第29話 記録に残る幼少期 ~ 成り上がる前

 「これが、くすのき学園の元園長の稲田健一先生が1984年に自費出版された「お正月の紳士」という本です。こちらに、中元さんと思しき保母が、当時の小田英一君を世話している記録が、引用されています」

 しばらく歓談しているうちに、米河氏が、一冊の本を取出し、該当部分を示した。中元元保母にとっては、一字一句とまでは言わないものの、そのようなことを日誌に書いたことを覚えていた。さすがに稲田氏の著書の上では、S保母と仮名になっていた。イニシャルは当時の旧姓よりも現在の苗字じゃないかという向きもあろうが、稲田氏はそこまで考えてそう表記したわけではなく、純粋に本人を特定できない形にすべくイニシャルを違えて表記しただけのことであった。


S保母の育成記録(昭和53年度)より

11月X日(金)

 朝、部屋に行って「おはよう」と言うと、英一は「おはよう」と言った。

 部屋の中で一番元気のいい声だった。

 「英ちゃん、いいお返事ができたね」

 と言うと、うれしそうだった。

11月Y日(火)

 「はい」「おやすみ」などが、きちんと言えるようになってきた。言える言葉も増えている。それだけではない。今日の保育で、英一はこんなことを言った。

 「ボーン(ボール)、おとした」

 二語文を話せたのは、私が知る限り初めて。

 「だれが、おとしたの?」

 ゆっくり、尋ねてみた。

 「こうちゃんが、おとした」

 二語文での会話が、できた。

                         (引用終)


 「くすのき学園にいた頃は、職員の皆さんから英ちゃんと呼ばれていたのですね」

 英一氏が、感慨深そうに言った。そこで弟の真二氏が、意外な事実を明かした。

 「いやあ、兄は、どういうわけか中学生の頃から矢沢永吉のファンになって、何年か前に明石で矢沢永吉のコピーバンドをしている鉄板焼きのマスターを紹介したら、自分もやると言いだして、コピーバンドを組んでコンサートをやっていますよ、ライブハウスなんかで。本人が言うには「エイチャンコール」を受けるのが何より快感らしいです」

 古賀先生が、教え子たちの話に加わった。

 「そりゃあ、幼い頃にくすのき学園で保母さんたちから「英ちゃん」なんて呼ばれていたのが原体験にあるからじゃナ。私は矢沢永吉の歌はあまり知らないし、なんせ、名前が古賀メロディーのおじさんと一緒だから、多くを語ることはできんけどね」

 米河氏は、数年来住んでいた明石市のその店に何度か行ったことがあると言う。

 「その西明石のマスターの店、私、何度も行きましたよ。外国のビールがたくさんあって、それぞれのビール専用のグラスで出してくれる店です。そのマスターがボーカルをしているコピーバンドのコンサートも、何度か行きました。酒屋に併設されたライブハウスみたいなところでね、みんなで矢沢永吉のタオルをもって、エイチャンコールをやっていましたけど、そのマスターねぇ、自他ともに認めるところですけど、雰囲気が、あの板東英二さんに似ていましてね(苦笑)。あ、板東さんも「英ちゃん」でしたね・・・」

 居合わせた人たちから、暖かい笑い声が期せずして沸き上がった。

 元保母にして前期高齢者となった老婦人、にっこり笑って、一言述べた。


 「英ちゃんも、本家の矢沢永吉さんにそん色ないほど、成り上がったみたいね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小説 養護施設 2 くすのき学園編 与方藤士朗 @tohshiroy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