咎の家

狸汁ぺろり

サンタさんいらっしゃい

 ――シャンシャンシャン。シャンシャンシャン。

 メリー・クリスマス。雪の夜。凍てつくような雪嵐。

 町はずれの一軒家。灯りの消えた家の前で、サンタはソリから降り立った。

「やれやれ、ひどい雪だ。だがこれで今年の最後の家じゃ」

 大きな袋を担いだサンタは、玄関の扉に鍵開けの魔法をかけた。扉が開き、サンタの大きな体がさっと家の内へ潜り込むと、扉はまた、何事もなかったかのように、自らを閉ざし鍵をかけた。

 訪問相手はピーター・パレット。12歳。飛行機の好きな男の子で、彼の枕元にプレゼントのプラモデルを届けるのが、今年最後の務めであった。

「おや……?」

 玄関から一歩踏み込んだサンタは、暗闇を見通す魔法の目を瞬いて、家の中を見渡した。

 真っ暗だ。それは当たり前だ。サンタの来る時間だもの。しかし、どうにも静かすぎるし、空気が冷たすぎる。

「クリスマス・パーティーをやらなかったのか? まるで空き家みたいに火の香りがない。たとえどこか他のパーティーに招待されていたとしても、家に帰ってから眠るまでの間に、暖炉の前で会話ぐらいするもんじゃがなぁ。『お母さん、僕サンタさんが来るまで起きていたい』って。それともピーター君は、よっぽど躾が良いのかな」

 それにしたって、この家の空気は寒すぎる。サンタの服と帽子はどんな寒さでもへっちゃらだが、それにしたって……。いや、家のことをあれこれと詮索するのは、サンタの仕事ではない。ただいつもより少し早く眠っているだけなのだ、この家は。

 サンタは廊下へ踏み出した。ピーター君の寝室は二階で、階段は廊下の左奥というのはわかっている。そこへ上がってピーター君の靴下にプレゼント箱の端っこをちょいと突っ込んで、眠っている耳に、「メリー・クリスマス」と言うだけだ。

 しかし、廊下の壁にかかっている帽子は何だろう?

 まるで猟師が戦利品の首を飾るように、玄関側から奥に向かってずらりと並んだ、この帽子の列は……?

 サンタは弾かれたように目を見開いた。よく見ればそれは全部、サンタの帽子だった。

「信じられない!」

 サンタは己の頭の帽子に触れた。同じものだ。壁にかかっている帽子は全て、自分がかぶっているのと同じサンタ帽である。デパートなんかで売っている模倣の帽子なんかじゃなく、正式なサンタだけが与えられる魔法の帽子そのものである。どうしてこんな家に、それもこんなにたくさん?

 驚きに呑まれたサンタの目は、一つの帽子に吸い寄せられた。帽子から壁を伝って、何かが垂れている。水滴のようだが、違う。血だ。サンタ帽から垂れた鮮血が、今まさに生きているかのように、壁を伝って這い降りていく。降りた先には小さなチェストが置いてあり、その上に一体の人形が足を投げ出して座っている。かわいい女の子の人形だ。三つ編みの髪に、垂れた血液が今にも触れそうだ。

「おっと、汚れちゃいけないよ。レディ」

 サンタは大きな手で人形を抱え、綺麗な髪が汚れる前に救ってやると、にっこり微笑んだ。人形の命なき目が見返した。

 サンタが壁に目をやると、血の流れは完全に乾いて止まっていた。なぜさっきの一滴だけ流れたのだろうか? 

 いや、そもそもこの血は誰のものだ? 

 それ以前に、この帽子はどこから手に入れたのだろうか?

