第5話 ひとりだけ眠らなかったお姫様



   私はイバラだ

   愛することも癒すこともできず

   だって誰も告げてくれはしなかった

   私は愚かな子供だと

   まるで眠っていたかのよう

   まるで今目が覚めたかのよう


   ……さあ、私に現実を教えて






 昔話をきいたとき、あなたは思いもしなかった?

 例えば、一目惚れしたお姫様の靴を拾った王子様。

 彼は本当に素敵なひとかしら?

 だって、彼は命じただけだもの。家来に、この靴の持ち主を捜せと。


 他には、例えば、毒林檎を飲んで眠りについたお姫様を目覚めさせた王子様。

 彼は本当に素敵なひとかしら?

 だって、彼は見も知らぬ少女にいきなり口づけたのよ。責任をとったとはいえ。


 特に最悪なのは、海に生きる姫に好かれた王子様。

 彼は本当に素敵なひとかしら?

 だって、彼は気づきもしなかった。娘の恋心知らぬうちに、別の女をめとったの。






 かたんかたんと部屋に響いているのは糸紡ぎの音。

 女たちは軽口を叩きながらいつも通りの仕事に精を出す。うわさ話、軽口、近所の誰それの話、品評。多岐にわたる話はいつも責任がなく楽しくおおらかで、嫉妬も怒りも陰口も飲み込んで、いつもの光景なのだった。


 白い服に身を包んだ少女は椅子をぎしぎし言わせながら足をぶらつかせ、話をきいている。

 楽しげというには乾燥した表情。しかし確かに耳を澄ませている。

 かたん、かたん、かたん、かたん。

 あの男はダメよ、女に目移りしすぎるわ。あそこの旦那、仕事もせずにどこに行ってると思う?

 知ってるかしらこの話。



 国と言うにはあわれな程小さな領土の国だった。山にすがりついて建っているかのごとき城といくつかの村、果樹園、小さな小さな砦。そこに住む者たちとわずかばかりの家畜。それだけが財産の国だった。

 宝と言えば、金色の姫君。

 かたんかたんと音を立てる糸紡ぎを興味深げに見つめている少女こそが、間違いなく国の宝だった。飾り気のない衣服は、しかし確かに最高級の光沢を放つ絹でできた一級品で、この国唯一の跡継ぎに相応しいものである。そして飾り気のない、とはいえその金髪は自ら光を放つような鮮やかさで、妖精のように細い身体と、青空を吸い込んだような青い目と、林檎のように赤い頬と、全てが飾りなど不必要にしてしまう。

 この世ならぬものをうつしているかのごとき青い目が部屋の光景をじっと見つめている。少女に話しかけるのは、すぐそばの椅子に腰掛ける老婆だった。

「姫ごは、何が面白うてここにおわす?」

「話を、きいているのが面白いの」

 姫の声は妖精のような容貌には少しばかり似つかわしくなかった。もっといきいきと夢見るような口調であればさぞかし人の気を引くだろうに、感情を伺わせない暗い声をしていた。

 面白いと言っていても、面白がっているようには見えない。その顔は、笑いなどちらとも浮かべてはいない。

 老婆は、ほほほと喉を震わせた。

「どの話が面白いと申される?」

「女たちの面白がる話というのはこんなものなのだな、って。勉強しているの」

「ほほほ。それはもう、男が面白がるような話はいたしませぬな。特にこのような人の耳があるところでは」

「私はしたいのは政治の話に、戦争の話よ。しかし母上に叱られてしまったの。女はそんな話をしてはならぬのだと……、もっと刺繍に精を出しなさいと」

「姫君が編んだ林檎の刺繍は、バケツにしか見えませなんだでなぁ」

 老婆の苦笑に少女もわずかに眉を動かした。

「別に林檎がバケツだろうと、花がカマキリに見えようと、ハンカチはハンカチ。手が拭ければ良いのよ。むしろあんな糸くずがくっついている方が、邪魔だわ」

「姫ごはそうおっしゃいますが、はて」

 少女は眉を寄せたまま、そっぽを向いた。しかし老婆は気にする様子もない。

「十五の誕生日を迎えなされば、そんなことは言われますまいよ」

「そうね、私の人生は十五で終わるの」

「おお、まさか。姫ごは幸せな嫁入りをなさるのですよ。隣国の王子がわざわざ迎えに来なさるのですから……最後と申されるなら、それはこの婆のことでございますよ。姫がこのお城からいなくなってしまわれたらきっと、長くはもちますまい」

