第5譜 勝家
どしんと、室の入り口が響いた。
「おいっ」
続いて、野太い声。
光秀は立ち上がって玄関に向かい、扉を開けた。
「おうっ」
再び、野太い声。
表には、柴田勝家が立っていた。
「入れ」
光秀は静かに言った。
勝家は背を屈め、窮屈そうにドアをくぐって部屋に入った。どの武将にも、あてがわれている部屋は同じ。調度品も備品も同じ。だから特段見渡すこともせず、ドサッと座った。
ただ、中途半端な位置に置かれた将棋盤には一瞥をくれた。
「お主、鍛錬しているらしいな」
声の響きに不満が感じられた。
「いや。ただ出しただけだ」
勝家は険しい表情で光秀をじっと見つめ、その言葉に嘘のないことを確認したかのように、
「そうか」
と、重く言った。
勝家が訪ねてくるのは2回目だった。最初の訪問時には、動揺を隠しきれない様子だった。しかし今は落ち着いている。
「やはり」
今度、勝家は机の上のノートに目をくれた。勝家の部屋にも同じノートが置かれていて、同じ文言が載っているのだ。
「将棋に打ち込むべきなのだろうな」
ため息交じりに言った。
「そうだな。この、我々が『生』をもらった新しい世での、価値基準だ。膂力でのしてきたお主には不満だろうがな」
「世が変わっても、相も変わらず忌憚ない言葉を吐くな、お主は」
不満顔を隠さず、柴田勝家が言う。
「世が変わっても、私が明智光秀であることには変わらないからな。まぁせっかくだから、一局指すか」
光秀が盤を中央に引きずり、勝家に座布団を渡した。
「時間を無駄にしない男だな、お主は」
あきれ顔でどさっと腰を落とした勝家は、そのごっつい手で駒の山をじゃらっと崩した。
近くの駒から無造作に並べていく勝家に対し、光秀は玉から左金、右金、左銀と作法に沿って並べていく。
「それも、覚えたのか」
「あぁ。書物に書かれてあった」
並べ終えて一礼をし、勝家に指すよう光秀が促した。
7七の歩を、ひとつ突き出す。角道を開ける、最も当たり前の手だ。
勝家がその、左側3番目の歩に手を伸ばしたとき、玉から左半分の駒が手のひらに覆われた。それほどの大男なのだ。
光秀も角道を開ける。
互いの角道が開かれ、勝家は次の手で各交換をした。
「勝家殿」
そこで光秀は盤から顔を上げ、相手に声をかけた。
「ん?」
「両者の角道が開いて交換できる状態になると、ついついしてしまいたくなるものだが、その手はな、私はよくないと思うのだ」
勝家は不思議なものでも見るかのように、相手をぼんやり見つめた。
「角交換は、手順に、相手に銀を上げさせてしまう。分かるかな?」
「あぁ、分かる。それで?」
勝家は相手を促した。光秀は以前から、自分の言っていることが相手に伝わっているのか思案するクセがある。今までさんざんそれに相対してきて苦く思ってきた勝家は、ため息まじりに次の言葉を促した。
「私の調べたところ、将棋の1局はだいたい120手ほどで終わっている。ということは、1人がたったの60手ほどしか指さないことになる。貴重な60手のうちの1手で、相手に少しでも得をさせる手を指させるのはよくないと思うのだ」
やはり、と勝家は思う。このわけの分からない世界に来ても、この男はまったく変わらないのだな、と。
「光秀よ、なぜそのようなことを教える。生き残りがただひとりということは、今はともかく、5年後には敵対者になる関係なのだぞ。お主の鍛錬の成果をこともなげに教えては、損ではないか。それとも、この柴田勝家は猪武者で、惜しげなく教えたところで所詮敵ではないと思っているのか?」
勝家が、めずらしく声を落として言った。
「まぁたしかに、言われてみればそうだな。教えない方が得なのだろうな。でも、合理的だと思うことを黙っていられない性分でな。これはどの世界に行っても治らないな」
光秀は苦笑いした。
「それに、勝家殿を見下して、研究成果を披露したわけではない。たしかにお主は武力で名を売った男だが、あの織田信長の元で地位を確立した人間だ。頭脳もまた並大抵のものではないだろう。信長という人間から、武力だけで評価を勝ち取るのは無理なことだ」
「たしかにな」
「もっとも、お主にいくばくかの情がないと言えば嘘になる」
「情?」
「あぁ。見方によっては同じ立場の人間だからな」
「お主とワシがか?」
「あぁそうだ。お主も私も、同じ相手に討たれてる」
「なるほどなぁ。秀吉か」
その名を言うとき、勝家の顔に苦し気なしわが寄った。
「おそらくあの男の性格では、この世界のどこかで、研鑽に研鑽を重ねているだろうな」
「将棋のか?」
「そうだ。状況を読むのに、あれほど長けた男はいないからな。この世界で生き残るには将棋の知識が必要だと分かったら、頭に叩き込むはずだ」
「そうか……。ワシは、あの男に将棋で勝てる気がせん」
今度、弱々しい声で勝家が言った。そして、
「お主にもだ」
そう付け加えた。
その、いつになく小さく見える勝家を光秀は見つめた。
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