side Leon

「ああ……デスラー博士? ご相談があるのですが」

「本部のTW計画に加わってくれという話ならお断りですよ」


 両手を揉みながら愛想笑いを浮かべる小太りの男性は、わたしの一言で「ふぐ」と蛙が潰されたような声を上げた。


「いやぁ、まぁ、その……」

「もう二十年以上ITWRに貢献してきたでしょう。残りの期間は自由に過ごさせてくれるという話だったのでは?」

「そうですが……」

「“ですが”は要りません。すべてが終わったあとに自由にしてください」


 チャキッと傍に置いてあったレーザー銃を構えると、男は「ひょっ」と声を上げ、慌ただしく扉の外へと駆けだしていった。男の肩やら腹やらにぶつかった積み上げられた書類が宙を舞い、吹雪のように部屋に散らばる。


 よく見ればオモチャだと分かるはずだが。

 あれでITWRの副所長というのだから情けない。


 この組織の未来も危ういものだな、と思いながらカップを手に取る。

 ……が、すでにコーヒーは空だった。舌打ちをしながら室内に設置してあるコーヒーサーバーへと歩みかけて、ふと窓の外を見る。


 いい天気だ。そう言えばもう二週間も外に出ていない。

 小太り男の乱入でこの室内の空気も一気に濁ったような気がする。気分転換にアカデミーまで行ってみるか。

 この機関の唯一誇れるところは、あの安くて美味いコーヒーを好きなときに好きなだけ飲めることだ。



   * * *



 塀を乗り越え、すたすたとアカデミーの敷地内に入る。すでに授業が終わり放課後となっていて、思ったより人間が多かった。

 学生の前で講義をすることもなく、常時引き籠っているわたしの顔など知らない者も多い。あからさまに胡散臭そうな視線が集まるが、わたしにとってはそんなことはどうでもいい。


 放課後の食堂に用事がある人間というのは、そうそういない。案の定、食堂にいたのは、たった一人だった。アカデミーの制服を着ている。

 短い黒髪をガシガシと掻きむしり、何やらブツブツ呟きながらテキストと睨めっこしていた。


 勉強するなら集中できる環境が整っている図書館じゃないかとは思うが、まあ好き好きか。傍らに食堂の白いマグカップが置いてあるところを見ると、わたしと同じでここのコーヒーを気に入っているのかもしれない。


 無愛想な店員からコーヒーを受け取り振り返ると、その学生と目が合った。一瞬ぱあっと顔を輝かせたその学生は、にっこりと笑い頭を下げた。


 予想とは全然違う対応に少し驚いた。一応目だけで挨拶をし、庭が見える窓際の席に腰を下ろしたが、何だかモヤモヤする。

 どこかで見た顔だ。どこだったか。


 ――そうだ、三年前に会った少女か。このアカデミーの受験生。

 門の前に立ちすくんでいて、食堂に行くのに邪魔だったら声をかけただけだったんだが。

 そうか、合格していたのか……。

 

 あのときの光景を思い出して――自分がそのことを覚えていたことに、さらに驚愕してしまった。

 ましてや、あのときとは全然違う風貌だというのに。

 わたしの大脳のどこに、そんな余計な記憶を留めておく容量があったのだろう。



   * * *



 ウィリーくん。

 半年前、わたしのラボに入ることを希望している学生がいる、と聞いたときは、なぜか君だとすぐにわかったよ。

 アカデミー主席卒業間違いなしの、将来を期待される有能な人材が、わざわざ世捨て人のようなわたしのラボに入ろうとしている。

 どうか断ってくれ、と暗に匂わせる事務局長に

「それは有難い。どうぞ寄越してください」

とニンマリ笑って言ってやったときは、とても痛快だった。


 そしてこの一カ月、実際にラボに入った君と過ごして、確信が持てた。

 わたしは間違っていなかったと。きっと、わたし達は同士なのだろう、と。

 

 ウィリー……いや、ヴィルヘルミナ。

 わたしのすべてを、君に託す。


 余命宣告されたわたしに残された時間は、そう多くは無い。わたしが死んだ後、わたしの研究資料をITWRがどう使おうが自由だと思っていたが、気が変わった。

 君が傍に来てくれたことで、急に欲が出た。


 これからは、貪欲に君を鍛えようと思う。辛いだろうが、ついてきてくれ。

 それが、わたしから同士たる君にできる、唯一のこと。わたしの輝かしい未来の物語。


 残り少ないわたしの頁の続きを、君が綴ってほしい。

 そして、願わくば――わたしの物語が、きみの物語にならんことを。

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きみの物語になりたい/同題異話短編集 加瀬優妃 @kaseyou

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