2-2 寵辱と窮達
「……変わったお客さんといえば、ハマさんかなあ。被虐趣味がすごくってさ。タマタマをね、こう、ぎゅーって握りつぶして欲しいって」
「げげ。うう」
「ああいうの、夢ならではのプレイと思ってたけどさ。ハマさんったら、普段でもときどきやるんだって。なんでも、別室に治癒魔法の使い手を待機させて、もろもろのあれこれが終わったら、すばやく股間を治してもらうんだってさ」
「ああ、――わかった。ハマさんについてはもういい」
その後、歩く道すがら、アタシはリリスに「これまで評判の良かったプレイ」について聞き出していた。
「他のお客はどう?」
「やっぱり、現実では実現できない系のサービスが好評かなぁ。お城の一室で、女中さんに囲まれて、とか。有名人との恋人シチュなんかも人気ね」
「ふむ」
「あと、わりと設定が混み合ってるパターンもあってさ。悪のドラゴンにお姫様を攫われたお客さんが、ワンパンで竜をぶっ殺しちゃうの。んで、そのままの流れでお姫様と……みたいなのも」
「せめていったん帰ってから、暖かい寝床でヤレばいいのに」
「まあ、そこは面倒を省くってことで。お客さんは結局、出すもの出しに見世に寄ってるわけだし」
「ふむ……」
「なにか思い浮かんだ?」
「いいや。ぜーんぜん」
「んもー。ローシュさまったら、無駄に歳ばっかり取ってるんだから」
アタシは腕を組み、考え込んだ。
娼妓たちが閨で使うテクニックの類を、”手練手管”と呼ぶ。これは彼女たちの間だけで脈々と受け継がれていく秘奥義のようなもので、外部の者は知るよしもない。これは楼主であるアタシですらそうだった。
――いや、楼主だからこそ、か。
この道に入って数百年。恥ずかしながらアタシは、ただの一度とて見世のサービスを受けたことがない。
アタシにとって『魔性乃家』で働くものは家族だ。みんなもアタシのことを親と思ってくれているはず。
だから、かもしれない。
――みんな、アタシとそういう話をするのを避けてるのかもね。
このことに気づけたのは僥倖だった。
客の付かない娼妓の世話をするような事態は、これからも起こりうることである。
アタシはそういう時、適切な助言ができる親でありたい。
「……考え事は終わった?」
「ああ、まあ」
「じゃ、次の手を考えないと」
「それなんだが、――あんたの姐さんは何も言ってないのかい」
一般に、娼妓たちには
彼女にとってのそれは、ステラという名前のダーク・エルフだった。
ステラとアタシは、かつて行動を共にした戦友のような間柄である。
そんな彼女にリリスを任せているのは、二人の能力が似ているためだった。
ステラはリリスと同じく、
「おいらん姐さんは、あんまり話してくれる人じゃないからなあ」
「そうかい? アタシの前じゃあ、わりとぺらぺらしゃべるがね」
「そりゃ、ローシュさまにとって姐さんは、兄弟姉妹みたいなものかもしれないけれど」
「だとしても、――困るよ。アタシはあの娘に、ようくリリスの面倒を見てやるよう言って聞かせてるんだよ。結局、ステラに放っておかれた結果が、今のあんたの状況なんだろ」
「そう言われても姐さん、しょーじき何を考えてるか、わかんないし。……私に可愛げがないからかも、だけどさ」
少しほっぺを膨らませ、肩を落としてみせるリリス。
娼妓同士の絆は時に、実の姉妹より、あるいは実の母子よりも密接に繋がっているものがある。リリスは時々、そうした娼妓たちを羨ましく思っているようだった。
「うーん。……でも一言だけ、助言っぽいこと、言ってたかな」
「?」
「『競うな。持ち味をいかせ』ってさ」
「持ち味……ねえ」
まあ正直、誰に対しても当てはまるような助言ではある。
とはいえ、リリスが憶えていたくらいだから比較的意味のある言葉なのだろう。
「普通に考えりゃあ、
「精度、――といってもなあ。私こう見えて、わりと優等生なんだよ」
それはそうだ。
そもそも、それくらいじゃあないと女夢魔の女郎など成り立たない。連中はそもそも、無料でも男と寝る種族だからね。
