第6譜  勝家、光秀を刺す

 

 それから数手進み、勝家が指したところで再び光秀が手を止めた。

 

「そうやって金が上がるのは、非効率だ。特に歩の上にはな。金は下にあればあるほど……」

 

「言うな、光秀!」

 

 勝家は光秀の言葉を遮った。

 

「しかし」

 

「しかしもなにも、言うな。言っても聞かん」

 

 言いながら、勝家はゆっくり大きく首を振る。

 

「こまごまと言われたくないのは分かるが、しかし、黙れんな」

 

 光秀が子どもを諭すように言う。

 

「お主の気持ちを汲みたいところだが、しかしこの世界は、とにかく将棋が強くなることでしか生き延びられないのだ。だから、仕方ない。価値基準が1つしかないのだ」

 

「それは、分かる」

 

「それならば……」

 

 言葉を続けようとする光秀を、勝家が分厚く大きな手で遮った。

 

「分かるのだが、でもワシは無理だ」

 

「無理、とは?」

 

「だから、無理だ。頭脳の勝負で、たった1人だけの生き残り枠に入れるとは思えん。これはけっして不貞腐れて言っているのではない。お主の得意な、冷静な目で判断して、というやつだ」

 

 いつも威圧的な物言いの勝家が、このときは沈んだ声だった。その言葉といい方に、光秀は言葉を呑み込んだ。

 

「ワシは重臣にまでなったおかげで、さまざまな者と接することができた。そこで多種多様な才を持つ男を見た。数字に長けた者、人あしらいの優れた者、武力でのし上がった者。ワシは武力に該当するだろう。しかしこの世界では、それは無用の長物でなんの役にもたたん。人の心を読む能力もだめだ。だから秀吉のような男もダメだろう。ただ数字に長けた者だけが、能力を存分に活かせるわけだ。そしてお主もその1人だ。これはもう、頭の中の構造が最初からちがっていて、あとから身に着けることなどできやしない。お主がいくら鍛えたところで、ワシに腕力で敵わんように」

 

「だから、諦めると」

 

「あぁ」

 

「5年もあるのだぞ」

 

「お主も将棋の鍛錬をするのであろうから、むしろ5年でさらに差がつく」

 

 死を受け入れた相手の言葉に、光秀はしばらく言葉を返せなかった。

 

 じっと、睨み合ったまま時間がすぎていった。この世界に来て驚かされた「時計」というものが、カチカチと硬い音を発していた。

 

「勝家殿」

 

 やっと光秀が口を開いた。

 

「お主、そのうしろに置いてある刃物で、私を刺せ」

 

 その言葉に、さすがの勝家が目を見開いて絶句した。

 

「刺してみろ」

 

「いや……」

 

「私もこのわけの分からない世界がうんざりだ。共に死のう。お主、私を刺したあとで腹を切れ」

 

 光秀は立ち上がり、勝家に包丁をつかませた。

 

「怖いか? 呆れたもんだ。ちょっとわけの分からない世界に来て、腰抜けになったか」

 

 その言葉に勝家は怒りを沸騰させ、即座に立ち上がって薄い光秀の胸を刺した。

 

 光秀の鮮血が勝家の顔を打った。しかし戦慣れした織田政権の筆頭重臣は血など浴びたところでなんら怯むことなく、相手が苦しまぬようもう一刺し入れた。

 

 光秀が目を見開いて倒れ、勝家は大きく頷くと、躊躇することなく自分の腹に刃を刺し、力を込めて横に引いた。

 

 赤黒い塊が抜いた刃先を追うように飛び出て、それから間もなく、勝家は意識が飛んで前に倒れ込んだ。

 


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