2-1 サキュバスのお昼寝

 色里での暮らしを”苦界”と断ずる声がある。

 無理もない。この業界は所詮、人気商売。時として生き馬の目を抜くことを求められる所だ。

 人気が高ければ一目置かれ、そうでなければ明日の食事にもことを欠く。


 さて。

 ここに、リリスという名の女夢魔サキュバスがいる。

 いま、アタシの目の前でお腹を出して眠ってる、惚け顔の持ち主だ。


「………………ふひーっ。ふひーっ。ふひひひひ……」


 絵に描いたようなマヌケ面に、アタシは微妙な表情を作る。

 みっともなくはだけた振袖が、彼女の白い肩を露出させていた。


「うふ、うふふふふ。ひっひっひっひっひっ」


 リリスがかくかくと空中に向けて腰を振り始めたあたりで、アタシの我慢が臨界点を迎える。

 いま、彼女が眠っているのは、見世の格子戸の中。本来ならお客を誘うため、愛想良くしてなくちゃあいけない場所だった。


「こらッ! なんてところで寝てるンだい」

「ん……と、わわ、なんだ。ローシュさまかぁ」

「ローシュか、とはなんだ。さっさと起きな」


 頭が痛い。見世の娘に甘くしすぎているせいで、時々こういうことがあるのがアタシの悪いところだね。


「だってぇ。ぜーんぜんお客さんが来ないんだもの」

「それで、――その辺の暇な男の夢を漁ってたのか」

「しょーがないじゃん。お腹、減ってたんだし」


 ”夢魔”という種族は生き物の快楽を主食とする、ある意味ではもっとも妓楼にふさわしい連中だ。

 だからこそ、客が寄りつかないのは純粋な死活問題であるとも言える。


「タダで仕事しちまったらアンタ、金払ってまで買ってくれる人が余計に減るだろうが」

「大丈夫よぉ。食べる雄は選んでるもの。間違ったってお金を払ってくれないような相手からって」

「ふーん……」


 アタシは、格子戸の向こう側でひっくり返っている野良犬を眺めた。

 小刻みに息をしているその犬は、どこか恍惚に眼を細めて明後日の方向を向いている。


「ところで、……まさかとは思うけど」

「?」

「いや、なんでもない」


 真実を聞くのは止めておこう。

 だいたい、ヒトを食うのは良くて四足獣がダメだという話もないし。


「それよりアンタ。今日だけで閑古鳥は何日目だい?」

「うんと。……憶えてないや。一週間くらい?」

「参ったねぇ」


 ため息を吐く。

 今のとこ、昼見世にでている女郎でお客がついてないのは彼女だけ。

 それも少々理由があって、昨今の、童女との交合は倫理に反する、という風潮に、新規の客が寄りつかない所為だった。

 この辺、長らく人族の歴史を見守っていると面白い。世の中が安定していくにつれ、不思議と晩婚化が進むのである。魔族と人族が争っていた時代など、十台前半で結婚する例も珍しくもなかったというのに。


「この調子でいったら、三十路を迎えても結婚しない男女が増える時代も冗談じゃないね」

「うへえ」

「そうなったら、あんたみたいなのを性の対象とみるのは、変態か犯罪者だけ、となるかもしれない」

「えーっ、冗談じゃないわっ。歳で言ったら私、ばっちり成人なのに。ひゃくぱー合法よ、合法」

「まあ、 あんたに客が付かないのは多分、それだけが理由じゃないだろうが」

「じゃ、なに?」


 アタシは眉間を揉んで、どう助言するか考え込んだ。


「……もともと、夢魔は河豚料理にも似た危険があるとされてるからね」

「どういうこと?」

「あんた、夢の中だったら、神のごとく振る舞えるだろう? その力で、ヒトを徹底的に堕落させちまうことだってできるはずだ」

「もちろん。それが私たちの能力だもの」


 かつて”魔王”討伐に出た冒険者を苦しめたのは、一ツ目巨人サイクロップスでも飛龍ワイバーンでもない。

 夢魔を利用した、快楽による堕落である。

 巨大な敵には敢然と立ち向かう英雄も、夢の中に登場する理想の異性にゃあ、とても敵わない。かつて魔王に立ち向かった勇者たちの何が偉大かって、その精神も含めて高潔であるためだった。


「案外、それがマズいのかも。夢魔を抱くと、心地よすぎて人間として大事なものを失っちまうって噂があるから」

「うーみゅ。今どき、そこまでやらかす夢魔もいないでしょうに」


 リリスは、そのあどけない唇を人差し指でぐにぐにと弄り回して……やがて、がばっと起き上がる。


「ねえねえ、ローシュ。どうせもう、昼見世も仕舞いでしょ。ちょっと付き合ってよ」

「?」

「この前のお客さんが言ってたの。商売にはその……ジジョーチョーサ? が大事だって。マーケティング? というのをちゃんとして、その上でいろいろと……なんか他社との違い、的なやつを見せつけるのがウィンなんとか家の戦略がどうこう」