「私が見せる夢は、かーなーりーよくできてるから。なんなら、夢の中で百年間、ずーっと絶頂させ続けさせることだってできるのよ。……まあ、それするとお客の精神が壊れちゃうから、頼まれてもやらないけど」
「百年、か」
アタシは少し考え込んで、
「じゃ、そっちの路線で、もっと掘り下げてみる案はどうだ?」
「?」
「あんたさっき、物語仕立ての手管が好評だっていってたよね? それは恐らく、あんたにしかやれない技術だろう?」
ごっこ遊びに似たやり方は、ある程度仲の進んだ遊女なら嗜みの一つとしてやりそうなもんだが、「ドラゴンを倒した勇者」になれるのはきっと、夢魔ならではの術であるに違いない。
「うーん。そうね」
「もっとこう、――冒険活劇めいた物語を考えてみないかい? 何か、とんでもない腐れ外道の悪役が現れて、大してセックスが強いって訳でもないのに多数の女を囲ってる。んで、お客は知恵と勇気を駆使して、そいつをやっつけるんだ。その結果として女どもと結ばれる、とか。そういうの」
ちなみにこの物語は、割と男好みのする英雄譚の引用だ。
人族に語り継がれる伝説の多くはよく、この手のストーリー展開が好まれる。現実の英雄の活躍がどうあれ。
「物語仕立てのプレイは確かに、人気ではあるけど……」
「けど、なんだい?」
「……うーん。なんてゆーか。かんてゆーか」
「煮え切らないね」
「あんまりやり過ぎると、マジで夢の中から帰ってこれなくなる人がいるのよねー。それこそ、本当に人を堕落させてしまうような」
「その辺なんとかうまく、手加減できないのかい?」
「うーみゅ」
リリス、少し眉間を揉んで、
「そうね。――うん。せっかくだし一度、その辺の人に試してみようかしら」
「その辺の人って、誰に?」
「うーんと」
リリスは、むむむとこめかみに指を当てて、周囲の気配を探る。
そして、
「いまは良い陽気だから、あっちこっちでいるわ、いるわ。ぼんやりお昼寝したそうな人がいっぱいね。……よおし」
ててててて、と、通行人の一人に歩み寄り、
「ねえねえ、おにーさん。ちょっといっぱつ、すっきりしていかない?」
「――はあ? お、俺?」
男は、齢にして二十歳ごろ。身なりは寝間着のままここまでぶらぶら歩いてきた、といったような風貌で、恐らく素見(冷やかし)の一人だろう。
ちなみにヨシワラでは、このような者は珍しくない。
俗に「冷やかし千人、客百人、間夫が十人、色一人」と呼ばれるほど、この界隈を歩く通行人には暇人が多いのである。
まあ、気持ちはわからないでもない。何せ下手な観光地巡りよりよっぽど、ここいらをぶらつくのは目の保養にいいからね。
現れた「通行人A」は、少し目を白黒させている。
そして、お仕着せながら朱色の鮮やかな生地に折り鶴の刺繍を受けた、煌びやかな衣装を身にまとったリリスを見て、
「ああ、いや……その。悪いんだがね。最近ちょっと、金子が滞っていて。君みたいに立派な女郎を買う金は……」
「お金は要らない。ちょっと練習がてら、付き合って欲しいだけなの」
「練習?」
「うん。ちょっと新しい技を試したくってさ」
その男、リリスの「新しい技」という言葉に、恐れ半分、興味半分、といった感じだ。
「本当に、――お代はいらないっていうのかい」
「ええ。ちなみに、ここにおわすは『魔性乃家』の楼主さま。ただいま私たち、市場調査の真っ最中ってわけ」
「な、なるほど……さすがヨシワラ」
男は、なんだか妙に感心して、
「じゃ、じゃあ一発、いや一つ、お相手願おうかなあ」
「やった♪ 助かる!」
「それじゃ、さっそく見世の方に……」
「悪いけど、そんなまだるっこしいことやってらんない。ここで一丁、お相手仕るわっ」
「え? こ、こんな人目のあるところで? さすがにそれは」
「ご安心を。それっ」
リリスが、ぱちんと指を鳴らすと、「通行人A」はあっさりその場で昏倒した。
ぐらりと地面にぶっ倒れかけた彼氏を素早く抱きかかえ、アタシは馴染みの茶屋の縁台に運ぶ。
