1-3 夜見世

 アタシたちが『魔性乃家』に到着すると、店内は夜見世に向けて、わちゃわちゃとした準備が始まっていた。

 格子の中にはすでに、退屈そうな娘が何人かボンヤリしている。


「帰ったよぉ」


 一声かけると、一匹のスライムがぽよんぽよんと見世の二階から現れた。


「あら、おかえんなさい、ローシュさま」

「よう、――アスナ。どうだい今日の、みんなの様子は」

「元気いっぱいよ! もう、どっからでもかかってこいって感じ」

「ならいい」

「でも、リリスちゃんから聞いたんだけれど、……”魔物狩り”? が出たんだって? それがちょっぴり不安だって、みんな言ってる」

「ああ……」


 アタシは眉間を軽く抑えた。

 そして、隣に居るアーサーを見る。

 この男、少しだけぼーっとしていたようだったが、アタシが袖を引っ張るとすぐに我に返ったようになって、


「ああ、すまん。……”魔物狩り”というのは、つまり、」

「あんたのことだね」

「そうか」


 すると、アスナはわかりやすく全身を硬直させて、


「えっ、お客様が……? えっ、ええと……し、失礼しました!」

「構わない。事実だ」


 アーサーは、少し物憂げに眉を揉んで、


「だが、誓って言うが、俺は公式に討伐対象となった魔物しか殺したことはない」


 ”魔族”、あるいは”魔物”と呼ばれるものたちにとって、討伐対象であるか、そうでないかを見分けることは難しい。

 要するに、「誰彼構わず迷惑を掛けるノータリン」が前者、「節度を保って暮らしていける連中」が後者だ。その点、人族の犯罪者も同じ扱いなので、そこに差別はない。だが、環境次第で悪人が善人にもなる人族に対して、魔物たちはそもそも、善も悪もない動物的な生き物であるという点に大きな違いがあった。

 かつて行われた人族と魔族の凄惨な殺し合いも、この辺の繊細な差異に関する無理解が発端だとアタシは解釈してる。


「ローシュどの。ひょっとして俺の血筋がその……サービスに影響するようなことはあるのか」

「そういう教育はしてないけどね。それでも、――心を持った生き物のすることだ。親の仇とまぐあえるかっていうと、やはりダメな娘も現れるかも知れない。この街は、単純な性欲処理を行うだけの場所じゃないんだから」


