Mar.『きみの物語になりたい』

side Willy

「博士、いつものコーヒーをお持ちし……」

「おお、ウィリーくん、いいところに! ついに、ついにできたぞー!」


 通称ITWRと呼ばれる研究施設、その広大な敷地の一番隅にある、レオンハルト・デスラー博士――通称レオン博士のラボ。

 ここに来てから一カ月。助手の自分が毎日毎日片づけても、あっという間に本や紙片や金属片で埋もれてしまう博士の机の上には、当の博士が土足のまま乗り上がり、両手の拳を天井に突き上げて踊っていた。


「博士、机は踏み台にするものではありません」

「聞け、ウィリーくん! これは新たな歴史の一頁になるぞ!」

「その前に、この間発表された論文の一頁が踏みつけられています」

「そんなクソみたいな論文はどうでもいい! わたしはそんな理論は二年も前に解っていた!」


 まぁ確かに、『天才』レオン博士ならあり得ることではある。

 しかしそれゆえに奇天烈な言動も多く、こうして中枢から外され、端っこのラボに追いやられている訳だが。

 外に出す訳にもいかない超人的な頭脳。飼い殺し、といったところか。

 まぁ、当の博士は好きな研究を好きなだけできるとあって、何の不満もないようだが……。


 レオン博士がフン、机の上で胸を張ったあと、スターンと床に飛び降りた。もう四十間近だったと思うが、なかなか軽やかな身のこなしだ。

 髪はボサボサで無精髭だらけだが、実はなかなか精悍な顔つきの美中年だったりする。まぁ、博士にとってはどうでもいいことだろうとは思うが。


 博士は得意気に、ずいっと右手を私の方へ伸ばした。

 その手に握られていたのは、黒くて四角い平たい機械。目測で縦15cm、横10cmといったところだろうか。

 上部に液晶パネルがあり、その下には0~9までの数字の他、記号やアルファベットが刻印された灰色のボタンがある。

 これは、どう見ても……。


「……電卓ですね」

 

 今から1000年以上昔、20世紀に登場した電子卓上計算機。そのテンキーの優秀性からか、長い歴史の間ほとんど形状が変わらないまま愛用されたという。


「ふっふっふっ、そう見えるだろう」

「違うんですか?」

「違う。これは――マインドタイムマシンだ!」


 マインド……タイムマシン!?


「えっ!?」

「ふっふっふっ。やはりわたしに不可能は無かったな!」

「ちょっと待ってください、博士」


 レオン博士が踏みつけていた論文の1頁を机の上からひったくり、ずいっと博士の目の前につきつける。


「本部では、ついこの間『異なる時空間を繋げる技術を確立した』と発表されたはずですが!」


 ITWR――International Time-space Warp Research-institute、つまり国際時空間転移研究機関。

 確実に滅びに向かっている地球を救うことはできないか。そのためには過去に転移し、原因を突き止めなければならない。

 人類を救うための「銀河系外への移住計画」と同時に、地球を救うための計画として発足した研究機関だ。


 ITWRの正規のルートで発表されたその論文では、過去の年代・座標を設定することで物体を相互移動する仕組みが確立できた、となっていた。

 これまでは繋いで物体を移送するのみの片道状態だった。その後この時代に帰ってくる技術、つまり物体の往復が理論上可能になったのだ。

 これでやっと、時空間を移動するための機械……つまり、人が乗ることができるタイムマシンの研究に着手できる、と本部は大盛り上がりだったのだが。

 既に、それを実現した? このちっぽけな電卓で?


「なぜ人が自ら過去に行く必要がある?」


 私の訝し気な表情が気に入らなかったのか、博士がフン、と小馬鹿にしたような鼻息を漏らす。


「それは、過去で滅びの原因を見つけるために研究を……」

「原因を見つけて? 滅びを止めて地球を救う? バカバカしい」

「……」

「何様だ? それこそ人間の驕り高ぶった考えというものだ。人間は地球に生かされてきただけだというのに。その人間が地球を救う? 不可能だ」


 それを言ってしまったら、この研究機関の存在そのものに異議を唱えることになってしまう。

 しかし、レオン博士が言いたいこともわかる。

 過去に関与して、仮に地球の寿命を延ばすことができたとして――その先に、何があるだろう。


「奴らは過去に関与したいがために研究している。そんなカチコチの頭だからこんなにちんたらしているんだ」


 レオン博士が私の手から論文を奪い取り、高々と放り投げる。

 同時に、助手である自分のことも突き放されたようで、ズキン、と胸が痛んだ。


 ITWR附属アカデミーを首席を卒業し研究者としての道を歩み始めた私は、どのラボも選び放題だった。だけど、あえてレオン博士のラボを選んだ。

 同級生には出世コースを外れた、変人は奇人を選ぶんだ、と陰口をたたかれたが、全く気にしなかった。

 なぜならそれが、自分の最初からの目標だったから。

 それほど敬愛するレオン博士に、自分達を揶揄するようなそんな他の研究者達とひとくくりにされてはたまったものではない。


「じゃあ、博士は何のためにここにいるんですか。それに、その開発したタイムマシンの意図は? 過去に転移する装置ということは間違いないんですよね?」

「んー、ウィリーくん。君もまだ頭がカタいねぇ」


 自分のこめかみを左手の人差し指でつつきながら言うレオン博士は、さきほどよりは幾分柔らかい表情になっていた。

 いつもの冗談めかした口調と私への眼差しの優しさに、少しだけ安堵する。


「過去を変えようとするのは無意味だが、過去に何が起こったのかを知ることは重要だろう」

「……過去を、知る?」

「そうだ。きちんと、自分の目で見ること。真実を知る事さえできれば、人間は同じ過ちを二度と繰り返さないようにできるかもしれない。逆に言えば、知らなければどの惑星に移住しようが結末は同じだ」