ふと気がつけば、すぐ隣にいた
茶屋の主人は万事心得たもので、気絶した男を連れ込んでも文句一つ言わず、そっといつもの甘茶を出してきた。
「ご精がでますね」
「ああ、まあ。……ただ働きだけど」
「なら、運が良い男もいたもんだ。――見たとこ、この男の稼ぎじゃあ、とても遊べる価格の娘じゃなかろうに」
「まあね……」
リリスの格は”部屋持ち”と呼ばれる。
これは、上級遊女(花魁)の娘たちの中では最下等の格で、昼夜で金貨一枚、夜のみの仕事で銀貨四枚という価格だ
これを読んでるアンタたちの金銭感覚に直せば、一晩寝るだけで五万円、といった価格になるだろうか。本来ならそれだけ支払わなくちゃいけないはずのサービスを、この男は今、無料で受けていることになるわけ。
とはいえ多分、今回この男が受けているのは、かなり特殊な内容になるんだろうけど……。
▼
男が目を覚ましたのは、それから三十分後だろうか。
「うむむ……」
彼が半身を起こすと、妙に一回り彫りが深くなった表情で、
「うーん。私はいままで、何を?」
なんだか一人称まで変わってやがる。
「何って、……ナニかな?」
「ここは確か、――私が二十歳の頃立ち寄ったヨシワラではないか。む? なんだか、身体もずいぶんと若く……いったいどうしたんだ?」
いったいどうした、は、アタシのセリフなんだが。
大の大人が二人揃って首を傾げていると、目元に涙を浮かべたリリスが現れて、
「お疲れ様。あなたの最期は、――ちょっと感動しちゃったな。でも安心して。全て夢だったの」
「なんだって? 夢、……夢? 私が生きた、波乱に満ちた人生が、全て?」
「そう」
「世界大戦後、敗戦後のヒノモトを妻と共に立て直したあの経験も?」
「ええ」
「信じられん」
男は表情を真っ青にして、頭を抱えた。
話によるとこの男、夢の中ではちょっとした大河小説の主役を演じていたらしい。
彼の世界ではなんでも、近代兵器を駆使したずいぶんと派手な戦争が起こったようだ。様々な苦難の体験の末にヒノモトは敗戦、だが、帰国後始めたビジネスが成功して栄旺栄華を極め、友人や妻に恵まれて幸福な生活を送ったそうな。その後、寄る年波に勝てず子供たちに惜しまれながら眠るように命を引き取った、と。
しかし今、気がつけばここに居て、若い頃に立ち寄った気がするヨシワラの一画で目を覚ましている。
「通行人A」は、ぼんやりと空を眺めて、
「この世の中は、ずいぶんと儚いものだなあ」
などと、悟ったようなことを言った。
アタシは眉間を深く抑えて、
「つまり何かい。――リリス。あんた、一発スッキリさせるために、人生をまるごと再現して見せたのか」
「うん。……”物語仕立て”を掘り下げてみると、どーしてもそーなってくるかなって」
「そんなの、毎晩やってたら保たないだろ」
「そうね。さすがにかなり、疲れたよ」
リリスは深く嘆息して、
「でも私、ラストシーンはちょっと泣いちゃった。よくできた演劇を観た後みたい。……まあ、筋立てを考えたのは自分なんだけどさ」
「あっそ」
案外この子、娼妓よか、そっち方面の仕事が向いているのかも知れない。
「しかし、良い経験をさせていただきました。
「ああ……そう」
「お世話になりました。今後の人生は、もう少し別の道のりを見つけてみようと思います」
「が、……がんばってね」
「ありがとう。では」
なんだか坊主のように穏やかな表情を作って、男は深く頭を下げた。
アタシらは、もはや「通行人A」と呼ぶにはもったいないくらいキャラが立ってきたその男を見送って、
「なあ、リリス」
「?」
「今の技、二度と閨では使うんじゃないよ」
「どうして?」
「決まってるだろ。客がみんな、ああいう風に聖人みたくなっちまったら、商売あがったりになるじゃないか」
「ああ……確かに」
どうやら、市場調査の旅はもう少し続くらしい。
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