 これは、”国家公認の娼館”であるヨシワラが始まって以来、長年にわたって築き上げられてきた伝統だった。

 この街は実を言うと、単純な性欲発散を目的とする上ではあまりコストパフォーマンスがよろしくない。ヨシワラの遊女には相手を選ぶ決定権があるからね。

 この街では、遊女が上座に、客が下座に座る。

 仮に一国一城の主であっても、遊女が首を縦に振らなきゃ、肉体関係を結ぶことはできないんだ。


「ふむ……そう、であるか」


 アーサーはしばし、物憂げな表情を浮かべていたが、やがて何ごとも言わず、内所に向かってすたすたと進んでいく。

 内所というのは楼主が個人的に使う部屋で、本来客を通す所じゃないんだが、すでに特別扱いする程度の金は積まれていた。

 アタシは文句一つ言わず、野郎の背中に続く。


「やはり俺は……そういう星の下に生まれた人生なのだろうか……」


 気の毒な独り言が、ため息と共に漏れ出たところ、アタシは聞き逃さなかった。



 夜見世の支度が終わって、街道に面した格子の中に娘たちが揃ったのを確認してから、アタシはアーサーを表に案内する。

 『魔性乃家』は、大通りに面した大見世ほどという訳じゃないが、その店構えは立派なものだ。

 間口は25メートル、奥行きは50メートルの二階建て。

 建物の中、天井付近の鉄格子には火の羽根を持つ蝶を飼っていて、建物の中をオレンジ色に妖しく照らしている。


 見世の外の通りでは、早くも冷やかしの客がちらほら。


 アーサーを隣に、アタシは格子の外から、遊女たちを眺めた。

 彼女たちは皆、こちら側の存在などこれっぽっちも気に掛けずにぼんやりと過ごしてる。多種多様なその容姿を、揺らめく焔が控えめに照らしていた。

 見世の娘は、こうして観ているのがもっとも美しい。


「なんとも、――奇妙な光景、だな」

「そうかい?」

「ああ。……俺にしてみれば、彼女らとは敵同士だから。……例えば、あそこの”ゾンビ”などいるだろう」

「ああ、カバネのことか。あの娘はいいよ。口もきけないし腕がときどき取れるが、何より性根が優しい」

「俺はあれの仲間を、何百匹と斬ったことがある」

「……。まあ、ここじゃあそのことは忘れることだ」


 アーサーはその後、順番に娘たちを指さしていく。


「あの、小柄な娘は?」

「”女夢魔”のリリスだね。あの子とは基本的に、夢の中でまぐあう。想像力の及ぶ限り、どこまでも自由な世界での交合だよ」

「すまんが俺は、子供は受け付けない」


 次。


「あの、――蜘蛛と人間が融合したようなのは?」

「アラクネという種族だ。尻から出した糸を使ったプレイが人気でね」

「……しかしそれでは、ちゃんとしたまぐあいができないのでは? 俺はあくまで、子種を宿す訓練がしたいのだ」


 次。


「あの、あそこにいる……なんとも名状しがたい娘はその、――あれ、”人魚”か?」

「そうだね。ちなみに彼女とはちゃんとまぐあえるよ。下半身が人間だから」

「しかし、上半身が魚では、――その。……少し趣向がマニアックすぎる、というか……」

「あらそう。”いんすます”ってぇところの出身者には好評なんだが」


 次。


「ちょっとまて。あそこにいるのは、なんかの装飾かと思ったが――」

「ああ、”骸骨剣士”だねー。あの娘も良い子よ。手でするのが巧いんだと」

「骨? 骨とまぐあう客がいるのか? 世界は広いな……」


 次。


「なんであそこに……卵が置いてあるんだ?」

「ありゃ、火竜の卵でね。抱っこして寝たり、一方的に話したりする。一応、あの中で話は聞いてくれてるよ。生まれるのは数十年後とかだろうけど。もちろん、こっちからサービスできない分、割安にしてるよ」

