(六)修道院

「エナ! 修道院にいってくるわ。あとを頼むわね」

「はい、行ってらっしゃいませ」


 ルシェーナは店の奥の扉を開けて叫び、返事を確認してから足早に外に出る。

 傷は癒えたものの、目を覚まさないままの客人はエナに預けた。彼を寝かせた部屋には置手紙もしてあるので、仮に目が覚めたとしてもそれを読めば慌てる事も無いだろう。

 何も言わずに出ていっても良いが、できれば話もしてみたい。


「何が有ったか聞くのも悪いかな……」


 見上げれば空はどこまでも済んだ青をしているが、足元は昨晩の降った雨の影響でかなりぬかるんでいた。石畳の道に停まっている馬車まで歩く必要があるが、そこまででも靴は汚れるのは間違いない。


「玄関から街路まで石畳を敷くか……、こういう時に役立つ道具でも仕入れようかしら……」


 ひとり言をつぶやきながら、水溜まりに踏み込まないよう足元に注意を払って歩く。

 ようやく石畳の道に出たところでひとつ大きく息を吐くと、泥のついたブーツをひと睨みしてから無詠唱で魔力を躍らせる。次の瞬間、小さなつむじ風が悪戯をするように靴の上を抜けると、泥は乾かされて綺麗に剥ぎ落とされていた。


「お待たせ、爺や」

「足元にお気を付け下さい」


 ルシェーナが馬車に乗ったのを確認すると、老人は手綱を動かした。

 老人の名はジルク・ジルヴィオ。他の者にはジル爺とも呼ばれている。

 ルシェーナの母であるメリアーレが生まれる前からエスカフォン子爵家に仕えていた。元々はメリアーレの専属執事であったが、ロスフォーレ伯爵家に嫁したのを切っ掛けに専属から外れたものの、そのまま子爵家に留まっていた。

 メリアーレがこの地に戻って来たのを切っ掛けに、子爵家から彼女の世話係として派遣されて今に至る。最近は体力面での不安からか「そろそろ役を退きたい」と漏らしているが、ルシェーナに無理やり引き留められている、というのが現状である。


「今朝、また例の手紙が届いておりましたぞ」

「そうですか……」


 ルシェーナは大きなため息をついた。

 手紙。それは差出人不明の脅迫紛いのもの。ここ最近になって送られてくるようになったもので、内容はいずれも大差がなく「この領地から出ていけ。さもなくば命は無いものと思え」というようなもの。

 ジルヴィオを通じてエスカフォン子爵自身に真相究明依頼を出したが、今のところその成果は無い。無論、子爵自身が仮にも孫娘であるルシェーナを相手にそのような脅迫をする理由も無いし、子爵夫人がそれを許すはずも無い。加えて「呪われた娘」という不名誉な二つ名も人々との触れ合いで払拭しつつあり、街の人々にもそれなりには受け入れて貰っているという自負はある。それだけに、差出人の真意が分からない。


 今のところ身の危険を感じるような事は起きてはいないが、放置しておくわけにもいかない。帰ったら手紙から手掛りなり、痕跡を探して追うことにしよう。馬車に揺られながら、ルシェーナは不安を心の中にしまい込んだ。



 馬車が停まったのはアレリアの街中にある修道院の前。

 ルシェーナは母を喪った時、当初は祖父であるエスカフォン子爵の指示によりこの修道院に入る予定だった。

 それを彼女の祖母、子爵夫人セレラが止めた。

 一度修道女になってしまえば、呪われていないと証明できたとしても、誰かに嫁ぐことも出来ないではないかと激怒したのである。

 結局、修道院行きは取り下げられたものの、礼儀作法や学問といった教育に加え、経過観察の意味も含めて二日に一度は通うことが決められた。今はその教育課程も終わり、五日に一度顔を出す程度になっている。


「あら、ルシェーナさん予定と違いますね。今日は何か御用ですか?」

「ええ、今日は例の件で……」


 玄関先を掃除していた修道女に声を掛けられ、笑顔で答えた。

 この日の用件、修道院の新しい収入になるかと陶器の作成を提案していたもの。その最初の焼き上がりの連絡を受けてやってきたのだった。


「まずまずの出来ですね。ただ厳しい事を言うようですが、焼き上がった形がやや歪ですし小さなヒビも目立ちます。商人に売るにはもう少し改良した方が良さそうですが、一般的な使用には耐えられそうですね」


 修道院の女司祭と共に器の確認を終えたルシェーナは、申し訳なさそうに評価を口にする。


「それは致し方ありませんね。しっかり研究して改良していきましょう。それは置くとして……、今回お呼びしたのはそれではないのです……」

「と、仰いますと?」


 暗く厳しい表情に変わった女司祭を見て、ルシェーナは身構えた。

 この女司祭はマファーラという名で、母を喪ったルシェーナの面倒を良く見てくれた育ての親のような存在でもある。だが、今まで彼女がこんな表情をしたのを見たことが無かった。


「お伝えすべきか悩んだのですが……。一昨日、ロスフォーレ伯爵家から解雇され逃げてきたという娘が居りまして、ここに住まう事になったので……」


 女司祭が口にした家名。自らがかつて背負っていたその名を聞いて、ルシェーナは背筋が寒くなるのを感じた。

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捨てられ剣士と雑貨屋の呪われ女主人 草沢一臨 @i_kusazawa

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