消しゴムと卵焼き

青瓢箪

消しゴムと卵焼き

「あ、おじいちゃん、消しごむ取って」


 台所のテーブルで漢字ドリルをしていた孫が横を通りかかった私に言った。

 孫の言葉が終わるより先にテーブルを転げ落ちた小さな白い破片は私の足の甲に落ち、跳ねて床に落ちた。

 上半身を折り、手を伸ばしてそれを拾った私に突然、ありし日の思い出が蘇ってきた。


 *  *  *


 小学三年生だった。

 日米相互協力および安全保障条約(新安保条約)・協定がワシントンで調印され、チリで起こった地震が日本の太平洋沿岸部に被害をもたらしたあの時である。

 グアム島から日本兵二人が帰還するなど、騒々しい世の中であったのだが、小学生である私の世界は専ら白黒テレビのハリマオで占められていた。

 村に住んでいた私は徒歩三十分の水田に囲まれた木造校舎に通っていた。

 当時、学校給食は忌まわしい脱脂粉乳とともに存在していた。

 しかし、稀に弁当を持ってこねばならない日もあった。

 その時私は母が作ってくれた弁当を開けて教室で食べていたのだ。

 座って食べている私の机の横を、一人の女子が通りかかった。彼女は不意に机の上に置きっぱなしにしていた小刀で削った鉛筆と、消しゴムに手を伸ばした。そして、消しゴムをつかんで落とした。


 何をするのか。


 一体何故彼女がそんな事をするのか分からず、私は素朴な疑問だけを抱きながら、ただ床に落ちた消しゴムを机の下に頭を突っ込んで拾った。

 私が再び席に着いた時、彼女は既に居なかった。

 引き続き弁当に取り掛かろうとした私は気づいて、あ、と声を上げた。


 卵焼きが無かった。


 つい今しがた、卵焼きを頬張る予定だったのである。だから気がついたのであるが。

 卵焼きが消失したアルミの弁当箱から、彼女へと私は視線を移動した。おかっぱ頭の後ろ姿の彼女は振り返らずに、教室から廊下へと出て行った。


 彼女の家では弁当に卵焼きを入れることは困難である、ということは9歳の私にも想像に難くなかった。そして私の家では雌鶏をいく匹か飼っており、卵は容易に入手出来るものであった。


 私は彼女を責めずに、それからも彼女の行為を容認した。

 弁当時、消しゴムは机の端っこにあらかじめ出しておく。そして弁当に二切れ入っているうちの卵焼きの一切れは、私が先に食べておく。彼女が通りかかり、消しゴムを落とし、私が拾っているあいだに彼女が卵焼きを盗み食いする。


 弁当の日に繰り返される一連の行為に私は一種の快楽のようなものを感じていた。驚いたことに、この行為の継続には誰も気がつかなかった。

 何年かして成長した折、私は仏教の喜捨という概念を知った。またその後、あの時の快楽が何であったのか自問してみたことがある。

 言うなれば、彼女は色が白く目のくりっとした顔立ちの整った美少女であり、学級内で一番可愛い女子であった。私といえば、坊主頭の平均的な少年であった。

 つまりそういうことだろう。

 彼女とは親しくもなく、おはようの挨拶もろくに交わさない仲だったのだが、私たちの間には目に見えない絆のようなものが存在していると私は思っていた。弁当日は、男女の秘密の逢瀬を控えているかのように子供心にもドキドキしていた。


 その関係があっけなく終わりを迎えたのは、私の弟の死を機にしてだった。

 三歳下の私の弟が近所の池で溺れたのである。父が弟の帽子が水面に浮かんでいるのを発見し、すぐさま池に飛び込んだが間に合わなかった。父母は悲しみにくれ、私は弟の葬儀を終えるまで学校を休んだ。

