青空と黄色い筒

七紙野くに

青空と黄色い筒

 自転車が苦手な少年がいた。


 ある日、少年は若いサラリーマン風の男を助けた。


 なんでも公園のベンチで書類を確認していたら突然の風に舞ってしまったらしい。探しても探しても見付からないのだ、と話す。


 少年はその公園のことを熟知していた。空気の流れが行き着く場所も理解している。書類は直ぐに拾われた。


 男は


「礼だ、自転車に付けてみろ」


 と言って黄色い乾電池のようなものを二個、渡し、去っていった。


 少年は何処が良いのか分からなかったので、取り敢えずサドルの裏に、その筒を針金で縛り付けた。


 乗ってみる。ペダルが軽くなった気がした。人助けをした所為か頭の中も軽くなって、脚も軽快に動く。自転車はどんどん速くなる。ぐっと踏み込んでみた。


「浮いた?」


 車輪が地面から離れるのを感じた。確かめようと一層、力を入れた。


「飛んだ!」


 足下にアスファルトがない。間違いなく今、少年は空にいる。下を見る。怖さはない。こんな不思議な状況なのに、誰も空飛ぶ自転車に目を留めない。


「チャリン、チャリン」


 関心を引こうとベルを鳴らしてみる。やはり皆、こちらを振り向かない。


 悟られないのも気分が良い。普段なら覚束無いハンドル操作も快調だ。


「何処まで行けるかペダルを回し続けてみよう」


 空を切るタイヤは抵抗が少なく楽に速度を上げられる。速度と共に高度も上がる。


 雲の辺りまで来た。住む街を俯瞰する。


 細かいことに囚われていたのが馬鹿らしい。気持ちが大きく広がる。


 気温は適度で顔に当たる穏やかな大気が心地好い。


 暫く街の上を旋回した後、ペダルを弛めた。自転車はゆっくりと下降していく。


「飛行機の着陸をスローモーションにしたらこうなるのかな」


 やがて家に近い空き地の上に来た。後輪から軟らかく着地する。前輪も接地したのでブレーキを握る。


 停まった。


 少年は飛んだことを誰にも話さなかった。自分だけの秘密にしておくことで、心もふわふわと浮くように思えたからだ。


 翌日、また黄色い筒を吊した自転車を持ち出し、走り始めた。おかしい、軽くならない。勿論、離陸できない。前日の体験は夢だったのか。


 降車してサドルを覗いてみた。二つあったはずの部品は片側が失われていた。


「ふふ」


 自然と笑みが溢れた。空を飛ぶ、なんてことが、そうあってはたまらない。


「これで良いんだ」


 残った一つも外し、昨日、見下ろした街の蟻となる。もう自転車に対する苦手意識は消えていた。

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