「……知見を披露したいなら、もう少し固有名詞をしっかり憶えてからにするべきだね」

「とにかく! お客様の意見が大事ってこと! これは『魔性乃家』ぜんたいの利益にもなるし! 楼主にとっての仕事でもあると思うの」

「ふむ」


 まあたしかに、市場調査は大事である。

 ウチは正直、あんまりそういうことを気にしてこなかったが……。


「いいだろ。こういうことも一つの経験だし。妓女一人、無意味に遊ばせておくのもアレだしね」

「決まりねっ」


 実際、高い金をもらうぶん、ヨシワラでの一夜は夢幻の快楽をもたらさなくちゃあならない。

 そのためにゃあまあ、よその手練手管を真似てみるというのも、価値のあることだ。

 あるいは、――この娘の暇つぶしに付き合わされるだけかもわからんが。



 さて、リリスと二人、連れ立ってヨシワラの大通りに向かうと、


「あら、リリスちゃんじゃなーい♪」


 数名の遊女が気安く声をかけてきた。

 彼女たちには見覚えがあって、以前、アーサー・ソードマンという男を相手にしてもらった、湯屋の娘たちだ。

 アタシは人族の顔を覚えるのは苦手なので、連中の名前は単純に、A子、B子、C子とする。


「あら、ごきげんよう」

「「「ごきげんよーう♪」」」


 三人は、湯屋にやってきた顧客を相手にする時のコンビネーションで唱和した。

 どれほど精力が淡泊な男でも、彼女らに掛かれば三度は達するという。

 その上、彼女らが働く見世は、ヨシワラで遊ぶにしては価格も比較的安い。

 ヨシワラで今、口に含んだモノの本数で番付を作るなら、まず彼女たちの名前が挙がるだろう。


「おやおや? 今日は”ばけねこのつえ”を使ってないのかい」

「うん」「そうね」「あれ使ってると、本当の自分がいなくなっちまう」


 自身の肉体を自在に変ずることができるマジック・アイテム、――”ばけねこのつえ”。とはいえ、あれを使わなくとも三人は十分に美人だと思う。当然、使えばもっと客受けが良いんだが。


「ねーねーねーねー」


 と、そこでリリスが、背中に生えた羽根をぱたぱたと振った。


「ねえ、おねーさんたちに、ちょいと聞きたいんだけれど」

「なに?」「どしたの?」「なんでもきいて?」

「私、最近閑古鳥が鳴いちゃってさ。ちょっと商売を工夫したいんだけれど、――男が一番喜ぶ女の形って、どういうもの?」


 三人は少し顔を見合わせて、


「「「そりゃやっぱり、――」」」


「でっかい乳」「くびれた腰」「ぱっつんぱっつんの尻」


 と、ここで意見が分かれた。


「ときどき思うんだが、瓢箪ひょうたんに腰振ってた方が、男がみんな幸せなんじゃないかと思うけどね」

「それだと」「困る」「商売あがったりだわ」


 おっしゃるとおり。


「おっぱいに、腰に、おしりかぁ。……その辺は私も、うまくやってるつもりなんだけどねぇ」


 夢魔であるリリスは、夢の中で仕事をする。その世界で彼女は、ほとんど万能の神のように振る舞うことができた。客の好みに体型を変えることなど造作もない。


「私、最初にお客の好みを聞くようにしてるの。おっぱいはどのくらいで、髪型はどういうのがいいか、って。どこどこの有名人に顔を似せろってこともある。その人が思う理想の女を抱くわけだから、そこに不満はないはずだわ」

「……あー」「ふむふむ」「なるほど」


 と唸って、それぞれ笑みを浮かべるA子、B子、C子。

 その表情はどうも、慈母を思わせる優しい顔だ。


「ま、駆け出しにありがちね」「そうね」「その道は私、三年も前に通ったわ」

「――? どういうこと? 姐さんたち、私に足りないものがわかるの?」

「まあね」「そうね」「うん」

「なになに? じゃ、教えてよお。私、このままじゃハラヘリすぎて、相手を選ばずに男を貪りそう」

「それはダメ」「教えらんない」「自分で見つけなくちゃいけない」

「――?」


 三人娘はそこで、アタシを見上げた。

 「あなたくらい名うての楼主なら、何もかも承知の上なんだろう?」という顔つきだ。

 アタシは唇を斜めにして、もっともらしく頷いた。

 実を言うと、その答えは見当も付いていない。


 ……だってしょーがないじゃん。

 アタシってば経営専門で、娼妓の経験、ないんだし。

 長年楼主を務めてるからって、閨のテクニックまで上達するわけじゃないんだぜ。


「ええと。三人ともありがとね。アタシらは……ま、ここいらで別に移ることにするのでね」

「えーっ、なんで?」

「なんでも、だ」


 不服そうなリリスを抱っこして、アタシはその場をさっさと退散することに。


 こうなってきたら、アタシもその謎に挑んでやろうじゃないか。


 ”夢魔”である彼女に足りないモノとは? ってね。


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