第28話 育ての母との再会

 寿司屋の暖簾をかきわけ、40代前後の男性が二人、やってきた。

 「おお、二人とも、よく来てくれた。すまんな、呼び立てて」

 彼らの父親でもある大将の声に続いて、古賀氏が二人に声をかける。

 「いやあ、お久しぶりだな、二人とも、元気にしておったか?」

 「ええ、うらなり先生、何とか頑張っております」

 「お久しぶりです、古賀先生。お元気そうで、何よりです」

 弟に続き、兄が答える。うらなり」というのは、夏目漱石の名作「坊ちゃん」に出てくる英語の古賀先生と同姓だからということで、K中学に限らず、こちらの古賀先生も、「うらなり先生」とあだ名で呼ばれることが多かったのだ。

 兄の英一氏も、思わず「うらなり先生」と言いそうになったのだが、さすがに、幼少期の恩人の前でそんなことは言えないと思って、普通に古賀先生とお呼びしましたと、その後米河氏に述べた。

 当の古賀先生、別にそのあだ名を嫌っているわけでもない。42年ぶりの再会を目の当たりにしながら、古賀氏が、米河氏にそっと語った。

 

 私の父親が古賀政男のファンでね、それでこの名前を付けてもらったのはいいけど、子どものころは、歌も楽器もあまり上手くなかったから、茶化されたこともあった。でも今は、この名前には感謝しているよ。カラオケで古賀メロディーと言われる曲を時々歌うけど、実にいい歌だ。だけど、それよりも坊ちゃんのうらなり先生のほうが、君らあたりの世代の生徒らには受けたね。国語の教科書で教わるじゃない、あの作品・・・。


 兄のほうが、店の中にいる老婦人に声をかけた。

 「失礼ですが、中元先生でいらっしゃいますか? 幼少の頃は、大変お世話になったようで、本当に、ありがとうございました・・・」

 かねて中元保母の話を父親たちから聞かされていたこともあってか、英一氏は、何よりもまず、彼女に礼を言わずにはいられなかった。

 「あなたが、小田英一君・・・」

 「はい、小田英一でございます。O県教育庁に勤務しておりまして、現在の職場は、中央区丸の内のO県立図書館です」

 そう言って、彼は名刺を老婦人に差し出した。

 「そうなの・・・、大きくなられたわねぇ・・・。私、よく、県立図書館には本を借りに行くけど、まさか、あなたがそこの偉い人になっていたとは・・・」

 「いえいえ、確かに、えらい人にはなれたかもしれませんが、身体だけですよ、えらいのは。役の偉い人は、まだ何人もおりますし・・・。あ、でも、特に病気でえらいということはありません。厄年は終えましたけど、そこは気を付けるようにしております」


 彼らの父親が、ハンカチで顔をぬぐう彼女に、二人の息子たちを改めて紹介した。

 「彼は紛れもなく、あなたにお世話になった、うちの息子の小田英一です。それから、こちらの、いかにも偉そうな、おまけに年季も入った金色のくすんだバッジをつけておるのが、その弟の真二です。私の妻、昨年亡くなりましたけど、彼女と一緒にくすのき学園に英一を迎えに行ったときに、妻が抱いていた赤ちゃんが、この子です」

 「もちろん、覚えています。まさか、ここまで立派になられたとは・・・」

 「いやいや、稲田先生が、兄の英一に「英ちゃんの弟だ、可愛いだろう」なんて言っておられましたけど、今や、こんな偉そうな中年男になってしまいましてねぇ・・・」

 父親の弁を制し、弟があいさつをする。

 「はじめまして。小田真二と申します。現在、大阪で法律事務所を構えております」

 「はじめまして、というか、お久しぶりです、と申すべきか、よろしくお願いします」

 老婦人は、初対面とも久々の再会ともつかぬあいさつに、戸惑っている。もっともそれは、現在中堅クラスの弁護士となっている中年男性にとっても同じである。前者はともかく、後者に至っては、かつて目の前の女性に会った記憶さえないのだから。


 「中元先生、御無沙汰しております。日高です」

 「日高先生、お久しぶりです。中元です。古賀先生からお話はよく伺っております。実は、私の息子が通っていた中学が、先生のおられた中学とバレー部の試合でたびたび対戦していまして、バレー部の子らが、打倒日高軍って言っていました。試合では「日高軍」に打倒されるほうが多かったようですけど。わざわざお会いするのもどうかと思って御挨拶には伺っておりませんでしたが、お元気そうでして何よりです」

 「ほう、私の悪名も随分轟いていたようですなぁ・・・」

 「くすのき学園時代は、中学生から取り上げたエロ本を居室で読んでいたとのことですから、日高大先生の悪名なら、もっと前からトドロイテいたのかもしれません」

 「おいおい米河君、そっちの悪名はナイショやでぇ(一同爆笑)」

 「大丈夫。その話、校長仲間の飲み会でも知れ渡っているから」


 古賀氏が、元同僚にさらなる追い打ちをかけた。さらなる笑いが、時の流れのもとにこびりついたコケを洗い流すかの如く、何かが一気に流れ出すような空気が流れた。その場に居合わせた人たちがあいさつを済ませた後、大将が酒と料理を出してくれた。

 ビールなどの飲み物が注がれたグラスを持って、再会を祝した乾杯がなされた。

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