 困惑していたサンタは、ふいに短い悲鳴をあげて跳び上がった。

 手の中が温かい。人形――お目目がぱっちりとした、かわいらしい女の子の人形が、さっきまで子どもに抱っこされていたみたいに生温かいと気づいたからだ。この家に入って以来、初めて感じた、人間らしい温もりだった。家の中はこんなに寒いのに! それに、手の中で人形がかすかに身震いしたような気もした。

「馬鹿な。なんでもないことじゃ。何かの間違いじゃ」

 サンタはチェストの血のついていないところへ人形を置き、袋を担ぎなおすと、帽子を目深にかぶり直して廊下を突き進んだ。

 階段はすぐに見つかった。サンタの身体がやっと通れるぐらいの狭い階段だ。お腹を揺すってえっちらおっちら登って行くと、階段の先に何かが立っていた。

 さっきと同じ人形だ。

 カタカタカタ。カタカタカタ。

 女の子の体は震えて、動いていた。二階の床から階段へ向かって、まっすぐ、前へ。さっきの人形との違いは服装だ。さっきの人形は短いキュロットで両足が出ていた。いま動いているのは裾の広がったロングドレスだ。足の見えない人形がこっちへ来る。落ちてくる。

 サンタは両手を広げて人形を抱き止めようと思った。しかし、落ちる寸前の人形が、ニタリと唇を歪ませたように見えた。鋭い寒気がサンタを襲った。

 サンタは声にならない悲鳴をあげて、狭い階段で無理やり身をよじり、人形を避けた。

ダーンくそったれ、なんてことだ! 人形であっても子どもは守らなければいけないのに!」

 サンタが己の防衛的行動を悔いた時には遅かった。人形は階段を転げ落ち、ガツン、ガツンと鈍い音を立てて、階下へ転落した。そしてそのまま、廊下の方へカタカタと進んでいった。まったく、最近の玩具は!

「電池だかネジだか知らないが、よく動く。それに頑丈だ。すまないが、今はこの階段を素直に登らせておくれ。わしは一度引き返したら、もう二度とこの階段を上る勇気が出ないような気がするのじゃよ」

 サンタは人形の無事を心から祈りながら、一息に残りの階段を駆け上がった。もう随分と時間を無駄にしたような気がする。ピーター君の部屋はすぐそこだ。扉にちゃんとプレートが飾ってある。12歳にしてはちょっと幼過ぎるデザインだ――。

 扉に鍵はなかった。サンタはようやく子どもの寝室へたどり着いた。右側のベッドの上で、盛り上がった毛布が静かな寝息を立てている。

「いい子じゃ。そう、何事もないのじゃよ。わしの仕事はこれで終わりだし、君はあくる朝一番に、クリスマスの祝福を味わうじゃろう。たったそれだけじゃよ。世の中の平和というのは、それだけで……」

 サンタは担いでいた袋をカーペットの床に置き、プレゼントを取り出そうとした。すると、ベッドの下から何かが這い出してくるのが見えた。

 また人形か、勘弁してくれ。そう思ったが、安堵した。ベッドの下に居たのは犬だった。精悍な顔をしたレトリーバーだ。

 サンタはにこやかに笑って、動物の言葉を話した。

「ごきげんよう。勇敢なる番犬ナイト殿。見ての通り私はサンタクロースじゃよ。君が、君のご先祖様から授かった英知にのっとって、この私を見逃してくれるだろうね?」

 そう唱えれば、忠実な犬であろうと家の主を自認するクイーンであろうと、神の使いであるサンタに頭を垂れるのだ。普通なら。

「出て行け」

 サンタは仰天した。飢えて傷ついた兵士のような声を放ったのは、間違いなく目の前の犬だ。

「出て行けじゃと? 馬鹿を言うでない。サンタが子どもの家に入って、プレゼントも置かずに出ていけるものかね。さあ、ほんのちょっとの手間もいらん。そこの靴下までわしを行かせておくれ」

「あんたのために言っているんだ。この家は危険だ。あんたはきっと無事ではいられなくなる。今ならまだ間に合う」

 犬は立ち上がり、恐ろしい目でサンタを睨みつけた。サンタは髭を震わした。サンタになって以来、こんなに厳しい目を向けられるのは初めてだ。サンタを人を愛し、愛され、そこには笑顔しかなく――。

