1-4 人と化け物

 アーサー・ソードマンが実家に戻ってからというもの、アスナの惚気のろけぶりと言ったら、とても見ていられたものじゃなかった。


「えへへへー」


 ちょっとでも暇を与えたら、すぐにへらへら笑って、なんだかおしりをもじもじさせやがる。

 まあ、それも無理はなかった。

 初めての相手がどこかの国の王子様で、その男と自分は将来を誓い合う仲、――なんて、そういうのは、わりと普遍的な女の子の望みだ。そしてアスナは今、ちょうどそれに近い身分にある。


「うーっ。いいなぁ、アスナちゃん。そんな素敵な人と一緒になれるなんて」


 歳の近いリリスがほっぺたを膨らませて、手乗りサイズのぷよぷよを突っつく。

 アスナは茹で蛸のように熱を帯びながら、ここ数日で百度は聞かされた惚気話のうちの一つを、手慣れた落語家のように語った。


――近々、必ずまとまった金貨を用意して身請けに来るという話。

――入れ墨してでもあなたを待つわと話すアスナを、「美しいままの君で居て欲しい」と引き留めた話。

――別れ際、ゼリー状の物質(自分の身体の一部)を御守り代わりに手渡した話。

――アーサーのやつ、それを何かのおやつと勘違いしてゴクンと呑み込んでしまった話。

――しかし結果として、名実ともに二人は同じ存在になったのだという話。


「ここ最近ずーっと、アーサーさまのことばっかり夢に見るの。きっと彼もそう。二人は夢の中で繋がっているんだわ」


 なんて。そーいうことを正気で話すんだから、まだこの娘も子供である。


「寝物語を真に受けちゃあいけないよ。男ってのは、出すもの出したら、その夜に話したことなんてスッカリ忘れちまう生き物なんだから」


 アタシがそう窘めても、到底聞きやしない。

 だが、『魔性乃家』の仲間の多くはわかっていたんだ。

 女郎を買い受けるには、その体重と同程度の重さの金が必要とされる。

 これは要するに、重さで言うと50キロとか、その程度。

 これを読んでるアンタらの世界の価格に換算するなら、――そうさね。かるく数千万円はカタい、というぐらいだろうか。

 どうだい? 夜、女を抱いた後に語る夢など、軽く覚めちまうような値段だろう?


