第一節(後)
―――探していたもの、は、何だったんだろう。
最近、そのことをよく考える。
「前に出すぎだ!」
深く踏み込んだ足下を蹴りで払われて、アーシェはずざっ、と土煙を上げながら崩れ落ちた。スカートがまくれ上がって皮膚が削れる。すりむいた左足にじわりと血が滲んだ。
「お前は踏み込みが深すぎる。その手にあるのは短剣じゃない、長剣だ。剣身の長さをいかしなさい。手足の長さで劣る分を、踏み込みで補おうとするな。それでは、返された時にはもう死んでいる」
「はい!」
かまっていられない。答えながら、アーシェは素早く立ち上がった。構え直す余裕も与えられないまま、次の一合が振り下ろされる。
「ぐっ、……!」
足下が滑る。ガキッ、と鈍い衝撃音と共に降ってきた圧力を、下から打ち返そうとして失敗した。そのまま押し切られるか、と思ったところで兄の剣はアーシェの剣を巻き取り、そのまま宙高くへ弾き飛ばしてしまった。
「受けようとするな! 流すか躱すか瞬時に決めろ、迷っている間に真っ二つだぞ」
「はい!」
「早く拾いなさい。稽古はこれで終わりじゃない」
「はい。ありがとうございます!」
息を整える間もなく、アーシェは駆け出した。弾かれて土に転がった剣を拾い上げて、ふー、とひとつだけ、息を吐く。柄を握る手が微かに痺れた。兄の一撃は、剛剣だと思ったエルゥのものよりずっと重かった。
―――これが次代のカータレットを名乗る者の、剣。
その重みを実感する。そこに込められたものを、背負わなければいけないものを。
「お願いします……!」
すりむいた足が痛い。だけどそれがどうした。怪我をした、といって振り下ろす剣を止めてくれるような敵はいない。これは訓練だけれど、その延長線上に戦場がある。戦わなければならない、敵がいる。
そうだ、あの時だって。と、アーシェは剣を構えながら思い出していた。
あの時。幼い自分がエルゥの前に飛び出した、あの時だって。どんなに泣いても、嫌だと言っても、剣は容赦なく振り下ろされた。あの痛みを知っている。だから二度と負けないように、こうして、剣を握るのだ。
「ためらうな! 浅い!」
「はいっ!」
正眼から打ち込んでいった一撃も、あっさりといなされる。悔しい。だけど次はどうだ、この切り込みならどうだ。一手一手、より研ぎ澄まされていくようにと考えながら剣を振るった。いつの間にか静まり返った練兵場に、剣を打ち合う金属の、高い音だけがこだましていた。段々と頭が空っぽになっていく。考える余裕すらなくなって、身体がただ、反応する。
―――探していたものは、いったい何だったんだろう。
「よし、今のはいい。そのまま突け!」
「はいっ!」
「だめだ浅い!」
銀色の子供。強くなりたい。そう思いながら、あの小さな村にいた。
それは多分、口だけでそう言っているのと同じで―――自分から探しに行くこともせず、思うだけで。もしエルゥが来なければ、自分はずっと「いつか」と思い続けたまま、あの村にいたのだろうと想像がつく。
甘えていた。たった一人でも自分を探し続けてくれた、諦めなかったエルゥほどの覚悟を、自分は少しも持てなかった。
それなのに、自分は自分で生きていく、などとどこかで自負も持っていた。今となれば恥ずかしい限りだ。誰もが夢見るおとぎ話、灰被りの少女に憧れる少女たちと自分は違う。そんなふうに思い上がっていたけれど、結局は同じだったのだ。
自分から動き出そうとせず、そこに留まって待っていた。……ほら、何の変わりもない。