「出て行け!」

 犬は牙を剥いてサンタに躍りかかった。どうしようもなかった。サンタは袋を抱えて部屋の外へ転がり出た。犬はまだ追ってくる。ズボンの裾へ齧りつく。悲鳴を上げて、サンタは廊下を這いずった。魔法のおかげで傷はつかないが、恐怖に支配されていた。分からず屋の犬め、なんて家だ! 幸せな家庭には犬が必要だなんて誰が決めた? 確かに利口で行儀の良い犬も存在するだろう。だが性根の曲がったどうしようもない犬だっている。人間と同じだ。

 犬を振り放そうともがくうちに、とうとうサンタは階段から転げ落ちた。落ちた拍子に玄関先の廊下まで飛び出した。

 あがが、と急に犬が妙な声をあげて、サンタから離れた。その隙にサンタは子どもには聞かせられない罵声を口にしながら体勢を立て直そうとしたが、その時、引きずってきた袋の中から音が聞こえた。バリバリと、紙を破く音だ。

「おいっ」

 サンタは青ざめて袋の中を見た。サンタの袋はたとえ中身が最後の一つでも夢のように膨らんでいる。その膨らんだ空洞の中で、ロングドレスの人形がプレゼントの包みを食い破っていた。

「馬鹿ッ、馬鹿、このアマッ子め!」

 サンタは人形を掴んで投げ捨てた。プレゼントの無事以外に、何も考える余裕はなかった。リボンと包装紙が破れた隙間からは、凹んだ紙箱と飛行機の絵が見えた。その楕円形の翼をした飛行機には見覚えがあった。

「なんだって……。よりによってスピットファイア? 飛行機が好きっていうのは戦闘機のことだったのか? 趣味の悪い子どもだ。このわしに、こんな、こんな忌々しいものを……」

 しかし、サンタは己の過去を見てばかりはいられなかった。いま重大なのは目の前の不思議だ。あの人形はいつの間に袋の中へ入ったのだ。そういえば、もう一つの人形はどこだ? チェストの上からはキュロットの人形が消えていた。

「このバカ犬。余計な事を言うんじゃないわよ」

 女の子の声がした。犬の口の中からだ。犬がこちらを向いた。嗚咽する喉の奥から、ずるずると、女の子の人形が這い出てきた。唇が生き物のように動いた。

「これは儀式なの。この人が救われるかどうかの大事な儀式。あんたは黙っていてよ」

「お、おい。やめるんだ。その犬をどうするつもりだ」

「あんたも黙ってて」

 人形は片方の手で無理やり犬の上顎を押し上げ、もう片方の手で犬の舌を掴んでいた。そのままずるずると這い出してきて、やがて、ぷっつりと、血飛沫を散らしながら舌を引っこ抜いた。犬は床で暴れて悶えて死んだ。

 悲鳴はなかった。犬も、サンタも、歯がガチガチなるばかりで呻き声も出なかった。

「いいこと? サンタさん」

 キュロットの血まみれ人形が大きな目でサンタを見た。手にはまだ舌を握っていて、それだぶるぶる震えている。

「わかっているでしょうね。あんたにはまだ仕事があるわ。サンタの仕事。さっさと行ってちょうだい」

「お前は、お前たちはいったい、何者なのだ。悪魔の使いなのか」

「余計な事を言わないでって、言ってるでしょう」

 いつの間にか、背後にロングドレスの人形が立っていた。まるで玄関の方へ逃げるのを阻むように、凛とした姿勢で立っていた。

 ――ダーン。人形の顔なんて、みな同じような顔ばかりじゃあないか。この二つの人形が瓜二つだからって、まさか、双子だとは限らないだろう? スピットファイア。双子の女の子。そんな古い記事の記憶は関係ないはずだ。

