第8譜 30歳の明智光秀

 

 柴田勝家とは3局指して、いずれも光秀の圧勝だった。

 

「あぁ疲れた。体使うのはちっとも疲れんが、頭使うと疲れるもんだ」

 

 勝家はふてくされ気味にそう言って、帰っていった。

 

 正直、勝家には難しいだろうと光秀は思う。どこから見ても、彼は『武』の人間なのだ。

 

 ひとりになった光秀は、部屋の棚に並ぶ将棋の本を見ていった。1つでも知識を頭に入れなければならない。時を1秒でもムダにできないのだ。

 

 初歩の本に、まずはいきなり攻撃を仕掛けるのではなく、ある程度守りを固めろとあった。

 

 この論は、実に頷けると光秀は思った。戦もそうだったからだ。ただ闇雲に、相手に突っかかっていけばいいというものではない。まずは、自軍の将を守る精鋭隊を残さなければならない。そしてまた、その精鋭隊を守る隊。そうやって将を3重、4重に囲わなければならない。それに兵力を割いてから、残った兵で効率的に攻める。それが戦の理想的な進め方だ。

 

 この守りを固める理想的な布陣があり、その中に『美濃囲い』というものがあった。光秀は岐阜県の美濃国出身。この名称に心が揺れないわけがない。

 

 妻の煕子を思い出した。もう一度、会いたいものだと。仮に5年後、将棋に勝ち残って頂点を獲れたとしても、煕子には会えない。そう考えると、勝ち残って『生』を得たとしてもなんの意味があるのだろう。

 

 光秀は洗面台に行き、じっと顔を見る。鏡は戦国の世にもあったが、ここまできれいなものはなかった。歪みも曇りもない。そこに、自分自身の姿が映る。年齢は30前後といったところだろうか。ノートの記載によると、生涯で最も頭脳の働きがよかった年齢に生まれ変わるという。だからこの世界では、人によって年齢にバラツキがある。青年期の者もいれば、老年と言っていい者もいるという。

 

 正直、己の姿といってもまじまじと見たことがないので分からない。生まれ変わったこの世界には髷もなく、着ているものも天と地ほどにちがう。だが、目つきや口元、鼻筋などは自身のものだ。この姿は自分のものなのだろうと光秀は思う。

 

 空腹を覚えた光秀は、冷蔵庫から冷凍食品を取り出して電子レンジに入れる。そしてスタートボタンを押す。この一連の行動をしぜんにこなす自分と、ひとつひとつに驚く自分の両方が自分の中にいた。

 

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明智光秀の棋譜 勒野 宇流 (ろくの うる) @hiro-kkym

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