリスが目の前のチョコレート菓子を手づかみで頬張ると、対する三人も、ニコニコ笑顔でそれに続いた。


「ところで」「今日は」「なんの御用だっけ?」

「ああ、――それはね。三人にはどうしても、感謝しとかなきゃって。以前、ちょっと相談に乗ってもらったでしょ」

「相談?」「そんなこと」「あったっけ?」

「うん。もう、あれから何年も経つんだけど、――道ばたで、短いやり取りをね。あれがきっかけで、自分なりのやり方を見つけようと思ったんだ」

「「「ふーん」」」


 と、三人、息を揃える。


「「「じゃ、見つけられたってことよね。あなたなりの道程を」」」

「うん。まーね!」

「「「そりゃよかった」」」


 そして、全く同じ顔で笑う三人組。


――ん?


 アタシが違和感を憶えたのは、その時だった。

 全く、以前と同じ。

 十年前と、変わらない顔。

 人族の顔つきには詳しくないが、連中の顔に変化が著しいことはよく知っている。

 女郎は市井の女に比べて遙かに若作りだが、だとしてもこれはおかしい。


「あんたら、――”ばけねこのつえ”を使ってるのかい?」

「いいえ」「あれをつかうと」「自分を見失うもの」

「そうか……」


 アタシは、渋い顔で眉間を揉んだ。


「おまえ……まさかとは思うけど」


 すると三人は、アタシにとっては見慣れた表情で、


「「「それに、もうそろそろカーテンコールが近いでしょう?」」」


 そう、唱和する。

 これはほとんど自供したようなものだ。


「どうしたの? かーてん……?」


 まあ、異国語に疎いリリスはわからなくても仕方ないか。


「”終幕”ってことさ」

「何が?」

「さあてね」


 アタシは適当に話を誤魔化して、


「ところで、ちょっと行かなくちゃならんところができた」

「えーっ。つまんないよぉ。もうちょっといてよお」

「我が儘言うんじゃないの」


 ぶぅぶぅ言うリリスを背に、アタシはさっさと座敷を後にする。

 廊下を横切って階下に降り、下駄を突っ掛けて土間を進み、ヨシワラを囲む外壁部に顔を出した。

 見上げると、おおよそ七メートルの高さの石積みの壁の上で、一人の女がぼんやり煙草を吹かしている。


 アタシはそれをちょっと見て、……少しだけ、周りに人がいないことを確認したあと、両足に渾身の力を込めた。

 そして、ぴょんと垂直に跳ね、ひとっ飛びで外壁の上に乗っかる。

 そこから見える光景に、


「――……ッ!」

 

 アタシはぎょっとして息を呑んだ。

 この十年間、一度として出かけることのなかったヨシワラの外。

 そこには今、全く空虚な空間が広がっていたのだ。

 ”世界の終わり”を思わせる白色を目の前にして、さすがのアタシも息を呑む。


 そのまま、外壁を伝って歩き、――


「……よう。ステラ」

「あら。ごきげんよう。ローシュ」


 リリスと同じく朱色の生地の打掛に、金と銀の糸で大胆に刺繍されているのは、伝説に伝わる救世主、――”ミロク”と呼ばれる菩薩ぼさつの図柄である。

 相場に出せばそれだけで城が買えるほどの特注品を気怠げに肩まではだけさせたステラは、ぼんやり夕陽と……ヨシワラの街並みを眺めていた。


「こうしてると、――若い頃を思い出すなあ」


 浅黒い肌。

 長い耳。

 暖かい風になびく銀髪。

 黙っている時の彼女は、付き合いの長いアタシですらドキリとしてしまう色気がある。


「ヨシワラがまだ、二万坪余りの小さな区画に過ぎなかったころ。あの時はお金もなくってさ。今も豊かって訳じゃないけど、あの頃よりはよっぽどマシだよね」

「ああ、そうだね」


 応えつつ、冷たい視線を友人に向ける。

 さすがに腹を立てずにはいられなかった。


「……だい」

「ん?」

「いつから、アタシとリリスをこの、――夢幻の世界に連れ込んでる?」

「ああ、それね」


 ステラは、わざとらしく口元を歪めて、


「十年前、格子戸の中でリリスが昼寝してた、あの時から」

「……”市場調査”のとき?」

「そう」


 うわあ。いかれてる、この女。

 と、いうことはアレか。


「小説家とのおしゃべりも、「通行人A」も、あの三人娘も……」

「ちょっとした名演だったでしょ」


 全部何もかも、こいつが作りだした茶番劇だったということか。


「一応、アタシはあんたの飼い主なんだぜ。飼い主に術をかけるやつがいるかねえ」

「別にいいじゃない。夢なんだし」

「そーいう問題じゃない。無駄に心が歳を取ってしまった気がする」

「それもだいじょうぶ。――”十年間”って言ったけど、その間の出来事はダイジェストってことにしたし。実際、この十年の記憶はほとんどぼんやりしてて、細かい想い出なんてないでしょう?」

