Chap.1-2

 部屋でスウェット、Tシャツに着替えてリビングに戻って来ると、タカさんが夕飯の皿をテーブルに並べていた。今日の晩御飯はホイコーローだ。中華の素を使っていない本格的なヤツ。タカさんの作る料理はいつだって抜群に美味しい。彩りに溢れていて食欲をそそる。テーブルに置かれたほかほかの白いご飯と、ホイコーローから立ち上るウスターソースの良い香りに、また僕の腹がぐうぅと鳴った。

 さっきまで、ひたすらゲームに没頭していたはずのチャビが、姿勢をぴんと正してテーブルに着席をしていた。大皿に盛られたホイコーローを前に、目をキラキラさせている。トイレに行くときでさえゲーム機を手放さないチャビだが、ご飯のときだけは絶対にゲームをしない。

 一方、リリコさんはズボラだ。タカさんが次々と運んで来る料理の皿に少しずつ押されるようにして、いつまでも化粧を続けていた。

「ちょっと、タカ。マニキュアの瓶倒さないでよ?」

「ここはみんなのテーブルで、これから夕飯。いいかげん片付けなさい」

「ハイハイ、わかったわよ」

 タカさんに叱られて、リリコさんが渋々と化粧道具を片付け始めた。

「口紅はあとでもいっか。どうせ食べたら塗り直しだし」

 とひとりごとを言いながら、口紅の瓶をつまみ上げている。

 テーブルに並べられたご飯とみそ汁、そして大皿のホイコーローへ前のめりになって「いただきます!」とチャビと声を揃えた。

「うまい!」

 厚切りの豚肉は柔らかくて、絡みついたウスターソースがシャキシャキに炒められたキャベツの上を滑り落ちていく。ピリっとした辛みが白いご飯によく合う。僕の腹ペコの胃に旨みがしみわたっていくのを感じた。

 ハァ、生きててよかった。

 チャビも口いっぱいに頬張って幸せいっぱいの顔をした。

「チャビは本当にウマそうに食べるなあ。作ったかいがあるよ。食べてるだけでこっちまで幸せにさせるなんて凄い才能だ」

 タカさんが笑う。さっきリリコさんに言われた、意味のわからないコトナカレ主義の才能より、そっちの才能の方が断然いい。僕も負けじと美味そうな顔をして見せたが、リリコさんに「一平がやると、なんかあざといのよね」と言われてしまった。

 ムッとして、

「リリコさん。言っておきますけどそのカゴ、僕のですからね」

 と化粧の入ったカゴを指差した。その籐で編まれたカゴは、僕がニトリで買って来たものだった。

「別にいいじゃない。どうせ使わないで放ってあったんだから。有効活用してあげてるのよ」

 リリコさんはすまして、豆腐と油揚げの味噌汁をすすった。

 確かに目的もなく買って来て放置していたのは事実だった。こうしてリリコさんが使っているのを目にするまで、その存在すら忘れていた。そういうことって結構ないだろうか。雑貨や服、コンビニで見かけた冷凍食品に至るまで。店先で見た「イイね!」というキラキラが、家に帰って来ると途端に消えてしまう。プシュウと風船の空気が抜けるようにわくわくが萎んでしまう。意気消沈もいいところ。お店の照明にはこちらの購買意欲を刺激するような何か不思議な力がプラスされているのではないか。

 ホイコーローを頬張りながら、ふとそんな思いを口にすると、

「されてるわよ」

 とリリコさんは当たり前のように言った。長いつけ睫毛でまばたきをする。

「この間買って来たジャケット、いい感じのベージュだと思ったのよ。これぞ捜し求めていた色だわ……てね。でも家に帰ってきて袋開けたらモスグリーンなの。ベージュがモスグリーンよ? どんだけ詐欺なのよ。店先の照明ってホント信用できないわ。特に薄暗く感じる照明は要注意よね」

 リリコさんは化粧を崩さないように、器用にもりもり肉を食っている。僕が言いたいことと微妙にズレてて「や、そういうことじゃなくて」と言いかけたけど、上手く言葉にできない。もどかしさがいっぱいだ。

「リリコと一緒じゃないか? 詐欺なのは」

 タカさんが言う。

「は? あたしの何が詐欺だって言いたいのよ」

「生き方」

 バッサリ、容赦のない言い方。タカさんはリリコさんに対して遠慮がない。というか僕らには見せない子供っぽい屁理屈をリリコさんには言ったりする。二人はこのマンションで暮らし始めるよりずっと前からの友達らしいが、聞いてる方はハラハラしてしまう。

「なにそれ、説教のつもり? イイ歳して、化粧して浮かれるなとでも言いたいワケ?」

「そうじゃない」

 タカさんがため息をついた。

「化粧や女装のことを言ってるんじゃないよ。週末になるたびに記憶をなくすまで酒を飲んで……リリコのことが心配なんだ」

「やっぱり説教じゃない。タカったら、あたしのカレシにでもなったつもり?」

「友達として心配してんだ」

 リリコさんがプンとする。週末になると女装をして二丁目に繰り出すリリコさん。今日だってご飯を食べ終わったらバッチリ化粧をして出かけるつもりなのだろう。このマンションの目と鼻の先に広がるちょっと特徴的な繁華街とは、世界一のゲイタウン新宿二丁目なのだから。終電の心配もいらない。リリコさんに限って言えば、このマンションに住んでる理由の何割かは二丁目が近いからなのだと思う。

「ゴハン中にケンカはやめなよ」

 今まで黙ってホイコーローを頬張っていたチャビがションボリとした声を漏らした。

「せっかくの美味しいゴハンが美味しくなくなっちゃうよ?」

「別にケンカしてるわけじゃないさ」

「そうよ」

 チャビに指摘されて、リリコさんもタカさんもヤケクソ気味にホイコーローを口に放りこみ始めた。二人ともプンプンオーラ全開だ。

「そうだ、さっき言ってたモスグリーンのジャケット、リリコさん着ないなら僕に譲ってくれません? ちょうどそんなジャケットが欲しかったていうか、ニトリのカゴと交換っこてどうです。モスグリーンて……なんていうか、疲れ目に優しそうですよね」

 シーンとするのが嫌でせえいっぱい話題を変えてみた。話の発端は、僕の「お店の照明バナシ」だったわけで、いちお責任を感じた。リリコさんは「カゴとジャケットじゃ全然値段違うわよ」と肩をすくめ、タカさんはただガツガツとご飯と味噌汁をぶっこんでいる。

「あ、それに……今日、僕の誕生日なんです」

「だから?」

「ジャケット、プレゼントしてくれないかなあ……なんて……ね……」

 次第に声も小さくなっていく。誕生日なのは本当だった。が、案の定誰も何も言ってくれない。むしろ余計に沈黙が重くなった気がする。黙々と続いていく夕飯。チャビはペンギンのマグカップで顔を隠して、こちらと目を合わせてくれないし。ちぇ、ちぇ、何だよ。気をつかった僕がバカみたいじゃないか。


chap.1-3へ続く

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