第7譜  勝家の目標

 

 勝家は目が覚めた。

 

「ん?」

 

 戦闘につぐ戦闘の日々をすごしてきた男には寝ぼけるということがない。目が開くと同時にすぐさま頭が回転し、記憶が鮮明によみがえった。

 

 ―― 腹を切ったはずなのに……。

 

 身体に傷も痛みもなく、汚れ一つ目につかない。異常な事態に巨体が飛び起きた。

 

 どのような相手が襲ってきてもひと暴れできるよう身構えた。しかし前を見て、勝家は拍子抜けする。じっと正座し、勝家を涼し気に見つめる光秀がいるだけだったからだ。

 

「これは……」

 

 その勝家の動揺に、光秀は鷹揚に頷いた。

 

「驚いたろう。我らはな、死ねないのだ。あのノートに逆らわず、将棋の道を追求するよりない」

 

 さきほどの殺傷や切腹にはなにも触れない。まるで、単なる説明の一環といった扱いだった。

 

「死ねないことを分からせるために、怒らせて刺させたのか?」

 

「そうだ。私はお主が来る前に、腹を切った。しかし今と同じで、目覚めると切腹が「なかったこと」になっていた。どうもな、この新しい世界では、我々自身の意思による「死」は認められないようなのだ。5年後、将棋で負ける以外に死ねないのだろう」

 

 勝家は腕組みをし、気だるそうに首を振った。分厚い胸板が膨らんでその上で組んだ腕が押された。そして腕が下がると同時に大きなため息が出た。

 

 勝家は自分のことを恵まれた人間だと思っていた。戦いに明け暮れる戦国の世にあって、小兵はそれだけで不利になるからだ。彼は巨躯ならではの優越感を常に持っていた。自分より背のない者、体重のない者をほとんど無意識のうちに蔑んでいた。

 

 しかし、このたびそれが大転換してしまったようだった。自身が先天的に持つ優位が、すべて吹き飛んでしまったのだ。

 

「お主がさっき言ったとおりなのかもしれない。人にはやはり、持って生まれた特徴があるのだろう。お主は武に長けた者で、こういった頭脳勝負は苦手かもしれん。だからこれからの5年間が無駄となるかもしれない。しかしそれしか道がないのだから、やるしかあるまい。なにもしないでむざむざ死んでいくのはもったいないだろう。共に研鑽していこうではないか」

 

 光秀の諭すような言葉に、勝家は腕組みを解かないまま瞑目した。じっくりと考えるときには、視界を遮った方がいいのだ。ギュッと結んだ口から、歯ぎしりの音が漏れた。

 

 勝家が考える間、光秀は静かに見つめるだけだった。あとは個人の問題だ。もしやりたくないと言ったら、2度と誘うのはよそう。そう思っていた。

 

「光秀殿」

 

 ようやく目を開けた勝家が言った。

 

「ワシは到底、最後の一人にまで到達することができんよ」

 

 その言葉に光秀は、やはり無理かと落胆する。この男が、ただ死んでいくのはもったいないと思いながら。

 

「でも、やってみよう」

 

 光秀はその意外な言葉に、クッと顔を上げた。

 

「天与の才人たちに敵うべくもないだろう。ワシは研鑽の甲斐なく無残に負けて散るだろう。しかしな、たった一人、あいつにだけは勝てるようになりたい。もしあいつと5年後に当たったとき、絶対に勝ちたい。だからワシは、あいつに勝つためだけに、5年という時間を充てようと思う」

 

 あいつとはだれかを光秀は聞かない。豊臣秀吉、その男だということがすぐに読めたからだ。勝家が炎のごとく燃えて「あいつ」と呼ぶ人間は、あの成り上がりの猿以外に考えられない。

 

「あいつになら、ワシでも、研鑽に研鑽を積み重ねれば勝てると思う。あいつも、まぁ言いたくはないが」

 

 勝家は言いよどんで大きく咳払いした。 

 

「あいつも、天与の才を持った男であることは間違いがない。しかしその才はけっして計数に関するものではない。だから、充分に組み合える。そのためには光秀、お主の力を貸してくれ」

 

 勝家はそこで頭を下げた。

 

「あい分かった。どのような動機であろうと前向きに行動できるのはいいことだ。共に研鑽していこう」

 

 光秀は頭を上げた勝家に、戦国期には根付いてなかった「握手」というものを求めて手を差し出した。

 

 

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