「高い安いの問題ではない。それでは俺の目的が遂げられない」

「だろーね」


 次。


「――ヘビ女を始めて見たが」

「ありゃ”ラミア”だね。なんでも、あのヘビの部位にぐるぐる巻きにされて窒息寸前まで追い詰められるやつがたまらんのだと」

「たまらん、か……いや、やっぱりもうちょっと人間型のシルエットの者が……」


 次。


「あの女はどうだ? 普通の人間に見える」

「あの娘、吸血鬼だよ」

「何かまずいか?」

「残念だがあの娘は、あんたみたいに精霊の加護を受けた人間とはまぐあえない。灰になって消えちまうからね」


 次。


「ちょっとまて。あの娘は……まさか、エルフか?」

「うん。――ステラは混血だけどね」

「ダークエルフということか。どうりで肌が黒い……」

「あの娘にする?」

「あーいや、……できれば、他に……いないだろうか」


 それから、次……次、と。

 順番に見世の娘の案内を行っていくと、やがてアタシは、どうも紹介する娘はどれも、ぴんと来ていないらしいことに気付く。

 というかそもそも、話を始めてからずっと、気もそぞろ、というか。

 こういう客には覚えがある。一目惚れというやつで、実はとうに心に決めた相手が居るんだが、好悪を表に出すのが怖くって、言い出せずにいるんだ。

 これまでの経験から、アタシはその相手を予測して、


「なあ、アーサー。あんたが待ってる相手、わかったよ」

「?」

「ちょっと待ってな」


 そう言って、店の奥から連れてきたのは、例の手のひらサイズの少女、――スライムのアスナだった。

 大の男の握りこぶしよりも二回り大きい程度のその生き物は、まん丸の目玉できょろりとアーサーを見上げて、ちょっと恥ずかしそうにしている。


「馬鹿な。……いや、馬鹿は言い過ぎだが。その娘は、さすがに……人型でもないし、ちゃんとまぐあえないのでは」

「今ではこんななりだが、水を含めば身体を大きくすることができる。なんなら人型にもなれるよ」

「そ……そうなのか?」


 ごくり、と、アーサーが生唾を呑む。

 やはりこいつ、何かスライム種に思い入れがあるようだね。

 この男、城の近くでよく泳ぎの訓練をしていたと聞く。

 勇者の血族が住む城ならば、当然、強い魔物よけの結界が張られているだろう。

 力の強い魔物が避けられて、水場が近いとなると、多くの場合そこには害の少ない魔物の住処となる。

 スライムという種族は、基本的に草食性で、人間を襲うこともあまりない。

 ただ時折、水に飢えた個体が、小便している人間の股間に飛びつくことがあるという。

 もし、幼少時のアーサーがそうした事故の犠牲になっていたとしたら……。


「なあ、アスナ。――どうする? もちろん、選ぶのはアンタだよ」


 ヨシワラでは、いつ、いかなるときでも、最後の決定権は遊女に委ねる。

 この街で、一番偉いのは遊女。しかしその決定に責任を持つのも彼女たちだった。


「えっと……でも、あたしの最初の相手って、ツキさんなんじゃ?」

「別に、そうだと決まったわけじゃない。自分で選んで良いんだ。この男はあんたが好きだって言ってる。だが聞いての通り、こいつは問題のある男だからね」

「うんと……」


 手のひらサイズのスライムに見上げられて、百戦錬磨の勇者がたじろぐ。


「お……俺は……確かにその、奇病の持ち主だが、乱暴ではない。そもそも、最後までことに及ぶことができるかどうかだって定かではないし」


 そういうこの男、どうも股間の辺りがすでに膨らんでいる気がする。間違いなくアタリだ。とはいえ、スライム族の遊女は、『魔性乃家』ではアスナしかいない。もとよりスライムは、あまり知性が高いとは言えない種族だからね。

