30日目 『――エピローグ』

 屋上でそうやって佇んでいたのは、けっきょく5分ほどだった。

 念のため校舎の外を一周して、リノは「何もできることはない」と結論を出した。


 はだけた服を直していると、ペンダントを強引に引き千切られた首の後ろがチクッとした。


「さすがにあんなリスクは想定しとらんよ~。

 最後まで残すべきは“お姉ちゃん”のカードだったか……しっぱい、しっぱい」


 まさかこの平和な世界で、熟練の暗殺者並みに動ける娘がいるなんて……。


 ……ふと、リノの心に何かが引っ掛かった。



『“宵月卿”の直系の


『心から愛し信頼するによって力が引き出される』


、お前は!』



 自分たちは全員、最初の段階から、根本的かつ重大な何かを見落としていたのではないか――


 しかし、そんなただの直感のようなものに振り回されるような彼女ではなく、もうどうでもいいことだとあっさり切り替えて、リノは大きくひとつあくびをした。


「仮に向こうに帰れたとしても、この調子じゃカオスな戦乱の世だろうし……

 “お姉ちゃん”に逆恨みで命狙われそうだしなぁ。

 こっちで『行方不明の姉を探す健気で可愛い妹』として生きていくほうが、プラマイでちょっとおトクかな~」


 うんうんとうなずいて、リノは軽い足取りで夜の校庭を歩き始めた。


「大きく矛盾するような行動さえしなきゃ、記憶操作も当分有効なはずだし。

 学校の連中なんてどうせ卒業すれば縁切れるしね。

 まずはケーキ屋さんの乗っ取りと、チェーン展開からかな。さっそく事業計画を練らなくちゃ……」





 ――目を覚ますと、すぐそこに見慣れた妹の顔があった。


「おはよ」


 そう言って、妹はにっこりと笑う。


「ずっと起きなかったから、心配しちゃった。

 でも、だいじょうぶみたいだね」


 身を起こそうとすると、雑に組まれた木の寝台がギシギシときしんだ。

 長さも足りておらず、足先が少しはみ出している。


 息を吸いこむと、むせそうになった。

 自室の空気とはまるで違う。獣臭や草の匂いが濃く、自然の外気に近い。


「わたしも最初そうなったけど、すぐ慣れるよ」


 くすっと笑いながら妹はそう言って、寝台と反対側の壁のほうを指さした。

 木枠で仕切られた窓の向こうに、見たことのない不思議な色や形をした樹々が広がっているのが見えた。


「どこに行きたいか願えばいいとか言ってたから、

『争いごとからいちばん遠くて、静かにふたりでいられるところ』って祈ってみたの。

 ……だって、あんな人たちの国なんて、どーでもいいもん」


 何か……違和感がある。


 つい昨日まで、胸元あたりまで伸びていたはずの妹の髪は、中学生になった頃と同じように肩先ぐらいの長さになっていた。


「お腹すいたよね?

 お料理とか、これから練習しなくちゃだから、最初はうまくできないかもしれないけど……」


 妹は寝台に腰かけ、こちらに身を寄せてくる。木の寝台がまた軽くきしむ。


「だからそれまでは、とりあえず、これ……」


 そして彼女は、後ろ手に隠していた何かを差し出した。

 室内の風景に似合わない、キラキラと可愛らしくラッピングされた包み。


「わたしからの、バレンタインチョコ。これだけは持ってこれたの」


 違和感がある。

 

 これまで、毎日うるさいほどに聞いてきた、自分に対する呼称。

 それを、彼女の口からまだ一度も聞いていない。


 彼女の指が、粗い肌触りのシーツの上を這い、自分の手にそっと触れる。


「……ねぇ、気づいてる……かな?」


 彼女が、ぐっと顔を近づけていた。

 よく見知っていたはずの妹の目とは少し違う、赤みがかった色に輝く瞳。

 その瞳に吸いつけられるかのように、目を離せずにいると――

 アミはそのままカズヒトの首に両手を回した。



『いちど決まっちゃった関係を変えようと思ったら、

 普段の日常から離れた“いつもと違う日”が必要なの』


『――学校も、友達も、お母さんだって、

 そのためだったらぜんぶ捨てられるよ』



 いつかの台詞が、頭の中で囁くように繰り返される。

 現実にすぐそばで囁かれる声が、そこに混ざっていく。



「……転生したから、もう兄妹じゃないよね」



 そして少女はそっと、少年に唇を重ねた。





 ――完。

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30日後に異世界転生する少年 白川嘘一郎 @false800

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