2-3 物語の創造者

 その後、アタシたちはとある妓楼を訊ねていた。

 というのも、リリスにどうしても会いたい人がいるという。


「今思い出したんだけど、――そういえば今朝、ステラ姐さんから聞いた気がするの。最近ここいらで、私の大好きな物書き先生が出入りしてるって」

「物書き?」

「最近、私がきちがいになってる女流の作家さんでね。女だてらにすっごくなお話を書くのよ」

「へえ」


 とのことで、近所にある見世の食客になっているというその女に話を聞く案配となったのである。


「あんたの趣味が、仕事の役に立つものかね」

「でも、私の好評な仕事のほとんどは、先生が書くシチュエーションを参考にさせてもらってるのよ」

「ほほう」


 なら、一度会ってみる価値がありそうだ。


 『ハシモトや』という屋号が掲げられたその建物にほとんど顔パスで入り込み、店主に話を通すと、間もなくして小説家の応答があった。

 ヨシワラではそこそこ名の通った楼主の訪問とあって、小説家はよろこんで話を伺うという。


 禿かむろの娘に案内されて仕事部屋に向かうと、意外なほど片付けられた四畳半の和室が出迎えた。

 ただやはり、壁にはずらりと資料用の書籍が並んでいる。


「やあ、どうも」


 ぼさぼさ髪に腫れぼったい黒縁眼鏡をかけたその女は、どこか蒼白い顔色を向けて、アタシたちを出迎えた。

 痩せぎすで不健康そうなこいつのどこにそこまで魅力を感じているのかわからないが、リリスは乙女のように頬を染めて、彼女と握手する。


「あ、あの……私! 先生の『異世界転生』シリーズ、全部読みました! それも全巻、十回くらいずつ!」


 『異世界転生』というのはアタシでも知ってる有名な本で、魔法の存在しない世界へと転生した平凡な男が、基礎的な治癒系の術を駆使して地元民に恩を売りまくる、という内容の長編小説だ。ちなみにラストは地元の宗教勢力に捕まって磔刑に処される。


「ああ……ありがとう」

「それとそれと、『乙女喰い』シリーズとか、『ドスケベ種付けおじさん』シリーズも! 今でも大好きな作品ですよっ」

「それは珍しい。あの辺の著書は、多くの人にくずかごに放り込まれたと聞くから」

「その人たちは見る目がなかったんですよう!」


 はしゃぎまくるリリスに、女は少し居心地が悪そうだ。自己評価が極端に低いタイプの特徴で、あまり褒められるのに慣れていないのかもしれない。

 アタシは密かに、とある旧い友人に似ているな、と思った。


「それより、――今日は何か、ぼくから知恵を授かりたい、とのことだけど」

「……はい!」


 リリスはその後、早口でまくしたてる。

 自分の仕事と能力。

 最近どうも、お客が寄りつかないこと。

 今朝方、突如として「このままではいけない」と思い立ち、新たな展開を得るための助言を求めていること。


「ずいぶんと不躾なご相談なのですが……」

「いや。それは構わないよ。現役の娼妓さんから相談を受けるなんて、ずいぶんと光栄な話だから」

「光栄だなんて、そんな」


 ぽっと頬を染めるリリス。

 ちなみに、ヨシワラの遊女はそれほど社会的な地位が低くない。

 とある異国人が『ヒノモト滞在見聞記』という著書でこう書いているのは、わりと有名な話だ。


『この国では、貧しい両親は自分の娘を、年端もいかない時期に遊女屋へと売ることを公認している。この点に、我々の文化圏との大きな相違点がある。我々の社会では、個人が自分の意志によって売春を行う。そのため、売春婦はどうしても社会から蔑視されがちだ。しかしヒノモトの娼婦には全く本人に罪はないため、むしろ彼女たちは孝行娘ということで、その社会から一定の理解を得ていたのである』


