マモノ遊廓の日常 ~ゆうべは おたのしみでしたね?~

蒼蟲夕也

1-1 色里「ヨシワラ」

 魔族と人族の和平が結ばれ、およそ360年に及ぶ泰平の世が続いていた。

 当然、市井しせいの人々もまた、平和な生活を満喫している。

 その中で、もっとも顕著なる発展を遂げた街があった。


 色里「ヨシワラ」。


 ヒノモトに生を受けたものの望みは二つあり。


 一つ。「おイセさま」という、人の縁を司る女神に参拝すること。

 そしてもう一つ。歓楽都市「ヨシワラ」にて、享楽の宴を開くこと。


 ヨシワラの大門をくぐるとそこには、異界が広がっていた。

 二百万坪に及ぶその空間では、あらゆる性の欲望を満たすためのあれこれが満ちている。


 ここでは、こんな有名な句があった。


『闇の世は ヨシワラばかり 月夜哉』


 この句には二つの側面がある。

 「ヨシワラばかり月夜哉」で言葉を切るか、

 「闇の世はヨシワラばかり」で言葉を切るか、だ。


 前者なら、不夜城・ヨシワラの美しさを称えているように見え、

 後者であれば、月夜においてもヨシワラに棲まう身の上を嘆いているようにも見えるだろう。

 アタシにはこれが、ヨシワラの二面性を象徴しているように思えてならない。


 まあ、ことほど左様に、世の中には酸いと甘いが両立してて当然さ。

 花魁の華やかさに目を奪われちゃあ、その泥臭い側面に足をすくわれるって寸法よ。


 この街じゃ、身分や美醜、男女の差別などは一切関係がない。

 ただ、金。

 金さえあれば、王族の如くもて囃される。そういう場所だ。


 アタシにはそれが少々、気に食わない。

 遊女たちの多くは、国中から集められてきた奉公人、――と言えば聞こえがいいが、要するに身売りされてきたようなもの。

 その時に支払われる価格なんて、餓鬼で金貨三~五枚。上玉で金貨十五枚って、その程度。アンタらの世界の価格で言うならば、五十~百五十万円程度が相場だろうか。


 世の中は不平等――貧しいモノと富めるモノがいる。それをどうこう言うつもりはない。


 でも、もう既にみんな、すっかり苦汁をなめてここに来たんだ。

 この檻の中にいてあの、金色の平たいまん丸に人生を左右されるなんて、まっぴらじゃないか。


 とはいえこの渡世、きれい事ばかり言ってもいられない。

 金が全てじゃないと証明しようにも、それに頼って生きてかなきゃならん現実がある。


 そもそもあの日、アタシがあの男と関わる羽目になったのも、ぶっちゃけ金に目がくらんだからに他ならなかった。



 それは、アタシが洗濯籠を抱えて近所の水場に向かっている時のことだ。


「アスナの水揚げ、そろそろじゃないかな? かな?」


 と、女夢魔サキュバスのリリスが囁く。

 どこか舌っ足らずにしゃべる彼女の歳は、まだ二十になったばかり。

 人間の年齢に直せば、十歳かそこらだろう。見た目もほとんど子どもだ。


「そうさね。そろそろあの子も、そういう時期か」


 耳年増な彼女は、にへらと笑って、


「良い人、いる?」

「うーん……」


 アタシは腕を組み、考え込んだ。

 ちなみにこの”水揚げ”ってのは、女郎が初めてする性行為(破瓜)のこと。

 一般に、この儀式を終えた者だけが客を取ることを許されるのである。


「そうだねえ。やっぱり”人族”のなにがしがいいかねえ」

「お客はほとんどそうだしね」

「西部からときどき遊びにくる、ツキさんとかどうだろ。あいつ良い奴だしさ」

「えーっ。ちょっと若すぎない?」

「そうかな」

「初めての相手なら、やっぱり40を過ぎてないと」


 これはわりと遊女の間では通説で、最初の相手は、気心の知れた中年が良いと言われてる。


「若いのはいざ戦場となると、松の根っこみたいにがくがく突き立てるものだわ。やっぱりおじさまが一番。おっきくなってもふわっとしてるし、場数も熟れてがつがつしてないから、新造を痛めるようなこともないもの」