 もし彼女がダメだったら、仲介料は丸ごとお返しすることになるだろう。

 アタシとしても、この取引を丸く収めたい気持ちがある。

 ちょっぴりどきどきしながら、ことの成り行きを見守っている、と、


「うん。いいよ。あたし、この人がいい」


 手のひらの中にいるぷるぷるが、囁くように言った。

 アタシは内心でガッツポーズ。アーサーはなんだか、目が覚めたような表情をしている。

 この男、どこか初恋が成就したように弾む声色で、


「いい……のか? 俺などがはじめてで。俺は、――魔物狩りの一族だし。あんたの同族だって、少なからず殺してきた」

「いいよ。”人族”だって、犯罪者は処刑されるでしょう。それと同じことだわ」

「そ、そうか……」


 家名を重んじるアーサーにしてみれば、それは完璧に納得できる言葉ではなかったかもしれない。

 だが、それでもこの場合、救いにはなるだろう。


「では、――アスナさん。どうぞよろしく」

「ええ……」


 それで、と、二人がこちらに視線を向ける。


「ローシュどの。我々は、どうすれば?」


 アタシは苦い顔を作った。

 どうもこうも。好き合った者同士が二人、ここにいつまでも突っ立ってる訳にはいかないだろうに。


「しかし通常、高級遊女を抱く場合は、いくつかの段階を踏んで、馴染みにならねばならぬと聞いたことが――」

「まあ、それはあくまでそういう形式なだけだ。実際にゃあ、そこまで厳密に仕事をする娘はいないよ。……それに、その娘はまだ、水揚げ前だしね」


 アタシは、小さく嘆息し、


「アスナ。寝所は整えてあるかい」

「ええ。……いつお声が掛かるかわからないから、ちゃんとしときなって。ステラ姐さんが」

「そうか」


 そしてアタシは、アーサーの手に、アスナをそっと載せた。


「そいじゃ、特にこれだという決まりもない。裏の水場によって、たらふく水を飲んでくるんだ」

「う、うん。それから?」

「それから、二人で部屋に入って……あとは思うまま、男女の振る舞いでいい。でも、どれだけ夜更かししても、明日は日の出までには起きるんだよ」

「わかった。……ありがと。ローシュさま」



 次の日。

 日の出前の時分に、朝の空気を入れようと表の扉をがらりと開ける、――と。

 

 なんだか晴れやかな顔をしたアーサーが、じっと腕組みなんかして空を眺めていた。

 アタシは、しばらくその男の表情を眺めてから、


「ゆうべは、おたのしみでしたね?」


 と、古来より宿屋の主人が口にする、お決まりの文言を言う。


「いやぁ、……人生とはここまで素晴らしいものかと思って」

「あら。そうかい」


 童貞を捨てた男特有の万能感ってやつだろう。


「今朝、夢を見たんだ。ひとつ、思い出した記憶がある」

「?」

「あれは、とある夏場のことだった。うだるような暑い日で、俺が近所の水場で水練を行っていた時分の頃。……悪ガキだった俺は、ちょっとした悪戯を思いついたんだ。その辺に居るスライムを一匹捕まえて、日向のあるあたりに晒したらどうなるか、と」

「ふむ」

「そのスライムは、すぐに水を欲して暴れ始めた。その様を観て俺は、嗜虐的な喜びに浸っていたものだ」


 子供ってのはそういうもんだ。毛虫をいじめるようなものだろう。


「そして俺は、……渇くスライムに向けて、尿いばりをぶっかけてやったんだ。水が欲しけりゃ、くれてやるって」

「ふむ」

「そのスライム……が、怒ったかどうかはわからない。そもそも、やつにそれほどの知性があったのかどうか。とにかくそいつは、俺の股間にむしゃぶりついてきたんだ。ちゅうちゅうとものすごい勢いでイチモツが吸い取られたことをよく憶えてる。その後、俺は失神して、弟に起こされるまで下半身丸出しのまま、その場で倒れていた。股間からは、なんだか見たことのない汁を垂らして……」

「へ、へえ……」

「たぶん、すべて、罰だったんだよ」


 まあ、最初の射精は癖になるというからねえ。


「つまり、結論から言うと――アスナとの夜は、うまくいったのかい」

「最高だった」


 そうかい。最高かい。

 いろいろ話していたが、一言でまとめると、そういうことのようだった。

 で、この男がすっかり満足したということは、――アスナは仲間の言いつけを守って、うまくやったということだろう。


「なあ、ローシュどの。このたびは大変な世話になった。俺が稼業を継いだ暁には、必ずまとまった返礼を行うよ」

「ああ、――それは楽しみだね」


 早朝。白い安堵の吐息が二つ、ヨシワラの空にぷかぷかと昇っていった。



 とはいえ、これにて一件落着と、あっさり終わらなかったのがこの件の厄介なところだ。


 アスナで慣れさせて、いずれは人間の女にも……というアタシの思惑は、完璧に当てが外れることになる。

 確かにアスナはうまくやった。――いや、うまくやりすぎたのだ。


 アーサー・ソードマンはその後、一週間ほど居続け(妓楼にとどまること)を行い、実家へと帰っていった。


――身請けのために、近々、戻ってくる。


 そうアスナに言い残して。

 それが、若い新造(下級遊女)にとってどれほど残酷な嘘か、考えもせずにね。

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