「そういわれてみれば……」


 と、ちょっとだけ感心しかける。ついさっきまでは気にもしなかったんだが。

 案外、記憶っていい加減なものだね。


「それで、――なんでアタシまで巻き込んだのよ」

「ずっとそばにいる身近な人が必要だったの。リリスは腐ってもプロだから。一人でこっち側に引き込んだらさすがに見抜かれてしまう」

「あっそ……」

「それに、――あなただってこの夢幻の世界で、得るものがあったんじゃない?」

「それは、…………」


 確かに。

 アタシはここで、妓女との付き合い方を見直すきっかけを得ていた。

 楼主として、自分に足りないものは何かを。


「……だとしても。言葉で伝えてくれりゃあいいのに」

「それだと、馬鹿の一つ覚えにしかならない。本当の意味で心に刻まれるのは、自分で見つけ出した答えなのよ。それが誰かに導かれたものだとしても、自分でつかみ取るコトが大事なの」


 確かにリリスは、――怠惰にかまけて、仕事を疎かにしていた。

 一歩踏み出せば、無限の可能性を持つ力を持ちながらね。


「……しかし、これであの娘が変わるものかねえ」

「あの子はああ見えて野心家だからさ。こうして目に見える成功をチラつかせれば、きっと色々考えるきっかけにはなるわよ」


 眉間を揉む。深く嘆息する。


「まったく。どいつもこいつも、不器用で困る」

「うふふ。――でもあたし、あなたの言いつけを守っただけよ。『リリスの面倒を見るように』って」

「あっそ……」


 気もそぞろに、街並みを眺めながら。

 アタシたちは今、もの凄いものを見ていた。

 自分たちの目の前で、ヨシワラがぼろぼろと崩壊していく様である。

 二百万坪に渡る巨大な性の街が今、その用を果たして崩れていくのだ。


 それはもはや、夢の世界でしか見られないであろう、壮絶な光景。


 遙か眼下で、リリスとあの三人組がお茶会を愉しんでいるのが見える。

 自分たちの周囲が崩れていっているというのに、リリスはそれに気付いた素振りもみせない。


 アタシはそれを、目を細めながら見て、


「目覚めの時が来たってところね」

「うん。楽しめたらよかったんだけど」

「一ついいかい?」

「ん?」

「あの小説家の発言だけどさ」

「…………」

「ひょっとしてアンタ、未だに昔の恋愛を蒸し返してるんじゃないだろうね?」


 ちなみに弥勒ミロク菩薩は56億7千万年後に復活し、ふたたび世界を救うとされている。

 この女は自分の救世主を、未来永劫待ち続けるつもりかもしれない。


 するとステラは得体の知れない笑みを作って、アタシの唇に人差し指を当てた。


「それは、――ひみつ、ってことで」



 …………。

 ……………………。

 …………………………………………。


「ちょっと、ねえ。――ちょっと! ローシュ!」

「うう……ぐぐぐ」


 ふと気がつけば、格子戸の中。

 アタシはどうやら、白昼夢を見ていた……というか、見させられていたらしい。


「起きてよ、楼主さま」

「ああ、――リリスか」

「そこでぼんやりしてると、お客さんに勘違いして指名されちゃうよ。ただでさえキレーな顔してるんだから」

「うっさい。余計なお世話だよ」


 頭を掻き掻き、立ち上がる。

 ステラが話した通り、――今は昼見世が終わったあの頃のようだった。


「それよりさ、それよりさ! 私いま、新しい仕事のやり方を思いついたの!」

「へえ。どんなだい」

「ちょいと、夢を演劇仕立てに工夫してね。なんていうか、――恋に積極的じゃない人にも寄り添えるような仕事をしたいと思ってさ」

「ああ……そう」

「ちょっと細かいところはまだ、詰められてないんだけど、……きっとお客様も喜んでくれるものになると思うの!」

「そうか」


 アタシはあっさり頷いて、


「じゃ、実験を許してくれる馴染みの客がきたら、試してごらん」

「ん! そーする!」


 そして、ぴょんと跳ねるように格子戸を飛び出していくリリス。


 一人、見世の中に残されたアタシは、そのままばったりと畳の上で大の字になり、苦い表情で天井を眺めた。


 まだすこし、夢の中にいるような違和感がある。


 というか、この世界が夢の中でない保障なんて、誰にもできないんじゃなかろうか。

 ただでさえこの街は四六時中、夢を見ているようなところなんだから。


 ただ、一つだけ確かな事実があった。

 今後しばらく、数日に一度、――あのステラに顔を合わせてやって、術をかけてないことを確認する日々が続きそうだってこと。


 ずいぶんと狭くなったアタシの見世は、現実を思い知らせるが如く、空っ風が吹き込んでいる。


 あの夢が覚めたように、この夢が覚める日もいずれくるだろう。

 その時が来るまで、アタシは真に生きたと胸を張れるようになりたい。


 そんな風に思っていると、今度こそ本物の眠気が押し寄せてきた。


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マモノ遊廓の日常 ~ゆうべは おたのしみでしたね?~ 蒼蟲夕也 @aomushi

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