 小説家はしばし、何かリリスに材料を与えられないか、考え込んでいた。

 だがやがて、彼女なりに何らかの結論を導き出したらしく、控えめに微笑む。


「そうだね。……あくまで我々の業界でのことだから、参考になるかはわからないけれど」


 と、前置きをして、


「”寝取られ”というジャンルをご存じかい。ひょっとすると君、そこから何か知見を得られるかもしれない」

「へ?」

「”寝取られ”、だ。マゾヒズムの一種でね。“自分の愛する人が他の男と性的関係になることを悦ぶ嗜好”を指す」


 アタシはそこで口を挟む。


「それ、本人はまったく気持ちよくないじゃないか」


 昔から、一盗二婢三妾四妓五妻、という言葉がある。

 これは要するに、

 一に他人の妻。

 二に身分の低い女。

 三に娼妓。

 四に愛人。

 五に自分の妻。

 と言ったように、男が抱いて気持ちの良い女の身分を番付にしたものだ。

 要するに、他人の妻との交合は、男として最も強い快楽を得る手段だ、というのである。


「”寝取る”というのではなく?」

「それでは意味がない。寝取られでなければ」

「一部の変態がそういう趣向なのはわかるがね」

「いや、それがそうでもないんですよ。むしろ昨今、この”寝取られ”という形式はかつてない隆盛を極めていると言って良い。誰もがこぞって寝取られ小説を求めてやまないほどにね」

「ほほう……」

「今ではぼくも、そちらの方面を題材にしようと画策しているところなんですよ。近々一冊、その分野でちゃんとしたものを書くつもりでいる」


 それは……正直、得体の知れない話だ。

 もちろん、一人の物語の読み手として、悲劇を嫌うわけじゃあない。

 だが、ポルノに求められるのはあくまで、もっと安楽な欲望の物語だろうに。


「……と、誰しも思いがちですが、どっこいそうでもない。いいですかローシュさん。そもそも、ひとつの人生の中で結ばれる異性の数など、どれほどいます? ふと街中で心乱された恋の数と、めでたく成就した恋。比べれば、圧倒的に前者が多くなるはずだ。つまりそれだけ、失恋の方が感情移入しやすいということなのです」


 モノローグに反応するなよ。不気味な奴だな。

 こいつ、読心術の心得があるのか。

 対する小説家は不敵に笑って、続けた。


「この、”感情移入”というものは、我ら小説家が常に追い求めつつ、未だその性根を掴みきれずにいる、普遍的な”面白さ”の根源であります。つまり我々――これはリリスさんも含まれますが――物語の創造主は、この”感情移入”を自在に操ることを目的としている、とも言える」

「感情移入……ねえ。まあ、それができれば大したものだけれど」

「ちなみにこの”寝取られ”という分野は、嘘か本当か、海外のとある国では64種類もの区分に分けられているそうです。そこから考えれば、”寝取られ”に対する我々の研究はまだまだ遅れていると言わざるをえますまい」


 なんだかこの女が言うと、エロ話で盛り上がっているだけには見えない。何か崇高な、――学術的な権威のある話を聞いているようだ。


「つまり、あんたはこう言いたいわけだ。リリスに演劇仕立ての仕事をやれ、と」


 小説家は、新説を発表する科学者のように頷いた。


「でも、それなら私、これまでだって随分とやってきたことだわ」

「いいえ。話を伺うに、リリスさんはこれまで、それぞれのお客に合わせた”理想の物語”を考えてきた。そうでしょう?」

「うん。だってそうするのが、お客さんへの筋だし」

「それは大層、立派なお考えだと思います。間違っているとは口が裂けても言えない。……しかしそれでは物足りないのです。『ああ、気持ちが良かった』『お金を払った甲斐があった』それで満足してしまって、次に繋がらない」

「……あ、それしってる。りぴー……りーぴ……えっと」

「リピーターね。常連客になってくれない、ってこと」

「にゃるほどー!」


 リリスのやつ、どこかその言葉に気づきがあったらしい。


「物語が行う最も興味深い性質の一つは、受取手が思いもしなかった自身の側面をむき出しにしてしまうことにある。もしお客が、自身にそうした側面を見いだすことができれば、その人はもう、――あなたの虜になるでしょう」