「まだ深いぞ! 飛び込む癖を直せ!!」
「はい!」
―――それでも、欲しかったのは「強さ」だ。
それは多分、剣の技や力の強さということではない。守りたい人を、守れるだけの強さ。
身体や命だけじゃない。もう二度と、あんなふうに泣かせないように―――その心までを含めて、守りきるだけの強さが欲しかった。
まるでおとぎ話そのままに、綺麗なドレスや贅沢な食事を今、自分は、何の苦労もなく与えられている。だから余計に、改めて、自分は何が欲しかったのか、何を探していたのか、をよく考える。
今、自分が望めば、どんな豪華な宝石もドレスも、食べきれないほどのご馳走だって、きっとあっさり目の前に並べて貰えるだろう。おとぎ話のように。そう、或いはあの灰被りの少女よりも、ずっと簡単に。
だけど何度考えても、やっぱり、自分が欲しいものはそれじゃなかった。
解っている。父も母も兄も、それどころか恋人さえ、本当はそちらを選んで欲しい、と思っている事を。自分が今、こうしているのは我が儘なのかも知れない。
それでも、やっぱりアーシェはこう言いたかった。
―――そんなものは知らない。
いらない。
わたしは、わたしで生きていく。
欲しいものは、あなたと肩を並べて戦えるだけの強さだ、と。
「がら空きだ!」
「うぐっ……!」
剣を振りかぶったその時に、鋭く腹を蹴り払われて、アーシェはそのまま横っ飛びに吹っ飛んだ。
「疲れているからといって型を崩すな! これが剣だったら死んでいたぞ!」
「は、……い……!」
静まり返った練兵場に、兄の鋭い叱咤が響いていた。ああ、身体が重い。ずる、と足を引きずるようにしながら立ち上がる。
それでも力加減には気を付けてくれたのだろう、蹴られた腹はさほど痛まなかった。自分の課題はこれだ。持久力。疲れてくると、どうしたって型が崩れる。そこが隙になる。待ってくれる敵はいない。
「……おい、団長、あれ……女相手に……」
「酷え、俺たち相手より厳しいんじゃねえか……」
いつしか、野次はひそめられた声でのざわめきに変わっていた。
「諦めるか」
まともにかまえを取れないアーシェに向かって、ユージィンは冷たく言い放つ。だけど、アーシェはそれこそが兄の優しさなのだと知っていた。
「いえ、……まだです。まだ、もっと……! 足りない!」
「ならば、かまえなさい」
「はい!」
それから、いったい何合ほど打ち合っただろうか。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
腕が痺れ、息が継げず、まっすぐに立っているのも出来なくなったアーシェを前に、呼吸ひとつ乱していないユージィンが端然と佇んでいた。。
「はぁっ、はぁっ、……」
―――悔しい。
「ハァっ……!」
悔しい。悔しい。悔しい!!
目の前がぐらつく。腕がまっすぐに上がらない。それでも、アーシェは剣を構えようとした。
自分はこれほど消耗しているというのに、まだ一度も、兄とはまともに打ち合えていない。
……少しは自信があった。手応えもあった。自警団では負けなしだったし、兄が自分の次くらいには、と言ったエルゥとだって打ち合えた。月瑛宮での事件では、襲撃者たちを相手に引かなかった。
だから少なくとも一度か二度は、兄から勝ちを取れると思っていたのだ。
完全に思い上がりだった。エルゥもきっと、あの手合わせの時には手加減をしていたに違いない。それがはっきりと解った。
(悔しい……!)