 根本的解決にはならないね、とレオン博士が肩をすくめ、両手を空に向ける。


「――これは、人間の精神だけを過去の時空へ飛ばす装置だ」

「精神、だけ?」

「人間の五感や記憶を電子脳に移す技術は、すでに確立されている。そして過去の時空間へ転移する道筋もできている」


 レオン博士が右手に持っていた電卓を再び私へと向けた。


「ここに転移者の視覚と聴覚を移し、過去の時空間へ転移。情報を得たら帰還、データとして抽出する」

「あ……」

「知ることだけが目的なら、生身の身体で行く必要などないのだ。過去に干渉しないことが前提なら、この方が遥かに危険は少ないし確実だ」


 奴らは自ら過去に関与する前提でいるからこんなことにも気づかないのだ、とレオン博士は不満そうに吐き捨てた。


「精神だけならどこにでも潜り込めるし、はるかに有用だというのに」

「確かに、そうですね……」


 目から鱗だった。

 仮に中枢で進められている計画のように、実際に過去の地球に足を下ろすことが目標だとしても、先に過去の地球について情報を集められるだけ集めた方がいいに決まっている。


「という訳で、だ。ウィリーくん、君にはこのマシンの素晴らしさを実感してもらいたい」

「はい?」

「君の行きたい時代に行かせてあげよう。勿論、わたしが操作するので必然的にわたしも見ることになるが、それでも良ければ。行きたいところはあるかね?」

「一人で跳ぶんですか?」

「そうだ。わたし一人のときは自分で操作と転移を兼ねていたが、君を危険に晒す訳にはいかないからね」


 操作に専念しようと思う、とレオン博士が機嫌良さそうに少しだけ微笑んだ。

 本当に珍しい、博士の笑顔。


 レオン博士が、見てくれるならば。

 研究以外に何も興味を示さない博士に、私はどうしても知っておいてほしいことがある。


 私は力強く頷くと、一切躊躇わずに、完璧に頭に入っていた五年前のあの時間とあの座標を、博士に告げた。



   * * *



 『ITWR附属アカデミー試験会場』と書かれた看板の前に、立ちすくむ一人の少女。脇の下までさらりと流れる黒髪が、所在なさげに揺れている。

 その門の中へと消えていくのは、大勢の少年たち。

 小刻みに震え俯く少女の脇を、ある者は怪訝そうに振り返り、あるものは小馬鹿にしたように仲間たちと嘲笑し、あるものはその存在を無視するかのように通り過ぎていく。


 世界でも最難関と言われるITWR附属アカデミーの入学試験は、競争率は一万倍とも言われる狭き門。受験生の99.999%は男性で、女性の合格者は未だかつて一人もいない。


 少女は血の滲むような思いで努力してきた。合格する自信はある。

 ……だけど。

 既に奇異の目で自分を見る彼らと、五年間共に過ごすことができるだろうか。

 信念を曲げずにやり遂げられるだけの覚悟は、あるだろうか。


 

「――入らないのかい? そんなところに立っていられると邪魔なんだが」


 不意に声をかけられて、少女の肩がビクリと跳ね上がる。


 少女が躊躇している間に、受験生たちの姿はどこにも見えなくなっていた。きょろきょろと辺りを見回すと、隣の敷地――ITWRの北西の端っこの塀から、一人の男性が降りてきた。

 ヨレヨレの恰好で頭もボサボサのだいぶん変な人に見えるが、この敷地内を自由に歩ける以上、ITWRの職員のはずだ。


「え、あの、あなたは……?」


 少女が塀と男性を見比べながらオドオドと問いかける。内気なように見えるが、見知らぬ人間にきちんと身元を確認できるのだから、意外に肝は据わっている。


「アカデミーの食堂のコーヒーは、安くて美味い。わたしのラボからはここが近道なんだ」


 ということは、ITWRの研究者で間違いない。……でもきっと、奇人変人と言われる類いなんだろう、と少女は考えた。


「受験者だろう? もう入室完了10分前だ。急ぎたまえ」


 少女が手にしていた受験票を見たのか、男性が顎でしゃくる。彼の眼差しからは、先ほどの少年たちのような奇異の色はまったく感じなかった。

 彼にとっては男も女も関係なく、単なる受験生にしか映っていないのだろう。

 そう思うと、肩からふっと力が抜けた。気が付けば、受験票を持つ手の震えが治まっていた。


「はい。ありがとうございます」


 少女はしっかりと頭を下げると、にっこりと微笑んだ。そしてもう一度軽く会釈をし、力強い足取りで門の中へと消えていく。

 その場に残った男性は黙って少女を見送った。

 そして、次の瞬間にはすでにそのことを忘れてしまったかのような表情で正門から中へ入り、アカデミーの食堂へと向かった。



   * * *



 ヴィルヘルミナ・バース。それが、私の名前です。

 研究で頭がいっぱいのレオン博士は、きっと知らなかったと思いますが。――きっと、私が女だということすらも。


 レオン博士。あのとき博士と出会わなければ、私自身が凝り固まった固定概念に押しつぶされるところでした。


 髪を短く切り、周りの少年達と同じような姿になり、自分はみんなと同じ研究者を志す一人の生徒、『ウィリー』なんだと言い聞かせ、五年間、頑張り通すことができました。

 それでもアカデミーではやはり変人扱いされ、邪な視線を向けられることも多かったけれど、明確な目標ができた私にとっては、それは大したことではありませんでした。


 私も、変えたい過去などありません。

 むしろ私が望むのは、未来。


 レオン博士の輝かしい物語を、一番そばで読んでいたい。

 そして、願わくば――そのほんの一頁でいいから、私の存在が記されることを。

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