 それにそもそも、”勇者”の家系の者が、よりにもよってスライムの娘など迎えに来るものか。


 だから我々は、アスナを夢みるままにさせていた。

 ”勇者”にとってスライムは、”魔物狩り”の実験台に過ぎない。

 仮にアーサーがそれを望んだとしても、家族の者がそれを許さないだろう。


 実際、アタシたちの想像は的中した。

 その後、一ヶ月経ち、二ヶ月経ち。

 半年が過ぎ、――四季が流れて、一年経って。

 結局、三年の歳月が流れても、アーサー・ソードマンが再び現れることはなかったんだ。



「今日来るわ」

「明日きっとくる」

「来週には帰ってこられるんじゃないかしら?」

「ひょっとすると年明けには」

「今年中……いいえ、来年中かもしれない」

「ひょっとすると、もう約束を忘れてしまったかもしれないけれど、――でも、待つ。あたし、ずっと待つから」


 夢見がちな少女が大人の階段を昇っていくのを観るのは正直、忍びないものがあった。

 とはいえ、現実を思い知ることは決して間違いじゃない。若い時分ほど、自分を物語の主人公のように思うものだが、実際は違う。

 一時は天上の世界に上り詰めることがあっても、盛者必衰、やがては下り坂に足を踏み出している時がある。

 アスナがこの三年間、枕を涙で濡らしたことがなんどあったかは知らない。

 だが、そうして人生の酸いも甘いもかみ分けりゃあ、その人間性にも深みが出てくるってものなのさ。


「ねえ、ローシュさん」

「?」

「今日で三年目になるわ」

「三年……? なんだっけ」

「アーサー様と会ってから」


 ああ、そうだったか。

 この娘、義理堅いことに未だに憶えているとはね。

 とはいえアスナも、アーサーとのことはしっかり受け入れてるみたいだった。

 客との床入りの中、夜ごと囁かれる言葉に大した意味などない、と。


 何と応えるか迷っていると、ふいにアタシらの背中から、かけられる声があった。


「どうも。ご無沙汰しております」


 そこあったのは、ずいぶんと久しぶりに見る、アーサー・ソードマンの顔である。

 だが、その風貌は三年前と比べて、すっかり変わっちまっていた。

 あれだけ立派だったマントも、甲冑も、銀の剣も、今や何一つ手持ちにない。

 かつての彼は、少なくとも衣食に困っている風ではなかった。

 だが、今じゃあこの人、一端の冒険者、といった感じ。


「どうした? ずいぶん、――鍛え直したみたいじゃないか」


 これは別に、褒めてるわけじゃない。

 個人の武力によって出世できた時代は、とっくの昔に終わってる。

 もちろん例外はあるが、この街は、その日暮らしの冒険者どもが来ていい場所ではなかった。


「いやあ、すいません。戻ってくるのに時間が掛かってしまって」

「別に、アタシと約束した訳じゃないだろ。……でも、うちの娘には大袈裟なことを話したんだから、便りの一つくらい送るのが礼儀ってもんだと思うがね」

「そうしたくて、何度か筆をとったんですが、――どうも俺は、率直すぎるというか、事実をありのまま伝える癖があるらしい。考えても考えても、アスナを心配させるような言葉しか書けなくて……」


 アタシは少し面倒になって、話をすっ飛ばして結論から聞き出す。


「――勘当されたのか?」

「ああ。結論から言うとそうなりました」


 アタシは、眉間を強く揉む。


「それって、あたしのせい?」


 アスナが口を挟んだ。凹凸の少ない表情だが、付き合いの長いアタシには、彼女が今にも泣き出しそうなことを察することができた。

 アーサーは、本人が言うとおり”事実をありのまま”応える。


「はっきり言うと、そうだ。俺は、お前をどうしても正妻に迎えたかった。お前以外の女を抱くなどと考えられなかったのだ」

「………………ッ」

「それを親に伝えたところ、とんでもない騒ぎになってな。ずっと人間で続いてきた家系図に、とつぜんスライムとのハーフが混ざるとなると、――」


 髭を蓄えた立派な紳士が並ぶ肖像画の端っこに、ゼリー状の生き物が並んでいる絵面を幻視し、アタシは変な顔を作る。


「確かに、そりゃありえんわな」

「だから俺は、家督を弟に譲って実家を出奔したのだ」

「ふうん。……それで、その日暮らしの冒険者なんかに身を落としたのかい」

「そうだ」


 それで、ここに来るまでの金を貯めるのに三年もかかった、と。


「阿呆だねえ。どっちにしろこの街は、金のない男が遊べる場所じゃないぜ」


 もちろん、可愛いアタシの見世の女郎を無料で身請けさせるわけにもいかない。

 何もそれは、愛し合う二人を引き裂きたくてそうしてるわけじゃなかった。

 ねやでの仕事に特化した遊女たちは、一般の生活、――家事などをする能力が全くといってない。となると、彼女たちを幸福にしてくれる男性というのは、そうした仕事を肩代わりしてくれるような下男・下女を雇える身分でなくちゃあいけなかった。

 遊女の身請けに高い金をいただくのは、その者の財力を証明してもらうためでもあるんだ。


「わかってる。……だから俺は、アスナさんを身請けするために、十分な金を手に入れてきた」


 そういって野郎が取りだしたのは、一枚の鱗だった。

 瑠璃色に輝くそれを、まじまじと眺めて、


「これは……竜の逆鱗か」


 目を丸くして、それを返す。

 竜は、これに触れた者を必ず殺すという。

 それを生きたまま持っているという意味、アタシにも簡単に想像できた。


「竜を、殺したのか?」

「そうだ」

「まさか、非合法の」

「前にも一度言いましたが、俺は公式に討伐対象になった魔物しか狩らない」

「しかしそれは、……個人的にできることじゃない」


 ”竜狩り”には、最低でも五百~千人ほどの人手が必要になるという。

 これは何も、千人の軍団で袋だたきにする必要がある、という意味じゃない。戦闘能力に特化したチームはもちろん、退治した竜をその場で解体・加工する業者、そうしてできる、山のような加工品を運搬する業者、消耗品となる武器やマジック・アイテムの調達班、斥候、食糧品を取り扱う商人など、山のような人材が必要になるということだ。


「つまり、――どういうことなの?」


 アスナがぼんやりと口を開く。


 対するアタシは、すっかり言葉を失っていた。

 ひどく頭が痛い。

 冗談じゃない、という想いがあった。

 現実はままならず、人生は理不尽なものだ。

 だからこそアタシたちは、そういう理不尽さに折り合いをつけて生きていかなくちゃいけない。


 だってのに。

 この男は言外に、たった三年で一大プロジェクトの責任者にまで成り上がっていたということである。


――これじゃあまるで。


 アタシの大嫌いな、ご都合主義的な英雄譚そのものじゃあないか。


「知っての通り、”竜狩り”の成功者には一財産が与えられる。俺はそれを担保にして、ヒノモトで商いを始めることにした。……なあ、ローシュさん。あとは、言わなくてもわかってくれるな」


