Chap.1-3
「一平、何歳になったんだっけ?」
気を取り直したタカさんがようやくそう尋ねてくれた。
「三十です。今日でいよいよ三十代突入なのに、まったくそんな感じがしないんですよねえ」
その気持ちも本当だった。昨日の僕と今日の僕が一瞬にして別人になるようなことがないのはわかる。けど、二十九歳と三十歳では言葉の重みが違う。昔思っていた三十歳はもっとシッカリした大人だった。仕事もバリバリこなす大人の男。ダンディでみんなからも慕われている……例えば、タカさんのように。
「これから変わっていくだろう、特に一平の場合はね」
「そうでしょうか、あと数年でタカさんさんみたいになれる気が全くしないんですけど」
「やめてくれよ。俺だってそんなたいした人間じゃないんだから」
三十歳になって、僕は本当にこれから変わって行くのだろうか。タカさんが「これから」と言ってくれている意味。それはゲイとして活動を始めたばかりの僕の将来のことだった。
「あたしもそんな感じだったわよ。三十路になったときは」
ふいにリリコさんが口を挟んだ。
「ホラ、子供のころに思ってた三十歳なんてめちゃくちゃオジサンだったじゃない? 結婚して子供もいて、会社じゃ係長さんくらいにはなってて……みたいなさ。でも実際に自分がその歳になってみるとそんなこと全くないから驚きよね。結婚できないのはしょうがないとしても」
僕は肯いた。
「もしかしたら自分が特別子供っぽいんじゃないのかって思うことがあるんです」
会社の先輩や同期はあらかた結婚をしてしまった。今日だって、先輩のひとりが子供の運動会だというので、仕事を代わったのだ。おかげで誕生日に休日出勤になってしまったが、お父さんをしている先輩には土曜も日曜もないのだろう。
「ノンケの三十歳って言ったら、結婚してる人もいっぱいいるじゃない? まあ昔に比べたら少ないかもしれないけど。家族がいて守るものがあって。守るものがないぶん、もしかしたら子供なのかもしれないわよね、あたしたち」
「ゲイだからって、守るものがないわけじゃないだろ?」
タカさんの言葉にまたケンカが再発するかもしれないと少しヒヤリとした。だけど、リリコさんは静かにかぶりを振った。
「そりゃそうよ。あたしが言ってるのは一般的な話。だって、素敵な旦那様がいて、カワイイわが子がいて……そういう家族を持つのはあたし達には難しいじゃない。あたしだって素敵な旦那がいたら朝まで酒に飲まれないわ。まったくこの歳になって山ほどヒトリHするなんて思ってなかった。大人ってセックスしかしないんだと思ってたから」
リリコさんが僕の顔を見て眉を寄せる。
「何よ、急にニコニコして。気持ち悪い」
「あ……嬉しいんです。こういうことを僕は今までずっと一人で考えてきたから」
自分の茶碗に目を落とした。
大学は千葉、今働いている文房具メーカーへの就職に合わせて東京に移り住んだ。友達も少なく、こっち(ゲイ)の世界に足を踏み入れる勇気も持てないまま二十代を過ごしてしまった。男を好きだと気付いたあの頃から、ふとしたキッカケでデビューをするまで、ずっと。
「そういうことを共有できる人がいると思うだけで、ずいぶん気持ちが楽になったんです」
「ばっかじゃないの。そんなのでクヨクヨしてたなんて、人生ずいぶんムダにしてるわね」
「どんな生き方が良かったのかなんて、そんなの一生わからないさ」
タカさんが、ごちそうさまと手を合わせた。
「二十代を楽しく過ごせたからといって、三十代がどうなるかはわからない。今感じている後悔も、もしかしたらこの先良かったと思えるときも来るかもしれない」
「あー、やだやだ。これ以上、タカの説教なんて聞きたくないわ」
「ボクも嫌いだな、説教は」
黙っていたチャビも、夕飯を食べ終わりゲーム機に手を伸ばしていた。
やれやれ、とタカさんはため息をついた。チラッと時計を気にする。
「それにしてもユウキ……遅いな」
「ユウキがどうかしたんですか?」
「ん、まあちょっとな」
「ほんと、早くしてくれないと出かけられないじゃない」
ハテナマークがポンポン、ポンッと二、三個僕の周囲に浮かび上がった。
確かにタカさんもこのあとお店へ出勤だし、時間がないのはわかるけど、なんで今日に限ってみんなユウキに会いたがるのだろう。ひと目会ってから仕事や遊びに行きたいなんてこともないだろう。かまってちゃんのユウキは喜ぶかもしれないが。それに遊びたい盛りのユウキが土曜のこんな早い時間に帰って来るとは思えない。
「た、ただいま……」
亡霊のような声にビックリして振り返った。
リビングの入口に、沈んだ表情のユウキが立っていた。僕より四歳年下の二十六歳。理想のタイプは三十代前半の包容力のある人だなんて言っているが、要はただの甘えたがりだ。ユウキとはどうでもいいことで、しょっちゅうケンカをしてしまう。タカさんに言わせると『ケンカをするほど仲がいい』ということらしい。そのユウキが肩を落としてリビングの入口でうつむいたまま、なかなかみんなと目を合わせようとしない。
