1-2 勇者の末裔

「へーえ。勇者の家系か」


 アタシは腕を組み、その男の頭のてっぺんからつま先まで、まじまじと見る。

 平和になった世の中で、今さらその称号に意味があるわけじゃない。だが、一部の義理堅い大衆により、その血筋が保護されているのは事実だ。

 それに、低級な”魔物”どもにも、時には対処が難しい個体もいる。

 そういう時、勇者という威光が役に立つ時があった。


 アーサーを連れたアタシらはいったん、見世の中にある小さな客間で甘茶を楽しんでいる。

 相手決めは夜見世が始まってからでいい、というアーサーの計らいだ。


「そうだ。俺で十二代目のソードマンになる」

「ふうん。……で、その勇者様とやらが、いったいどういう奇病にかかっちまったんだい」

「それは、だな」


 男は、太めの眉毛に眉間を寄せて、


「女を抱けないのだ」

「ふうん」


 なんだそんなことか、と、アタシは拍子抜けする想いになる。


「じゃ、男を抱けば良いじゃないか」


 すると彼は、何だか驚いたように両手をぱたぱたして、


「い、いや、そういうことではない。俺は女が好きなんだ」

「女が好きなのに、抱けないのかい?」

「ああ」

「男を試したことは?」

「だから、俺にはそういうケはない!」

「?」


 一瞬アタシは、彼がどういう理屈で声を荒げたのか理解できなかった。

 だが、外国では時々、同性の恋愛をタブー視する習慣があると聞く。たぶんその辺の問題だろう。


「本番がうまくいかないってこと?」

「……ああ」

「勃起は? 一人で慰めるようなことは?」

「ある。が、一人の時と、相手がいるときとでは、――その。勝手が違うだろう」


 まあ、それはわかる。男の初体験にはありがちなことだ。

 産まれてこの方、人前でずっと隠してきた部位を第三者に晒すわけで、別のトコロに血液が集まるのも無理ない話だからね。


「ん。ってことはアレか。新兵によくあるやつか」

「いや、そうでもないのだ」

「?」

「実は、女を買うのは、これが初めてではない。――正直に言うと、ここに来るまでの間、あちこちの国の娼館やぱふぱふ屋に行き、いろいろな方法を試したのだ」


 だが、どういう見世でも、最後までまぐあえる相手に巡り会えない。

 だから最後の手段として、アタシの見世を訪ねてきた、と。

 アーサーは暗い表情で、きつく麻紐で縛られた袋を取りだし、じゃらりと机の上に載せた。

 中身を見ると、――金貨がぎっしり。外国の貨幣だからいくらになるかわからないが、ざっと見積もっても通常いただく代価の数十倍にはなる額である。


「ローシュどのは、性に関するあらゆる問題に通じると聞いた。それに、かなり信頼できる御仁だと」

「まーね」

「頼む。もし子種を残せないのならば、家には戻るなと言われてる」


 その切実な表情は、――とてもじゃないが、ヨシワラの美人を観に鼻の下を伸ばしにきた男の顔じゃない。

 自分の人生を左右する戦いに挑む、一人の男の姿だった。


「はあはあ。不能の長男を勘当するとは、今どきどうして、古風な考え方の家もあったもんだ」

「何か、まずいか」

「別に。この話を断れるほど、ウチの家計に余裕があるわけじゃないしね」

「では、――」

「万事、承ったよ。幸い、この街には、およそ人が思いつくあらゆる遊びで溢れてるからさ。さっそくいろいろ、試してみようじゃないか」



 そうして、まずアタシたちが向かったのは、とある行きつけの湯屋だった。


「ここは……」

「風呂屋だ」

「何? 風呂屋?」


 アーサーは、少し訝しげな表情を作って、


「おい。俺は別に、観光に来てるわけじゃないぞ」

「いいんだ。安心しな。手始めとしては、こういうところが上出来だろう」

「え?」

「ここの湯屋はね、下半身の面倒も見てくれるのさ」

「なに? 風呂場で……女を抱くのか?」

「厳密には、風呂場の二階だけどね。とりあえず無難なところから、いろいろ試してみようと思ってさ」

「風呂屋で女を抱くのが、無難なのか……?」


 その言葉に、アーサーは真面目くさった表情を不快そうに歪めた。


「わけがわからん。ヒノモトの人間ははるか未来を進んでいるな……」

「あんまり難しく考えないことだ。あんたは成り行きに任せておきゃあ良い」


 昨今、どうも浪漫たっぷりの恋愛噺(白百合が散らばった良い香りのするベッドの上で、自分のことだけを愛してくれる相手に処女と童貞を捧げるようなやつ)が流行っているせいか、この手の動物的な行いに妙な夢を見ている連中は多い。