「……なんだい、その言い草は。また春本エロほんでも読んだか」

「でも、みんなそういうんですもの」

「ふーん」


 水場に到着したアタシは、その辺りで雇われてる水の精霊どもに銅銭十枚と洗濯籠を手渡した。

 すると、風呂桶一杯分ほどの水場はたちまち沸騰し、穢れの詰まった下着がぐるぐると回転する。

 そこに、安物の粉石けんをぽとり。

 ぽこぽこと泡立っていく。

 アタシとリリス、二人で虹色に輝くシャボン玉をぼんやりと眺めながら、


「……ねえ」

「うん?」

「せっかくだから、ローシュさまがやったら? アスナの水揚げ」

「妓楼の主人であるアタシが、自ら? この商売にあるまじき提案だねえ。マンジローの一件を忘れたかい」

「マンジロー? 誰、それ」


 そうか、知らないか。

 数十年ほど前、マンジロー・ナカガワという楼主が家族六人を斬り殺した事件があった。

 その遠因となったのが、妓楼の経営者、――楼主という立場を利用しての女遊びである。

 男女の仲というのは、時に狂気を孕む。こういう場所で仕事をするのであれば、感情と欲望をコントロールできるようでなければならない。

 ……と、いうお説教を長々と話してやるが、リリスはけろりとして、


「でもその人、奥さんがいたんでしょう。ローシュさまなら独身だし、セーフよ、せーふ。……まあ肝心の、おっ勃つモノがないって言うなら話は別だけれど」


 アタシは顔をしかめた。この娘の魂胆が見えたんだ。

 この応えようによっては、アタシの性別がわかる。

 で、リリスは、アタシの正体を確かめようとしてるわけ。

 無理もない。アタシの容姿は、男のようにも女のようにも見えるからね。

 それが、この辺りの若い衆の間で賭け事の対象になってるって話に聞いたことがある。


「悪いけど、それはやらないよ」

「なんで?」


 リリスの興味津々な表情。


「なんでも、だ。だいたい、売り物に手を出す店主がどこにいるってんだい」

「結構、そういうことしてるところもあるって聞くけど」

「ウチではそういうことはやらない」

「むー」


 誤魔化されたことに気付いたのだろう。リリスはほっぺたを膨らませた。


 若い衆は、少しぐらいもやもやするくらいがちょうど良い。

 やがて洗濯も終わり、アタシは見世の子たちの下着を籠に放り込んだ。



 洗い物が終わって夕刻。午後四時くらい。

 昼見世を閉め、夜見世が始まるまでの間の二時間は、遊女たちにとっては最も自由な時間だ。

 昼でも夜でもない、この黄昏時だけ、彼女らが普通の女の子みたいに過ごしているところが見られる。

 きゃっきゃと数人の娘たちが談笑しているところを横目に、洗濯物を抱えたアタシとリリスは、自分たちの見世――『魔性乃家』に到着した。


 ちなみに、この見世の呼び方は二つ。

 古き良き、ヒノモトの言葉では”ましょうのいえ”。

 しかし異人さんたちは、”モンスター・ハウス”とも呼ぶらしい。


 ここは、ヨシワラの中でもかなり珍しい、”魔物”専門の見世である。

 もちろん、ちゃーんと合法な見世だよ? 冒頭に陳述した通り、人族と魔族は大昔に和平を結んでるからね。

 とはいえ、異種間での交わりに偏見がないわけじゃない。客層も、わりかし馴染み客が中心って感じ。

 その馴染み客も、ぶっちゃけそれほど金を落としてくれる訳ではなく。

 お陰様でウチの見世は自転車操業。火の車ってわけ。


「ありゃりゃりゃー? ねえ、――ローシュさま。あれ、見てよ」

「あン?」


 リリスに言われ、アタシは洗濯物を横にして『魔性乃家』を覗き見る。

 するとどうだろう。そこには、うちらの見世にはずいぶんと似つかわしくない、たいそう立派な魔導車が止まってるじゃないか。座椅子にふかふかのクッションが敷かれてて、長時間座っててもケツが痛くならないやつだ。

