第7話 君の夏が消える


「結衣?一体どこにいくんだ?」

 僕は草むらをスニーカーで踏み歩きながら目の前を歩く彼女に言う。

 スニーカーの僕と違って彼女は下駄を履いている。

 よくこんな足元の安定しない場所をぐいぐい進んでいけるものだ。

「ついてきたら分かるよっ」

 楽し気な様子で彼女は返す。薄暗くて視界が良く見えないが、彼女はきっと笑っているのだろう。

 確か僕達は花火大会に向かっていたはずなのだが、気づけば会場とは反対の方向に進み続けている。

 花火の見えやすい場所があると彼女に提案され、今は辺り雑木林に囲まれた山の坂をひたすら登り続けている。

 空を見上げるも無数の枝に囲われそこに重なり茂っている葉により夜空をクリアに見ることはできなかった。

「もう少しだから」

 か細い声からさすがに彼女も疲れてきているのだろう。

 月の光が僅かに差し込み、彼女の着けた髪飾りが反射して光る。

 花びらとレースであしらわれ、鮮やかな薔薇を思わせる。

 それだけじゃない、今日の花火大会に合わせて彼女は浴衣を身に纏っていた。

 大柄の赤い花がいくつも描かれ、白色の柔らかなレースを思わせる生地がふんわりと彼女の細い体躯を包み込んでいた。

 化粧も少し施したのか、どことなくいつもより大人の雰囲気を漂わせていた。

 姉の私物だが本人よりも似合っているのは間違いないだろう。

 結衣は昔から夏祭りになると自分でおめかしして出掛けていたらしい。

 唯一いつもと変わらないのは、彼女の腕にアメジストのブレスレットが装飾されていること。こればっかりはいつ何時も手放しているのを見たことが無い。

 そんなことを考えている内、彼女の無邪気な声が耳に入ってきた。

「和哉、着いたよ!」

 彼女は草むらを走りその先には木調デザインのプラスチックのベンチが設置されていた。

「へぇ・・・ここが」と僕は周囲を見渡す。

 そこは確かに雑木林に囲まれているものの、巨大なスクリーンの様で壮大に夜空を映し出していた。

 遮るものは何もない、ましてや周囲に人気もない、花火を見る環境でここまで落ち着ける場所は他にないだろう。

「いい所でしょ?」

 彼女は得意げに言いクスクスと笑う。

「・・・いい場所だね」

 感動を覚えているものの、いまいち言葉はうまく紡ぎだせなかった。

 彼女はベンチに腰掛け、僕もその隣に腰掛けた。

 あまり幅の無いベンチは僕達の距離を縮め、少し動くと互いの肩が触れ合い温もりを感じた。

「ここ、お母さんと来たことがあるんだ。ずいぶん前の話だけど、花火大会になるとこのベンチに座って一緒に花火を見ていた。私はせっかくの屋台を回れずにはぶてていたけど、花火が上がるとこの場所が最高の思い出になった」