「なんでそっと帰って来るんだよ。びっくりするじゃんか」
と僕の文句などおかまいなしに、リリコさんがまくし立てた。
「ちょっと、何してたっていうの? あと十分て言ってから一時間はたったわ」
「え? 何が一時間なんですか?」
会話が噛み合わないままチンプンカンプンな僕の前に、スッとひしゃげた白い箱が差し出された。
「ごめん。こんなことになっちゃったけど、ワザとじゃないんだ」
「まさか、あんた!」
リリコさんが奪い取って、その箱を開けた。
『まあ、なんということでしょう!』とテレビからリフォーム番組のナレーションが聞こえた。
白い箱の中身はぐちゃぐちゃに潰れてしまった苺のホールケーキだった。
「だって、ホラ……急に取って来いなんて言うからさ」
白い板チョコに『HAPPY BIRTHDAY いっぺい』と書かれていた。
「ユウキはホント子供の使いねえ。あんたに頼んだ私たちがバカだったわ」
「まあ、ユウキだって悪気があってこうなったワケじゃないんだろ?」
タカさんがリリコさんを宥めるように言う。
「悪気なんてないない、まったくのゼロだよ。駅でオジサンが急にぶつかって来たんだ。不可抗力だったんだ……」
「どうせボーッとよそ見でもしてたんでしょ。イケメンに見惚れてたんじゃないの?」
「そ、そんなことないって。急にヌッとオジサンが現れたもんだからさ、あやうくチュウしそうになったの。知らないオジサンとチュウだよ? とっさに口をかばったら、手に持ってたケーキの箱を落としちゃって。そしたらオジサンが踏んづけちゃって」
「あきれた。ユウキのやっすい貞操を守るために、高いケーキを犠牲にしたんだ。せっかく予約までしてたのに。あーあ」
「どうする、ねえ、いちおクラッカー鳴らす?」
とチャビがいつのまにかパーティークラッカーを持って身構えていた。
「あの、なんでみんな僕の誕生日を知ってるんですか? だって誰にも言ってなかったのに」
誕生日は祝われるものなんだって感覚を僕はすっかり忘れていた。最後に祝ってもらったのは、小学生の頃の記憶だ。
「SNSのプロフィールに自分でバッチリ載せてるじゃん」
ユウキが言う。
「あ……」
そう言えば登録するときに入力した覚えがある。タカさんが肯いた。
「一平、今日は帰りが遅くなると言っていただろう? ほんとは明日ゆっくりお祝いするつもりだったんだよ。でも急に帰って来たから、どうせなら誕生日当日に祝った方がいいかと思ってね。ちょっと早めに取りに行けないかユウキに連絡したんだ」
そんな連絡いつしたのだろう? 思い当たるのは、トイレに入っているときと、部屋でスウェットに着替えている時間くらいだ。みんなが裏でドタバタとしている様子が思い浮かんだ。
「そうだよ、急に予約したケーキ取って来いなんて言うからさ。一平くんのためにデートを切り上げて来たんだよ?」
「ドタキャンされたんじゃなかったの、デート。マジサイアクってメールして来たじゃない。どうせヒマしてたのに、おしつけがましいこと言わないでちょーだい」
「うるさいな。ぼくクラスになると替りのデート相手なんていくらでもいるんだからね」
「何がぼくクラスよ。クラスってよりヒヨコ組とかお星さま組でじゅうぶんよね。どうせ幼稚園児みたいなセックスしてるんでしょ」
「み、見たこともないクセに!」
そのときパーン! とクラッカーが盛大な音を鳴らした。
「いっぺいくん、お誕生日おめでとう!」
しびれを切らしたチャビがクラッカーを打ち鳴らしていた。
「うん、三十歳おめでとう」
タカさんも笑顔で言ってくれる。
「あたしのジャケット、欲しいなら特別にあげるわよ。ニトリのカゴと交換じゃ割り合わないけど」
リリコさんは仕方がないわね、といった感じで言った。
「見た目は悪いけど、味は変わらないからね」
ユウキが潰れてしまったケーキを差し出した。
僕はみんなに気付かれないよう、目の端が痒いふりをして涙をこすった。誕生日を祝われたのなんて、本当に何十年振りだろう。僕は潰れてしまったケーキの生クリームをすくい上げると、ぺろっと舐めてみた。
「うん、美味しい!」
僕の言葉にホッとした表情になるユウキ。
「どれどれ……」と五人で輪になって生クリームをすくい上げた。
その誕生日ケーキは甘さ控え目のうえにリキュールの味がして、三十歳になったばかりの僕には、ずいぶんと大人の味に思えた。
第1話 完
第2話へ続く
虹を見にいこう 第1話『3LDK 駅徒歩5分』 なか @nakaba995
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