「ふむふむ……」

「いくつかここで、”寝取られ”ものの台本を考えて差し上げましょうか」

「ええっ。いいの?」

「もちろん」


 そして、面倒見の良い姉のように小説家は筆を手に取り、恐らくは小説用の原稿用紙にいくつかのパターンを書き込む。

 ミミズがのたくったような文字で書き込まれた内容は、以下のようなものだった。



《寝取られ劇 ~ストーリイ類型~》

1、顧客(以下主人公)と、彼が望む”理想の女”との日常。

2、間男(※)登場。

3、間男、様々な策略を用いて女を手込めにする。

  ※この際、主人公はそれとなく女の様子がおかしいことに気付く。

4、主人公の周囲でおかしなことが起こり始める。

  ※女が主人公との夜を拒絶する、など。

5、クライマックス。女、間男に身も心も堕とされていることを知らされる。

  ※主人公、絶望しながらも悲惨な射精を行う。


(※)間男の属性について。

 間男に関しては、普遍的に軽蔑を受けるタイプを採用する。

・表では友人関係を装う裏切り者

・醜く、穢らわしい血縁者

・托卵を目論む無職の遊び人

・金持ち

・男根ばかりが徒に大きい低脳な怪物

 ……等々。


○(以上を踏まえた上での)具体的な展開例

例1:長屋住まいのおしどり夫婦。だがそこに間男の影。

例2:幼なじみの恋人同士。しかし彼女には薄汚い容姿の養父がいて……。

例3:とある三人組の冒険者。気がつけば自分を除く二人は恋人関係に。深夜、自分が寝ているふりをしている隣で、二人が激しく交わる嬌声が聞こえてくる。

例4:愛する女騎士との新婚旅行。そこにオーク集団の襲撃が。夫は、まだ手をつけてもいない妻が良いように嬲られているところを見ていることしかできない。



 それを読み終えたアタシの顔は、――多分、百万年の時を生きる魔女のようであったに違いない。


「とりあえず、色々言いたいことがある」

「なんです?」

「魔族代表として、これだけは主張しておきたいんだが、……今どきオークが人を襲うという話はあまり聞かないぞ」


 この筋では、彼らの名誉を著しく損なうことになる。


「そこは創作の世界ですからね。オークの魔羅まらはとにかく大きいので、そこで人族の持つ普遍的なジェラシイを刺戟することができる」

「うう、む……そういうものなの?」

「そういうものです。そういうお決まりクリシェですので、オークたちの名誉毀損にはあたりません。むしろ彼らの間では、そういう笑い話として受け入れられてるくらいなんですよ」

「ふーん」


 アタシは唸った。良くわからない横文字まで出されて、煙に巻かれた気がする。


「それともう一つ。……これは、官能小説を書く上での技術の一つなのですが、ただ交尾をするばかりが全てではない、ということです」

「そうなの?」

「ええ。――例えば、①のパターンで例を挙げるならば、いざ旦那が帰宅すると、妻の息が上がっていて誰かがいた痕跡があったり、ふと気がつけば自分のでも妻のものでもないではない体毛が落ちていたり。そのようにして、お客の想像力に任せてしまう手もあります」

「な、なるほどぉ……」


 気がつけば、二人揃って作家の世界観に取り込まれているアタシたちがいた。

 奥が深いね。エロ本の世界も。


「とにかく、――ぼくにできる助言は、この程度のものでしょうか。大した内容ではなかったですが……」

「いや。十分に参考になったよ。どうやら、仕事に関する秘伝まで教えてもらったようで……」

「それだけ、リリスさんの能力に可能性を見いだしたということですよ」


 言って、小説家は唇を斜めにして笑った。

 最初に会った時はずいぶんと頼りない印象を受けたものだが、こういう筋立てを考える時は楽しくてしょうがないらしい。

 リリスもまた、憧れの人に思ったよりも熱心に話を聞いてもらえてかなり興奮している。


「じゃあじゃあ、こういうのはどうかしら。貞淑だと信じていたお嫁さんがとんでもない色狂いで、長屋に住んでる男みんなと関係を持ってる! みたいなの」

「ほう。貞操観念ゼロの配偶者パターンですか……大したものですね」


 でもちょっと思うんだけど、――そこまでその、”寝取られ”に話を限定する必要、あったのかしら。

 そこんとこ微妙に、この小説家の趣味が取り入れられていた気がするんだけど。

 アタシの気のせいかねぇ。

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