 蛍の照らす光が山々に光り僕達の場所を照らす。

 肌を刺すような冷気は夏とは思われぬほど清々しかった。

「和哉、今何時?」

 そう聞かれ、僕は携帯の時計を確認する。

「十九時五十八分だけど」

「なら、もう少しだね。花火が上がるの」

 彼女はそう言って笑いかけ、僕は先程彼女の言った言葉を頭の中で反芻させる。

「お母さんと一緒に見たのは、いつの話なの?」

「え?・・・そうだね。もう私が小学生の頃の話だよ。でも、どうだったかな。もう上手く思い出せないや」

 腕に巻かれたアメジストのブレスレットをいじりながら彼女は言う。

「そう、なんだ」

「あれから、つけてくれてるんだね。そのブレスレット」

「え?」

 僕は自分の腕にも巻かれた同じブレスレットに目を落とす。

 紫色のアメジストは光を反射し確かにそこにあった。

「もう失くさないって、約束だから」

「ふふっ、覚えててくれたんだ」

「当たり前だろ?」

 僕は冗談交じりに笑うが、彼女は哀し気に目を細めていた。

 彼女は手を伸ばし、僕の手首に手を当て優しく握り締めてきた。

「ねぇ、結衣」

「何?」

「どこにもいかないよね?」

「・・・どうして?」

「なんだか、目を離せばどこか遠くに行ってしまいそうな気がして」

 彼女は僕と視線を合わせない。ただ握った手の一点を見つめていた。

 返答の無い彼女に不安を抱き、僕は「ねぇ」と再確認しようとする。

「あ、和哉!」

「え?」

 その瞬間だった。

 轟音が響きその方向を見ると何もなかった夜空に大輪の花火がいくつも咲いていた。

 何回も、何回も、打ち上げられては散り、その繰り返しで夜空に光をともしていた。

 僕達はただその景色を見つめ、その間は互いの存在さえ忘れてしまいそうな程美しく目を奪われてしまう光景だった。

 隣を見れば手を握ってくれている彼女がいる、周囲に遮るものは何もない。

 ただ視界一杯に咲く花火を互いに見つめていた。

 この世界にただ二人、この美しい光景を眺めていられるような、そんな非現実的な感覚を感じさせてくれる程僕達の時間は静かに流れていく。

「和哉、私。幸せだったよ」

 花火の轟音に負けてしまいそうな程呟くようなか細い声が聞こえ、僕は彼女に向き直る。

 色とりどりの光に照らされ彼女の表情が何回も何回も映し出された。

 美しい、でもいつもより哀し気な表情は僕の予感をくすぶらせてしまう。

「私の傍に居てくれて、真剣に向き合ってくれて、私の、恋人になってくれて。本当に幸せだった。だから今は悲しくて仕方がない。あなたとこの先いられないことが、私がこの世界にいられないことが、どうしようもないくらい。悲しいよ」

 言葉を聞く度彼女の頬に涙が伝っているのが分かった。

 意味がよく分からない、何が彼女をそこまで悲しくさせているのか、僕はただ彼女の言葉を聞く他なかった。

「だから、先に行って待っている。あなたがいつか来るはずの世界で、私、いつまでも待っているから。だからその時まで、私の事を・・・忘れないで」

 彼女は自身の手首にはめられたブレスレットを外し、僕の手の平にそっと置いた。

「ちょっと待ってよ!意味が分からない!どういう・・・」

「大好き。和哉」

 その瞬間口元に彼女の温もりを感じた。

 目を瞑り、一時の幸せが静かに訪れる。

そして目を開くと、僕の前に彼女はいなくなっていた。

「結衣?」

 呼びかけても返事はない。

 立ち上がり、周囲を見渡し、訳も分からず走り出すがどこにも彼女の姿は無かった。

「結衣?結衣!?」

 そんな僕の気も知らず美しい花火は夜空に咲き誇っていく。

 僕は膝から崩れ落ち、視界が歪んでいき次第に大粒の涙が零れ落ちていった。

 もう、二度と見ることのできないのか?

 彼女の無邪気な笑顔も、怒って頬を膨らませる表情も、僕を好きと言ってくれた、華やかに笑い世界を照らすような言葉も。

 さようなら。幸せになってね。

 彼女の声が聞こえた気がした。

 声の方向を見ると、彼女が身に着けていたアメジストのブレスレットが草むらに落ちていた。

 僕は走り、そのブレスレットを拾い大事に抱える。

「うわぁぁぁぁぁ!!!」

 自分でも聞いたことのない嗚咽が響き、花火の轟音と共に消えていく。

 君と過ごせた最初で最後の夏。

 そんな夏が、青春が、僕の心の中に深く刻まれ、誰にも知られることなく静かに消えていった。

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君の夏が消える emo @miyoshi344

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