ぎり、と歯を食いしばり、それでも立ち上がるアーシェの姿に、練兵場の兵士たちは完全に声を失っていた。
「……今日はここまでにしておこう。水を取って、少し休みなさい」
「いえ……! まだ……!!」
まだ、もう少し。このままじゃ終われない。首を振ってお願いします、と続けようとしたアーシェだったが、その瞬間にぐわりと迫り上がって来るものがあった。
「っ……!」
咄嗟に口を押さえる。だめだ、ここは練兵場だから。ここで吐くわけにはいかない。
「サディアス!―――サディ、こっちに来い」
「はっ」
「吐ける場所まで運んでやれ。―――今日はここまでだ」
口を覆って膝を突くしかないアーシェを一瞥した兄は、冷ややかにそれだけを告げた。
兵士たちは師団長の容赦のなさにざわついている。だが、古参の兵士たちが二人を見る目は少し違っていた。
練兵場から立ち去ろうとするユージィンの背に、ニヤニヤとした年かさの男たちが声を掛ける。
「随分見所のある嬢ちゃんじゃねえか、団長」
「あんまり可愛がって潰さんでくださいよ。ありゃあ長く働いてくれる顔だ。うちに是非とも欲しいねえ」
「……貴公ら、暇ならついでにお相手するが? 今日は俺も手が空いているぞ。久々にどうだ」
「うわぁおっかねえ」
げらげらと笑い出す男たちこそ、ユージィンの束ねる大隊、中隊の隊長たちだ。その全員が爵位さえあるかなしかの下級の出だが、先王の時からを生き抜いた歴戦の勇士でもある。
「年寄りをいじめるもんじゃねえよ、若造」
「どちらかというと、苛められているのは俺のほうだと思うがな。……あれは、貴公らのお眼鏡にかなったか……」
ふ、と嘆息する。自分のような若輩の幹部よりも、実戦で頼りとなるのは彼ら古参の兵士たちだ。彼らから見て及第、ということは、妹も捨てたものではない。
「かなうも何も、ありゃあお前さん以来の大当たりだな」
「あのおひいさん、もう実戦経験あるだろ。なきゃあんな目はしねえやな。……あの目はいい。団長の向こうに敵を見てる。ここがな、」
と言って、男はトン、とシャツ一枚の自分の胸元を叩いた。
「常に戦場にある人間の目だ。訓練だなんだと、甘っちょろい考えをしてねえ。団長相手に、本気で悔しがってるとこもいい。まさに常在戦場だ。―――いいねえ」
なあ、あれ、本気でうちにくれねえかな。そう言ってニヤリ、と笑った古狸に、ユージィンは嘆息しつつガリガリと後頭部を掻いた。
「俺に言わんでください。決定権は、俺にはない。今稽古を付けてるのだって、一時預かりだ。正式にはまた改めて、」
「―――総帥から、ってか? だろうなあ。ありゃあどう見てもカータレットの剣だよ」
「……………」
それ、については、はいともいいえとも答えるわけにはいかない。押し黙ったユージィンに、男たちはまたケラケラと笑った。
「言いふらす気はねえよ。だいたい、あの嬢ちゃん小さい頃に死んだんじゃなかったのか?ああおっかねえ。そういうのには、関わんねえのが長生きするコツだよ」
「よくお言いだ。殺しても死なないくせに」
「そりゃあ、死ぬ気がねえからなあ」
ああまったく、この狸どもめ。ユージィンは隠しもせずに舌打ちした。立場だけ、肩書きだけは自分が上だが、まったく敵う気がしない。
「まあでも、親父さんに言っといてくれや。本気で抱え込む気なら、うちの隊で預かるってよ」
「うちでもいいぜ。いや、うちで貰いてえな。今ちっと骨のあるのがいねえんだ」
「……残念ながら」
ふ、と苦笑しつつユージィンは男たちの脇を通り抜けた。マントの裾がばさり、とひるがえる。
「あれの行く先は決まっていますよ、先輩がた。その時はどうぞ、あれの剣となって存分にお働きを」
そのまま、カツカツと軍靴の踵を鳴らしながら立ち去る。そのうしろで、どっ、と大きな笑い声が上がった。ああおっかねえな。おっかねえ。口々にそう言うのが聞こえて来るが、まったくどちらが恐ろしいやら。
そのまま歩み去った若き師団長の毅然とした背を見送り、男たちは笑っていた口元を引き締めた。
「……まったくおっかねえや。あの一族は」
「まったくだ。あんなおひいさんまで生粋の戦士とは」
「まあ、だから俺たちは安心して付いていけるってもんだ。あの一族は裏切らねえ。裏切れねえからな」
「そういうのがいいんだ。矜恃を裏切れねえやつは死んでもあのまんまだからな。……さあて、」
根性なしどもの面倒は、せめてこっちで見てやるかね。そのくらいはしてやろう。口々に呟いて傍らに立てかけておいた剣を取り上げると、まだ兵士たちの残る練兵場へと歩いて行った。
バトルシンデレラ 日生佳 @nakir
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