「聞こえないの、お爺さん。あんたはサンタ。昔はどうでも今はそうでしょ」

「だったら仕事をしなさいよ。二階のあの子の部屋へ。そのプレゼントを持って」

 無機物のような、ささやく声で女の子たちが急かしたてる。サンタの心は半分、目の前の現実から離れていた。戦闘機。双子。その家に犬がいたかは知らない。

 子供の名前はピーター・パレット。パレット? どこかでその姓を聞いた気がする。

「行かなきゃあんたの舌も引っこ抜くわよ」

「それをお尻に挿してあげるわ」

「わかったよ。わかった、行けばいいのじゃろう」

 現実に戻されたサンタは袋を担ぎ、よろよろと、パーティーの酔客よりも頼りない足取りで階段を上り始めた。その後ろから双子の人形がくるくる回りながらついてくる。

「体が重そうねえ、お爺さん」

「お尻を押してあげましょうか」

「いらん世話じゃ。いいか、お前たちこそ覚悟しろよ。わしは許されてサンタになったのじゃ。過去がどうであろうと、邪なのはお前たちの方じゃ。こんなくだらん悪戯など、神様は決して見逃さず罰を下されるぞ」

「ええ、裁くのはいつだって神様。あたしたちもそのつもりよ」

「でも、裁かれるのはあんたの方よ」

 サンタは再びピーターの部屋へ戻ってきた。部屋の様子は犬がいなくなったほかに変わりはない。プレゼントの包みは破れてしまったが、これを置きさえすればサンタは完全に放免されるのだ。この家からも、過去からも。

「さあ、しっかりおやりなさいよ」

「その戦闘機、今度はちゃんと燃料が入っているのかしら?」

 うるさい、と人形を一喝して、サンタはベッド傍の靴下へ詰め寄った。

 すると。

「あなたは、どんな子どもでも愛せるの?」

 毛布の中から少年の声がした。天使のような声だった。

「他のサンタがそうするように、世界中のどんな家の、どんな子どもでも、あなたは心から愛してプレゼントを贈ることが出来るの?」

 サンタは、もう驚かなかった。この家では何がしゃべってもおかしくはない。サンタは試験に臨む学生の気持ちで答えた。

「もちろんじゃ。わしは愛する。お前たちが責めるように、わしには過去の罪がある。だからこそ愛したいのじゃよ。すべての子どもを」

「あなたの妻の子どもでも?」

 鉛筆を落っことした――ような気がした。

「上官の貴方を差し置いて、一介のパイロットと恋を育んでいたあなたの妻。その人の産んだ子どもがあなたの子じゃあなくっても、あなたは愛することが出来る? ねえ、今でも愛している? あの時はそうじゃなかったよね。裏切りを知った時、あなたは妻と子どもを……」

「言うな、それ以上を言うな……」

 サンタは涙を流して抗議したが、ベッドの声は止まらなかった。

「それだけじゃない。あなたは相手の男にも復讐をした。飛行機の燃料をこっそり抜いてね。しかもそれがバレないように計器に細工までした。男の飛行機はまったく想定外のところで墜落し、住宅を押しつぶした。家には双子の女の子がいたって、あなたも新聞で知ったよね? ペットの犬までは記事に出なかったけど」

「お前は、おお、パレットだと。なぜお前はそんな姓を、ピーターなどと私の知らない名を名乗るのだ」

「それが、本当のお父さんがくれた名前だからだよ。間抜けな少尉殿」

 毛布の中でそいつが寝がえりを打った。サンタの方へ向き直ったような気がする。毛布の先から曲がった角がはみ出していた。

「さあ、プレゼントを渡して。心から祝福して。僕を、こんな姿になった僕を」

 毛布の中から毛むくじゃらの腕が出た。

 サンタは悲鳴を上げて、手にした箱をそいつの頭へ叩きつけた。


 ――シャンシャンシャン。シャンシャンシャン。

 雪の夜をソリが行く。二頭のトナカイに引っ張られ、無人のソリが空へ飛ぶ。

 ソリにはサンタの服と、帽子があった。服の襟首の中には双子の人形が、頬を寄せ合うようにくっついて座っていた。まるでこんな事を話しているみたいだった。

 あの人、愛せなかったのね。

 信じられなかったのよ。

 悪魔なんかじゃないって。

 あの人の罪を知っているのは、あの人をサンタにした神様だけだって。

 最後の試練。ああして落ちたの、もう何人目かしら?

 もういいわ。あたしたち、やっと行けるのね

 ソリは走る。空へ。天へ。偉大な主の御許へと。

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咎の家 狸汁ぺろり @tanukijiru

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