 眉間を揉む。

 愛の力、ということだろうか。

 あるいは、流石は”勇者”の血統、というべきか。

 この仕事を始めて、アタシは何人もの口だけ野郎を見てきたが。


 この男だけは、――どうも、本物らしい。


 こぶし大の小さな少女が、顔面を涙でくしゃくしゃにしながら、一人の男の胸元へと飛び込んでいく。


「ばか……ばかっ……! あたしなんかのために……」

「当然だ。男は約束を守るものだからな」

「でもきっと、みんなに笑われるわ。スライムなんかに大金払うなんて」

「お前の価値は、世界で俺だけが知っていればいい」

「うう……好き……大好き……」


 口から砂糖が出そうなくらい甘い台詞を囁き合う二人はその後、離れた三年間を取り返すように、長い長い接吻をしてのけた。

 アタシはシルエット的に、男が一人、デカい饅頭を味見しているようにしか見えないな、と、思った。


 人知れず、深く嘆息する。


 人と化け物の恋の成就。

 なかなか立ち会えるモンじゃない。



 それからの話は、トントン拍子。

 もともと、親元などのない孤児でもあったアスナの手配は、そこいらの金物屋で古い刀を売り飛ばすよりもよっぽど簡単だった。


 身請けの決まった日から、楼内はちょっとしたお祭り騒ぎになって、口々にアスナを称え、その将来を祝福する。

 遊女はもちろん、若い衆も含めて赤飯、料理、祝儀が与えられ、宴が開かれた。

 そして身請けする当日は、ヨシワラの出入り口、――大門の前に止められた駕籠に乗るアスナを『魔性乃家』総出で見送ることになる。


「おめでとう。おめでとう。ごきげんよう。ごきげんよう」


 天国に住む家族のように手を振る見世の仲間たちを背に、アタシとアーサーは二人、並び立っていた。


「このたびは、――身代金を格安にしていただいて」

「別に、構わんよ」

「しかし、良かったんですか? あの額では、とても想定に見合わない」

「いいのさ。女郎の体重と同じ金で支払うのが決まりなら、……アスナはずいぶんと娘だ」


 それに、新しい仕事を始めると言ったって、軌道に乗るまでは苦しいこともあるだろう。

 安い身請け金はまあ、アタシからの餞別だと思ってくれれば良い。


 アーサーのやつ、今のやり取りで全てを察して、深く一礼。アタシから大門の通行手形を受け取った。

 それは、古いヒノモトの言葉で書かれたものである。

 本来通行が許されないはずの遊女を街の外へと出すために必要なのだ。

 アーサーは、しばらくそれをじっと見つめて、


「ここにも、――あなたの署名がないな」

「?」

「なあ、ローシュさん。あなた、何者なんです?」

「何者、というと?」

「聞いたところによるとあなた、……何十年、いや何百年も前からこのヨシワラで暮らしているそうじゃないですか」

「まあね」

「その割には……いくらなんでも、若く見える。歳は二十……いや、それ以下にも。俺、最初にあなたを観た時、きっと呼び込みか何かをしてる若い衆かと」

「大袈裟だねえ。若作りなだけさ」


 若作り、――という言葉で済まされるレベルの見た目ではないこと、自分でもようくわかってるんだがね。

 もちろん納得できないでいるアーサーは、畳みかけるように続けた。


「それに俺、古いヒノモトの言葉をいくつか覚えたんです。それでいうと”ローシュ”はつまり”楼主”。妓楼の主人のことで、別にあなたの名前を指す訳ではない、と」

「そうだよ。ローシュは通称さ」


 ここ数百年、ずっとそう呼ばれてたから忘れてたけど。


「一つ、聞いてもよろしいですか」

「なんだい」

「俺の実家に伝わる、古い言い伝えがあるんです。なんでも、大昔の俺の先祖は、”魔王”との戦いの末、殺さず、慈悲を与えて人知れず取り逃がすことにした。生き延びた”魔王”は、遠い極東の島国に流れていった、と」

「ほう」

「ここからは、俺の突飛な解釈かもしれません。……でも、この平和な世の中においても魔物たちと共に在るあなたの正体は、――ひょっとして……」


 アタシは、視線を空に向けた。

 ハーピーが大門の上あたりに止まっているのを見て、


「悪いけど、それは二人の秘密ってことにしておこう」

「なぜです?」


 アーサーは、じつに興味津々な表情だ。


「なんででも、だ」


 アタシはそれに、どうとも取れる返答で誤魔化す。

 理由は単純。

 若い衆は、少しぐらいもやもやするくらいがちょうど良いと思ってるからね。


 アタシは、煙管を深く吸い込んで、


「おめでとう。ごきげんよう。アスナは、――アタシの大切な同胞なんだ。きっと幸せにしておくれよ」


 吐き出した煙が青空に溶けていくところを、ぼんやりと眺めていた。

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