 ヒノモトが鎖国を止めてからというもの、こういうハイカラなものがヨシワラでもよく見られるようになってきた。お陰で最近じゃ、交通事故なんてのが増えてきてるのにゃあ閉口だけども。

 車の中でむっつり唇を真一文字に結んでいるのは、一人の異人さんだった。

 墨で塗ったように太い眉に、触れると刺さりそうなほどカッチリ刈り上げた灰色の髪。いかにもな”軍人”タイプだ。

 彼は、いかめしい顔に腕を組み、自分がいま、この場所にいることそれ自体が気に入らない、とでも言わんばかりの風体だった。


「なんだろ……?」


 リリスが少し怯えた表情でアタシの背に隠れる。あの男になんとなく、恐ろしいものを感じているのだろう。

 それも無理はない。アタシにはわかる。


 あれからは、――”魔物狩り”の臭いがするからね。


 恐らく、どこぞ名のある冒険者か、騎士の血族だろう。

 金糸にて家紋が縫われた純白のマントに、鋼の甲冑。足元はしゃれた青色のズボン。腰には退魔の力をもつとされる、純銀の剣。

 旅塵に多少汚れてはいるものの、あらゆる装備にかなりの金が掛かっていることが予想された。


「やあ。ウチの見世になんのようだい」


 まずアタシは、気軽に声をかける。

 すると彼は、アタシの見た目に少し驚いた表情を見せてから、


「あなたが……ローシュどのか?」

「そだよ」


 男は一瞬だけ迷っていたようだったが、やがて覚悟を決めたように、


「で、あれば。俺はここで、女を買いたい。ヒトならざる女を、だ」


 それはまあ、八百屋に行って「なんか野菜下さい」と言うようなもの。

 アタシとリリスは少し目をぱちくりさせて、


「ああ、そりゃ構わないけど。具体的に、どういう?」

「わからない」

「わからん?」

「だが、――俺をこう、……めちゃくちゃにしてくれるようなのがいい。俺の新しい扉を開いてくれるような……壮大な冒険のはじまりを予感させてくれるような女を」

「なんじゃそれ」


 ずいぶんと詩的な要求である。

 アタシとリリスは再び目を見合わせて、


「まあ、その辺は相手を決めてから……と、言いたいとこだけど、いまはあいにく休憩中でね。夜見世の時刻、――六時以降に来てくれないか」

「ダメだ」

「は?」

「この辺りでぼーっと突っ立っていたくない。人の目がある。わかるだろう?」

「はあ」


 大門をくぐって、何を今さら……とは思うが、まあそういう客がいないわけじゃない。

 性に関する欲望は普通、秘される者だ。この街にいると時々忘れそうになる事実だけれど。


「わかったよ、じゃあ見世に入って待つか」


 すると男は、意外なほど清々しく頭を下げて見せた。


「かたじけない。恩に着る」

「大袈裟だね」」

「それと一つ、先に断っておかなければならんことがあるのだが」

「?」

「俺には一つ、奇病があるのだ。ここでなら、その病が治せるかも知れない、……そう風の噂で伝え聞き、はるばる西の大陸から渡ってきた」


 この男の名は、アーサー。アーサー・ソードマン。

 あとで知ったんだがこの男、ちょっとした由緒ある家の者らしい。

 どれくらい由緒あるかって言うと、……かつて”魔王”を殺した、勇者の血筋だとか。


「まず先に言っておく。面倒をかける代わりに、金に糸目をつけるつもりはない。俺は、――家名と誇りを賭けて、いまここにいるのだ」


 その後、アタシはちょいとしたお家騒動に巻き込まれる羽目になる訳だが――。


 少なくともその時のアタシにゃあ、知るよしもなかった。

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