 交尾の手順を複雑に考えすぎてるんだ。だから上手にことが運べないってわけ。

 この手の見世のやり方は、単純だ。犬猫の乱交を観ているようですらある。

 だからこそ、こういう真面目くさった男にはちょうどいいんじゃないかってね。


 二人、連れ立って湯屋に入ると、湿気た木造の匂いが鼻についた。

 同時に、


「う、わ……っ」


 アーサーの驚いた声が上がる。

 無理もない。目の前に広がるただっぴろい一室にゃあ、股間を軽く手ぬぐいで隠しただけの、素っ裸の男女がぶらぶら歩き回っていたからだ。

 部屋の隅っこに、男女別の下履きと衣服を入れておく籠が在るものの、それ以外に男と女を隔てるものはない。部屋中央に、かつてお上に混浴が禁じられていた時代の名残として、羽目板があった痕跡が在ったが、いまやそんなものすら取り払われていた。


「神よ」


 アーサーは生真面目に向こうの国の神様に祈っていたようだったが、アタシはそれを無視して、この男の先を進む。

 土間に入ってすぐ、右手には顔なじみの番頭の男がいて、「やあ、ローさん。珍しいね」と声をかけてきた。アタシは首を横に振って、自分の懐から銀貨を十枚、男に手渡す。

 その額から、少し彼は珍しそうな顔をして、


「おや。まさかあんたが?」

「早とちりすんな。試すのはこの、――異人さんだ」

「ああ、そうか……、でもいいのかい、お客を取っちまって」

「いいんだ」


 こちとらもうすでに、仲介料以上のお代をいただいてるからね。


「今回は、とりあえずお試しで。この男、筆おろしでね。手管の良い娘を頼む」

「ああ、――とりあえず『湯屋へ行け!』ってやつか」

「そんなとこ」


 アーサーは、異人さんがよくやる『下履きのまま室内に入りかける』っていうお約束をやらかしたあと、籠の中に衣服を預ける。

 しかしこの男、意外にも堂々と裸体を晒したものだった。あまり他人に肌を見せない文化の国は多いと聞くが、この男の故郷ではそうではないらしい。


「城の近くに、代々水練に使う由緒正しい湖があるんだ。俺は子どもの頃からそこで、泳いでばかりいた」


 とのこと。

 ってかこいつ、城住まいなのかい。ちょっとした王族じゃないか。

 ……ひょっとしてアタシ、わりと規模の大きい話に乗っかっちまってる?