 登校して迎えた弁当日に、彼女は私のもとへ来なかった。

 ああ、彼女はもう来ないだろう。

 弟の喪失と共にもうひとつの喪失感を抱きながら、私は教室で卵焼きを噛みしめた。


 彼女は中学を出ると就職し、私は進学したので彼女のその後は分からなかった。

 同窓会の知らせが来た時に私は彼女との再会を想像したことがある。

 私は大人になった彼女が、あの時のことを謝罪してくるのではないかと予想していた。その時のやり取りをシミュレーションし、台詞まで考えていた。


『〇〇君、あの時はほんまにごめんねえ』

『ええねんええねん、昔のこっちゃ。美味しかったやろ、俺の。烏骨鶏の卵やったし』


 しかし、同窓会を彼女は欠席した。

 彼女は警察官の男と結婚し、夫の実家である九州に住んでいるとのことだった。(あのころ、九州の人間が関西に働き口を求めて大量に上京したため、警官、看護婦といえば九州の人間ばかりだった)

 何度か同窓会は行われたが、一度も彼女の姿を見ることはなかった。


 *  *  *


「今日の夕ご飯、何にする?」


 娘が冷蔵庫を開け、誰とはなしに聞いた。


「卵焼きが食べたいなあ」


 拾った消しゴムを孫の前に置き、私は答えた。


「ありがとう」


 孫は鉛筆削りで削られた円錐形の鉛筆で、雑な漢字をなぞっている。


「卵焼きか、ええなあ。卵いっぱいあるし」


 先日、いつもの仲間とゴルフに行った際、私はブランド有精卵を賞品として山程持って帰って来たのだ。


「ママ、こまったさんの卵がいい」


 一番末の孫が娘の脚にまとわりつき、甘えてねだった。


「わかった、わかった。あのふわふわのやつやな」

「わかったさん、ちゃう。こまったさんのやで」


 こまったさんとは、真ん中の孫娘が最近読んでいる児童書の料理本のことだろうか。




 果たして、夕飯のテーブルに出てきたのは、丸く膨らんだ卵焼きだった。


「これはオムレツと違うんか」

「チビさんたちがそれを食べたい、言うから。卵焼きはこれからまた作る」


 娘の答えに私は物珍しく皿の上のオムレツに箸を伸ばしてみた。


 卵白をケーキのように泡だてたものをフライパンで焼いたらしい。口に含んでみると、以前娘が作ったスフレという洋菓子に似た舌触りだった。ただし、味は甘くはなくほんのりとした塩味である。

 なかなかいける、と二口目に手を出した途端、オムレツの横に従来の卵焼きがのった皿が置かれた。


「俺が焼いた」


 一番上の孫が得意そうに言った。

 卵液をかき混ぜ過ぎて、真っ黄色の出し巻き卵である。白身が少し残っていた方が視覚的に美味しそうなので、少し残念であった。

 味見をすると美味しかった。


「うん、美味い」

「白だしを入れたら何でも美味いねん」


 私が小学生だったあの時、卵焼きは塩か醤油で味付けをしてあった。


「甘い卵焼きがいい」


 卵のお寿司が好きな真ん中の孫娘が文句を言った。


「いらんわ。お寿司の上だけで甘いのはええねん」


 上の孫がぴしゃりと言い放つ。

 私たち関西人は甘い卵焼きに抵抗を感じる。


「あとひとつ、つまみ系の卵焼き出来たで。博多の卵焼き」


 娘が最後にもう一皿、カット済みのほかほか出し巻き卵を出した。

 卵の層の真ん中にピンク色の円が見える。


「明太子入り卵焼き。あとは、かわやの焼鳥があればええねんけど」


 昨年夏に九州に旅行に行って以来、明太子を取り寄せている娘は、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、私の前に置いた。


「美味いな」


 出汁をたっぷり含んだ王道の出し巻き卵と、辛いプチプチとした桃色の卵の合わせ技を私は味わう。

 九州へと嫁いだあの彼女も、私のように家族に囲まれ、今、かの地でご当地の卵焼きを食べているのだろうか。


 テーブルに置きっぱなしにしてあった先程の消しゴムが私の肘にぶつかり、下へと転げ落ちた。

 椅子の下に転がったそれを私は上半身を折り、拾い上げる。再び姿勢を正し、食事を再開しようとした私は、あ、と声をあげた。


 私の皿の上には、卵から取り外された明太子の塊だけが残されていた。


 隣に座る坊主頭の末っ子を見やると、孫はにいやあ、と悪戯めいた笑を浮かべる。


「ええねん、ええねん、美味しいもんなあ」


 その言葉を言った瞬間、私の中で長い年月のあいだ、宙ぶらりんだったものがストンと落ちて、パズルのピースのように上手くはまった。































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