遺書
末季稔
前書き
1
煙草の煙を吐き終わっても息は白く可視化し、昇ってく。
駅前の喫煙所、風は冷たい。
左手に持つ冷えたアルミボディ、ディスプレイ上のアナログ時計は始発の15分前を指している。
冬の夜は長く、空に縋る様で子供の様。
彼は短くなった煙草を雑に捨て透明の壁に覆われた喫煙所を出る。
ヘッドホンのボタンを操作し音楽を流す。
街の景色は途端に音を捨て、彼の鼓膜へ、内耳へ、脳へ、記憶へと誰かの意志を放る。
本来ならば出会う事の無い誰かの疑問や思想、死生観に触れられる。
その疑問を共に思考でき、時に誰かの思想に反する事を思ったり、その誰かの死生観に心を揺らがされる。それが音楽であり芸術と言う類全般に言える事だと思っている。
政界の人間の様に直接誰かの生活を変えられる訳では無い、医者の様に直接誰かの生死に関わりもしない、建築家の様に直接誰かの生活を守れるような物を作れる訳では無い。
芸術に直接的な影響を与える力は無いかもしれないが、どの職業にも劣ってはいない。
誰かが作品を遺し、名前も顔も知らない誰かがその作品に感情を動かされる。それはやがて直接的に何かを変えるきっかけになるかもしれない。それが芸術の持つ小さな無限の可能性だと、彼は信じている。
彼は無名のミュージシャン、俗に言うバンドマンだ。
2
「へえ」
適当に友人の会話に相槌を入れながら大学の近所のファミレスで昼食をとる。
友人とは言っても所詮は上辺の関係で、そんな事はお互い感じているのだろう。そういった付き合いが世間で無難に生きる上で必要な事くらいは知っている。
「
「おん」
私は運ばれて来てから5分程経ったグラタンにようやく手を付け始め、なんとなくスプーンに反射していた自分がチーズに
そう言えば今のバイト先は半年続いてるなあなんて思いながら適温に冷めたグラタンを口へ運ぶ。
「今バイト募集してたりしない?この前ばっくれちゃって、新しいとこ探してんだよね」
友人A、佐藤。名前みたいに普通。何も面白い所が無い。
つまらない。
生きていて何も楽しい事が無い。特に最近はそう。
昔の様に無知では無いから新しい発見も少ない。
私は周りと何か違うのだろうか、何が楽しくて一緒に居るのか、何が嬉しくて同じような服を着ているのか、全く私には理解できない。
まあ日本人らしいと言えば日本人らしい。
他と異なる事を嫌い、変化を拒む。
理由は簡単で、面倒なのだ。流行に乗った服装で、言葉で、話題で世間一般的な「普通」を装って生活するのが一番楽なのだ。
けど私はそれを楽だと思えない。むしろ苦痛でストレスだ。それが原因で小さい頃から交友関係は良好では無かった。
ただ昔から演技は上手かったと思う。
その場における周りの求める私という存在に合わせて幾つかの自分を演じていた。
クラスでの私、特定の人物の前での私、大人の前での私、部活中の私、家族の前での私……。
どれも馴染む型は無かったのに、本来の形がどんなだったか思い出せなくなった。
形状記憶も無いのに人格を無理に変形させて、元に戻せなくなって、捨ててしまった事がある。
子供の様。
おもちゃで遊んで、壊れて直らなくなったから、捨てる。
この場合また次のおもちゃとは行かない。
今チーズ塗れのスプーンに映っているのはどの私だろう。
テーブルの上に置かれた左手にはしっかりと私に捨てられたおもちゃの痕が残っている。
一瞬だけ苦痛があった気がする。
でもすぐ意識が無くなって、カットが入ったみたいに、瞬きをしたら病院に居た。
手首からチューブが伸びていて、なんだか人間以外の何かになれた気がして面白かった。
ドラマとか映画でこういう場面があると病室に親や友人や恋人だったりが居るけれど、現実は目覚めても誰もいなくて、しばらくして看護師かな、病院の人が来た。
もっと確実に死ねる方法があったはずなのに、どうして手首を切ったりしたんだろうか。
きっと心のどこかに、生きていれば、なんて希望を抱いていたに違いない。そんな風に一人で考えていたら人間の寿命の長さに絶望した。
リセットするつもりだったけれど、流血と一緒に偽り達が流れる事は無くて、余計に私がわからなくなった。
佐藤のバイトの話をまたまた適当に流し、私は大学へ戻り、佐藤は外で偶然遭遇した友人とどこかへ行った。
人生の転機と言うと大袈裟かもしれないが、この日彼に出会って居なかったら私は今頃OLでもやっていそうだし、他人の面白味にも気付かなかったんだと思う。何よりも私の形に気付けたし、はまるべき型に出会えたんだと思う。
当時の腐ってた私が今の村瀬灯莉になるまでの彼との日々を思い出せるだけ綴ろうと思う。
いつか小説にでもして私が寿命を全うした後でも、
彼との記憶が遺るように、
願いを込めて。
遺書 末季稔 @mi0ruTime
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