「ところで一つ、質問があるんだが」

「なんだい」

「さっき番頭が言った、『湯屋へ行け』ってのは?」

「ああ、――ヨシワラの古いことわざでね。恋に恋するお年頃の若い連中は、とりあえずココの動物じみたまぐあいをみて、現実を思い知った方が良いっていうんだよ」


 股間を手ぬぐいで隠した異人さんを連れ立って、アタシらはズダッズダッと足音立てて、木造の床を横切っていく。

 ここは異人の客も多くいるから、こっちを気にする視線はほとんどない。


 やがてアタシ等が二階へ繋がる階段に足をかけると、強烈に甘い匂いが鼻についた。最近ようやく庶民の手に届くようになってきた、石けんの香りである。

 本来、湯屋の二階は風呂上がりの連中の休憩所だが、ここでは別のトコロもさっぱりできるって寸法だった。


「ここでは、ヨシワラ流の風呂上がりの楽しみ方をする」

「しかし、――俺は風呂に入ってないが」

「誰も気にしないさ。どうせすぐまた、油で汚れる」

「油? 油がどうしたのだ?」

「全身に塗りたくるのさ。で、お互い蛞蝓なめくじみたいになって絡み合うんだ」

「ほ、ほう……」

「間違っても火系の魔法なんか使うんじゃないよ。みんな揃って火だるまになっちまうからね。はっはっは」

「うむ……」


 なんだい。今のは笑うところだったのに。


「いいかい、アーサー。ここで一通り遊んだら、帰りにひとっ風呂浴びて、そいでから出ておいで。アタシは店の外の茶屋でのんびりしてるから」

「……了解した」


 男は、実に神妙なる顔つきで頷いた。

 まるでこれから、竜狩りにでも向かうんじゃないかって表情だ。わろける。


「では、行ってくる」

「はい、いってらっしゃい」


 そして二階の一室に向かうと、――中から複数の娘たちの「いらっしゃいませ」という唱和が聞こえてきた。

 もちろんあの部屋の中では、お上が嫌う”風紀の乱れ”という言葉をそのまんま形にしたような光景が待ち受けてる。


 ヨシワラじゃ、”ばけねこのつえ”は禁じられちゃあいない。だから中の女たちは皆、他に類を見ないほどの上玉揃いだ。

 もともと、ここの連中は女夢魔サキュバス顔負けに男の精を吸っちまうから、お客は頬をこけさせて帰ってくと評判だった。

 とある異人さんが、ここに入ってすぐさま、こう言っていたのをよく憶えてる。


――この地は、ソドムとゴモラだ。


 いずれここには神罰が下り、跡形もなくなるであろう、と。

 幸い、彼の予言はこの数百年間、ただの一度も当たった例しがなかったが。


 ま、良いとこ育ちのお坊ちゃんでも、そういう刺激もたまには、ね。



 んで、一時間後。

 近所の茶屋にて煙管をボンヤリふかし、泥みたいに甘く煮込んだお茶を愉しんでいる、と……。


「終わったぞ」


 アーサーが、出会い頭と同じく眉間に皺を寄せた状態で顕われた。

 その全身からは、ほかほか湯気が立ち上っている。どうやらアタシの言いつけ通り、帰りにひとっ風呂浴びてきたらしい。


「どうだったい?」

「ダメだった」

「あらそう」


 男は、少し不満げに続ける。


「しかしあの場所、――とんでもないところだな。なんどか尻を狙われたぞ」

「身を任せればよかったのに」

「冗談じゃない。出すところと入れるところを混同するなどと」

「その調子じゃあ、尺もさせなかったんだろ」

「尺?」


 アタシは舌をべろりと出して、


「口淫のことだよ」

「ああ、……それは少し、……試してみた。今まで通った店でもよくある作法みたいだったから。その後、手やら足やら、いろいろとされたが」

「それでも、ダメだった、と。……ふむ」


 やれやれ。

 ってことはやはり、並大抵のことではないようだ。


「やはり俺は、――男として不能なのだろうか」


 アーサーは、深刻にうなだれる。無理もない。家に勘当されるかどうか以前に、一匹の雄としての劣等感は計り知れないはずだ。その辺にいる野良犬にもできることが、自分にはできないってんだから。


 こうなってくると、こっちにも多少の人情がある。


「それじゃあ、しゃーなし」と、アタシは嘆息した。


「正直、”魔物狩り”とウチの娘をまぐあわせるのはちょいと気が進まなかったんだが、……いいだろ。アタシの見世で面倒みてやる。着いてきな」

「え? ……ああ」


 もとよりそのつもりだったアーサーは、少し目を丸くしてアタシに続く。


 この男、なかなかどうして、鈍ちんと来てる。

 自分の血に宿るものがどれほど忌まわしいか、よくわからないみたいだ。

 長寿系の種族にしてみりゃあ、それこそ親や子の仇の血筋だったりするわけなんだけどねぇ。

 長くて八十年くらいで魂魄に還る”人族”にしてみれば、それも無理のない話か。


「あんたが気にしないなら、別に構わんよ」

「? いま、何か言ったか?」

「いや、何も」


 まあ、――”勇者”の血族は皆、不思議とそういうところがあるのがお決まりだ。

 世界平和に身を捧げるようなやつは、大なり小なり空気が読めないものなのかもしれない。

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