気分は『カサブランカ』

冷門 風之助 

VOL.1

『で?出発は何時いつなんだい?』


『五日後、午後六時に横浜から貨物船だ』


 俺の問いに、彼はぼそりと答えた。


 彼の名前は・・・・いや、それは控えて置こう。


 幾ら罪を償ってきたからって、一応前科持ちだからな。


 その位の配慮はしてやってもいいだろう。 

 でも名前がないと不都合かな。


 なら仮に叶大作かのうだいさくとでもしておこうか。

 叶が俺・・・乾宗十郎いぬいそうじゅうろう事務所オフィスを訪ねてきたのは、今から丁度一か月前、つまり二月が始まったばかりのある土曜日の午後だった。


 風は冷たかったが、陽射しはたっぷり、それだけで暖房を入れなくっても、狭い俺の事務所オフィスくらいなら十分に暖かい。そんな日だった


 最初に俺が彼と知り合った頃、こっちは陸自を退職し、私立探偵社に入った駆け出しで、彼はと言えば『その筋の組織』の大幹部・・・・いや、事実上のトップだった。


 仕事で知り合った訳じゃない。


 馴染みのバァが同じで、時々席を隣り合わせて呑んだにすぎないという、ただそれだけの付き合いだ。


 叶が所属していた組織というのは、兎に角『暴力沙汰なら何でもござれ』という連中の集まりだった。

『人に言えない事なら何でもやってのける』って訳だ。


 取り柄があるとすれば、


『麻薬に手を出さない』


素人カタギに手を出さない』


 だけだった。


 どこの大組織にも属さず、やりたい放題。その結果、あっちと睨み合い、こっちと抗争とりあいの連続だった。


 血で血を洗うやりとりを果てしなく続けた結果、仲間達は或る者はられ、ある者はパクられた。

 挙句は彼自身もお縄になり、仮釈放無しの懲役十五年(それで収まっただけ、ましというものだが)を実刑でくらい、塀の中へ落ちる羽目になった。


 その間に当然組織は自然消滅。その後音信が絶えた。


 それがつい昨年のこと、満期で出所した。


 そうして


『弁護士に聞いたんだ』と、俺に電話を寄越し、事務所にやってきた。


 久しぶりに顔を合わせた叶は、昔の鋭さはすっかり消え、人の好さそうな、穏やかな中高年になっていた。


 今はムショで世話になった教誨師の紹介で、ある建設会社で土木作業員として働いているという。

 

 彼は事務所オフィスに入ってきて、ソファに腰かけたが、出してやったコーヒーに手も付けず、下を向いて黙りこくったままだった。


 そのまま時が過ぎ、天然のランプと、暖かい温度を供給してくれていた太陽がかげり始めた時、とうに冷めてしまったコーヒーに口をつけ、それからおもむろに頭を挙げるとやっと言葉を発した。


『やっぱり無理だ。素面しらふじゃな。そと一杯呑りながら話そう』

 うなるような言葉を発した。


  そんなわけで、俺達は馴染みのバァの止り木に、二人そろってケツを並べ、バーボンのグラスを前に置いた。


『あんたに仕事を頼みたい』


 何杯目かを干した後で、彼は唐突にそう言った。


弁護士せんせいに聞かなかったかね?俺達探偵は・・・・』俺が言いかけると、彼はそれをさえぎるようにして手を振り、


『分かってるよ。分かってるさ。反社会的組織に所属している者からの依頼、或いは犯罪を援助するような依頼は、これを受けてはならない・・・・ってんだろ?何年クサい飯を喰ってたと思うんだ?法律の本なんざ、穴のあくほど読んださ』


『それが分かってるなら、答えは簡単だろう?』


『でも、俺は今まったく組織とは関係がねぇ。そりゃとは言えないかもしれんが、真面目に働いている。それに今回頼みたいってのは、犯罪や元の組織とはまるで関係がない。ある女に会いたい。それだけの話だよ』

 

 俺はため息をつき、バーテンに何杯目かのお代わりを頼んだ。


『まあ、話を聞くぐらいならいいだろう。引き受けるかどうかはそれからだ。いいかな?』


 奴はそれでいいと答え、俺と同じように何杯目かを頼んだ。

 

 

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