13. 狗神
「な、七瀬!」
「……君か。いったい何しにきた」
「何って、わっ、おい大丈夫か!?」
七瀬の体がふらりと揺れたので、慌てて近寄り受け取めた。浴衣越しに伝わる体温が異常に熱い。熱が出ているんじゃないだろうか。
明石の腕から離れようとするが、力が入らないのかままならない。つらそうな表情を浮かべて、浅い呼吸を繰り返している。
早く寝かせてやらなければ、悪化してしまう。自らの肩に七瀬の腕を回すと、広大な屋敷の玄関へと足を踏み入れた。
灰青の瞳はとじられ、長いまつげが存在感を遺憾なく示している。
端正な少年の寝顔は、まさに人形のようだと思った。
「……何を見ている」
薄い瞼がすっと開けられると、七瀬はあおむけに寝たまま目線だけを、明石の方に向けた。明石は布団に横たわる七瀬の隣で、胡坐をかいている。
「おっ気が付いたか? 大丈夫か? 吐き気とかはしないのか?」
心配そうに七瀬の顔をのぞき込んだが、眉をひそめられて視線をそらされる。
「……君が運んでくれたのか」
七瀬は何ひとつ答えずに、逆に問いで返してきた。
「ああ、勝手に入ってごめんな。このワンコが案内してくれたんだ」
明石は顎で右側に向けた。隣には、ちんまりとおすわりをしている柴犬がいる。愛くるしい顔を見つめながら、先ほどのことを思いだした。
――家にあがったはいいが、中はしんと静まり返り人がいる気配はない。
(こいつ、本当に一人で暮らしているのか?)
どの部屋に行けばいいかわからなからず戸惑っていると、先ほど自分を噛み殺すと宣言した子犬が三和土からひょいっと上ってきた。
隅に置いてあったタオルの上で何回か足踏みした後、明石の前を歩き始めた。当てのない明石はひとまず付いていくことにした。大きな寺のような板張りの廊下を、揺れるしっぽを見ながら進んでいく。三回ほど角を曲がったところで、障子があけっぱなしになっている部屋の前に出た。
中には桐箪笥や文机が置かれており、文豪の部屋みたいだなと明石は思った。文机の隣には布団が敷きっぱなしになっている。おそらく今まで七瀬が眠っていたところだろう。いつのまにか寝てしまった七瀬をゆっくりと敷布団の上におろした。色白に頬が赤く染まっている。傍にひっくり返っていた上等な羽毛の掛布団を肩まで入るようにかけてやった。
ひとまず様子をうかがっていると、浅い眠りの中視線や気配がうるさかったのか、思ったよりも早く目を開けたのだった。
「そうか。狗神、世話をかけたな」
「大したことではない」
「いや俺には!? というかやっぱり犬が喋ってる!?」
目の前で平然と会話する人間と犬に明石は大声でツッコミを入れた。
「うるさいな……。頭に響く……」
七瀬はこめかみに手をあてて唸った。明石は慌てて、ごめんっと小さな声で謝る。
「こいつはただの犬じゃない。七瀬家の犬神という式神だ」
わん、とどうみても可愛いらしい子犬にしか見えない式神が吠えた。
「へえ、このワンコがねえ」
明石は犬の頭をひと撫でした。もふっとした手触りが気持ちいい。
「気安く触るなと言っている」
開きっぱなしの口からしゃがれた低い声が出た。見た目と声との違和感がひどい。つぶらな瞳をした子犬にぴしゃりと拒絶されて、明石は少し落ち込んだ。
「狗神は小さな子犬の姿をしているが、江戸時代につくられた式神だぞ。ゆうに二百歳は越している」
「二百歳!?」
犬の年齢どころか人間の年齢の倍も生きている。それまで七瀬のペットのようなものかと思っていたが、飼い主よりはるかにご長寿である存在に、明石は思わず襟を正した。犬神はその様子に満足したのか、得意げに鼻を鳴らした。
七瀬は呪詛を返さない。 @suzumushi88
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