12、七瀬、風邪をひく



 ここ数日、七瀬の姿を見ていない。

 お昼休みに一緒に弁当を食べようと旧図書室に行ったが、目的の人物はそこにはいなかった。

 相変わらず教室にもいない。空席には鞄も置いていなかったので、学校自体に来ていないのかもしれない。  

(放課後、もう一回寄ってみるか……)

 旧図書室の引き戸を閉めると、目のまえにある人物が立っていた。


「朱宮さん…!」

 闇夜を思わせる黒髪の美少女、朱宮まどかだった。

「明石くん、この前はありがとう」

 この前とは、先日の藁人形の件を指しているのだろう。鉄の無表情だが、明石にはほんの少しだけ微笑んでいるように感じた。

「いやいや! 大したことじゃないって!」

「深夜、寒い中調べてくれたんでしょう? 本当にごめんね。明石くんまで風邪ひかなくてよかった……」

 良いなと思っている可愛らしい女の子に心配をかけられて、明石の心は天にものぼる勢いで舞い上がる。照れ隠しに頭を掻いてみるが、ふと、疑問が浮かんだ。

「明石くんまで……? もしかして、七瀬って」

「聞いていなかったの? 風邪ひいてしまったみたいで休んでいるの」

 儚げな雰囲気をまとう七瀬は、イメージ通り身体が弱いらしい。夜中に丑の刻参りに来る人間を待っていた時に、すっかり身体冷やしたのが原因で体調を崩してしまったとのことだ。

(だから最近学校来てなかったのか)

 道理で旧図書館にもいないはずである。


「よかったらお見舞いに行ってあげてくれないかしら?」

「へ?」

 まどかからの提案に、明石は間の抜けた声を出した。

「ハル、一人で暮らしているから、心配なの。私は家の手伝いがあってどうしても行けなくて……」

「一人でって、あいつって由緒正しき七瀬家の跡とりじゃなかったの?」

 怪しげな噂があろうと、名家であることには変わりないはずだ。あの不遜な態度といい、金持ちの坊ちゃんみたいなものかと思っていたのだが。


「ハルは跡取りというより、すでに現当主なの。先代は……色々あって。もしよければ言ってあげてほしいの。お願い」

 身長差から、まどかは上目遣いに明石を見上げた。吸い込まれそうな大きな瞳にじっと見つめられて、明石は頬が熱くなるのを感じる。

 女の子に”お願い”をされて、断るなんて選択肢はすでになかった。



                *




 まどかに渡された地図をたよりに学校から四十分ほど歩いただろうか。商店街を抜けて、住宅地のはずれに明石の身長を超す高い土壁に囲まれた広大な屋敷があった。

 壁沿いに沿って歩き続け、瓦屋根の立派な数寄屋門の前まで来た。表札には、七瀬と書いてある。

(名家ってのは伊達じゃないな……) 

 七瀬に対して抱いていた”金持ちの坊ちゃん”というイメージはあながち間違っていなかったのではないかとため息をついた。


 どしんとそびえたつ門に気後れしてしまう。呼び鈴が見当たらないので、恐る恐る硬く閉じられている戸を二、三度叩く。

 耳を戸に近づけて反応を待つが、なんの音も返ってこない。どうするべきか迷ったが、引き戸を横へすべらせた。


 薄く平べったい石畳が続く先には、江戸時代の武家屋敷を思わせるような日本家屋があった。とぼとぼと玄関先まで行くと、再度、拳をつくって戸を叩こうとしたとき、


 ワン! ワン!


犬の鳴き声が聞こえた。


 驚いて辺りを見渡すと、どこからやってきたのか一匹の柴犬が駆け寄ってきた。

「七瀬の犬か!?」

 子犬くらいの大きさの愛くるしい柴犬が、明石の足元までやってきて匂いを嗅ぐようにくるくると回っている。

「可愛いなぁ~!」

 明石はしゃがみ込んで柴犬の頭をわしゃわしゃと撫でた。動物は好きな方なのだ。このもふもふとした手触りがたまらない。あまりの気持ちよさに両手で子犬の頭を撫でまわしてしまう。

「この家のワンちゃんでちゅか~?」 

 抱きしめたくなるような可愛さに、まるで赤ちゃんに話かけるように声をかけてしまう。


「なんて、ワンとしか言えないからな、七瀬に名前を教えてもらわな」

「気安く触るでない。噛み殺してやろうか」


 犬から、低い男の声がした。


 突然のことに、思わず明石は固まった。


 今、この犬が喋ったような……?


 そんなことがあるはずがない。慌てて首を振り周りを見ても、人の姿はない。もう一度、犬に目線を戻すと、つぶらな瞳と目が合う。可愛い。

「貴様、汚い手で我を触るとは、殺されても文句は言えまい」

 その可愛い外見をした犬から、恐ろしい言葉が飛び出している。さらには口を大きく開き、鋭い牙を見せつけてきた。


「うわあっっっ!?」

 目を見開いて驚愕した明石は、思わず後ろにしりもちをついてしまった。したたかに打った尻に鈍痛が走る。その時、ガラリと戸が開いた。


「狗神、落ち着け。そいつは僕の知人だ」

 寝込んでいたであろう浴衣姿の七瀬だった。


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