煙草屋

鹽夜亮

第1話 煙草屋

 私には、三日に一度の日課がある。それは近所の煙草屋へ、買い物に行くことである。

 我が家は地方の、しかも郊外の、その中でも寂れた田舎町にある。煙草屋はこの町に一つしかない。閑散とした駅前通りの一角に、それは数十年前から店を構えている。

「いらっしゃいませ」

「マルボロメンソールを二つ」

「ありがとうございます。お好きなものをお一つどうぞ」

 常連とは言えど、交わす会話に変化はない。それでいい。

 この煙草屋は、コンビニよりも品揃えが悪い。必要最低限、常連客が買う銘柄だけを仕入れているのだろう。コンビニと異なるのは、店主が煙草にそれなりに知識を備えていることと、二箱につき一つの缶コーヒーをおまけに添えてくれるところにある。

 店の軒先へ出て、財布とマルボロの一箱を車の助手席へと放り込む。手元に残ったもう一箱の、ビニール包装を開け、煙草を一本取り出し、火を点ける。左手に煙草を持ったまま、右手の中指で缶コーヒーのプルタブを開ける。ブラックコーヒーを時折口に運びながら、私は煙草を喫む。

 駅前通りは閑散としている。私のこの日課は、約二十分の時間を要するが、その間にも通りがかる人は稀、車でさえも一台か二台通りがかるかどうかといった寂れ具合である。煙草屋以外の商店は、ほぼ全て店を畳んでいる。対面には大きな判子屋があるが、それが営業しているとも、していないとも、私には知れない。少なくとも、その店に客が入る場面を、私は見たことはなかった。煙草屋から少し駅より反対方向に進んだところには、精肉店がある。そこは未だに細々と営業を続けている。車を持たぬ近所の老人や、昔からの常連が通っているのだろう。それ以外の新規客がいるとは、到底思えない。

 それ以外に営業している(かもしれない)店はない。喫茶店の看板が汚れたシャッターの上に、独り寂しげに錆びている。もしここが営業していたなら、私の日課も温かい淹れたての珈琲と共にあったかもしれない。祖父は、以前この喫茶店に毎日のように通っていたらしい。…今のこの駅前通りの寂れ具合を見れば、羨ましい限りである。

 さて、この駅前通りは約二百メートルほどの長さしかない。一直線に車道が駅から伸びていて、あっという間に県道へ接続するT字路へと突き当たる。駐車場はほぼない。そのため、この通りに面する場所に用事のある人は、皆路上駐車をする形になる。西日などが翳っていれば、そこにイレギュラーな陰影が生まれ、寂しげな中にもノスタルジックな、素朴な美しさを呈することもある。

 駅へ向きなおれば、そのはるか先には富士が見える。見えると言っても、その手前にある山々の連なりに大方隠れ、白髪になった頭の先をポツリと空に晒しているだけに過ぎない。ここは決して富士の絶景スポットとはいえないであろう。しかし、私にとっての富士は、最も馴染んだ偉大で、優しい富士は、この富士なのである。

 一本を吸い終えると、私は規則的に二本目に火を点ける。缶コーヒーがまだ残っている。それもいつも通りである。ちょうど二本を、ゆっくり吸い終える頃に、この缶コーヒーも尽きる。そこでようやく私の日課は終わる。

 煙草屋の店内からはラジオの音が控えめに、微かに聞こえてくる。風が吹けば、吹いたなりの風の音が、雨が降れば雨音が、駅に電車が通りすがればその音が、決して混じり合うことなく個別に聞こえる。それは、ここがあまりにも閑散としていて、静かであるためだろう。私はこの静寂と、時折優しく響く人々の細々とした、生活の音を聞くのが好きだ。どこか、それは安らぎである。コンビニの喫煙所で煙草を喫むのでは、この安らぎを得ることはできない。自宅ともまた違う。田舎の、昔からある小さな煙草屋の軒先だけに許される安らぎである。そこにはたしかに、趣がある。

 鴉が鳴きながら、空を飛び去っていく。小鳥が側溝の近くで、何かを摘まんではひょこひょこと体を可愛らしく揺らし揺らし歩いてゆく。時折、野良猫が姿を見せることもある。彼らはいかにも野良らしく、すぐにどこかへと走り去ってしまう。…

 喫煙は思考を加速させる。それは物理的に考えれば、実に馬鹿げている。脳の血管はニコチンで収縮され、栄養分を行き渡らせる力は鈍るはずだ。しかし、煙草の煙に混ざりながら、私の思考は澄み切り、その人口の翼をこれでもかと誇示しながら、悠々と空へと飛び立っていく。

 二本目も既に終わった。私はここで、決して三本目に火を点けることはない。どこかそれは、無粋に思われてならないからだ。缶コーヒーもあと一口を残して、煙草のいがらっぽさを洗い流そうと待っている。…

 日課が終わる。また一日が過ぎる。そしてさらに一日が過ぎる。

 …また日課が始まる。私は、生きていける。

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煙草屋 鹽夜亮 @yuu1201

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