 かたんかたんかたん、かたんかたんかたん。

 少女は老婆の手の上に自らの手をそっと重ねた。そして皺だらけのほほにそっと口づけた。


 十五の誕生日が来れば、お迎えにあがろう。


 それが彼女が生まれたときに隣国と結ばれた約束だった。少女は、自分がその為に育てられた鵞鳥のような気がしていた。国中に愛されて育ったことは間違いがないのだが、そして自分もこの国を愛しているのだが。

 太れ、鵞鳥。そして主人を喜ばせろと。

 この国の平和を思う。静かに流れている時間。女たちは糸紡ぎに精を出している。例え国の外で激しい戦火がまきおこっていようと、この城の中までは押し寄せない。そして自分の婚礼はその平和を盤石のものとするだろう―――と皆信じている。


 太れ鵞鳥。そして主人を喜ばせろ、と。

 自らの安寧を醒まさぬために、小さな悲鳴に耳を塞ぐ。


 積み上がった宝箱の山に女たちは歓声を上げるだろう。目にも鮮やかなドレス、彼女のためにしつらえられたその絹の山。宝石がきらきらと輝いて、見たことのない形をしたアクセサリーが箱を開けば山積みになっている。

 雨のように降り注ぐ金貨。

 見たこともない異国のお菓子が金食器に積まれ、可愛らしい子供たちがそれを手にして微笑む。

 白い婚礼衣装に身を包んだ姫君にこの上なく相応しい王子様が、白馬に乗り宝の山を携えて、この国の姫を迎えにやってくる。

 十五の誕生日に。





 やって来たのは、背の低い男だった。

 藁草のような色をした髪に、痩せた身体。絹の衣服ではなく、簡易な武装姿だった。おどおどと周囲に目を走らせる神経質な様子に、少女の父親は落胆のため息をつく。

「はじめまして、王子。……さて、この姫君を娶るのはそちらの第一王子という約束であったと思われるのだが、貴方は第三王子だったのではないかね?

 それとも、婚約者どのの馬車は遅れているのかな。そうか、そうに違いない。荷物が少なくておかしいと思ったのだよ」

 王はひとり合点してうなづいている。

 彼の持参した荷物は、国中あげて歓迎するほど大きなものではなかった。値の張る宝石が小さな箱に入っている、というわけでもなさそうだった。

 しかし第三王子は赤面し、首を振った。

「ち、違います。長兄は、先日国境の戦にて……討ち死にを。次兄は病の床にあり、姫君を娶ることができる身体ではありません。で、ですから、私が。参りました」

 どもりがちな口調に、少女の母親は扇を口に当てて不快げな表情を隠した。第三王子の様子はまるでぱっとせず、そこらの下士官のようだった。

「きいていない。そんな話はきいていないぞ。それに、だとしたら君の荷物の少なさはなんなのだね。我が国の姫君を娶るのに、そのくらいの荷で良いと、判断されたというわけかな。それは甚だしい侮辱だ……」


「い、いいいえ、違います。これが今我が国にできる最大限の贈り物なのです。で、できましたら、私もこのまま戦地に戻りたいのです。兵が私を待っておりますゆえ」


「このまま! このままとはどういうことですか」

 母が立ち上がり、扇をへし折りそうな力で握りしめながら声を上げる。


「婚礼の式のことは何と心得ていらっしゃる!?」

「は……ですがその……今は、それどころでは……」


 ざわざわざわ。小さな城の中で騒ぎ声が大きくなる。父と母のそばで立っている少女の視線を受けて、第三王子は恥じ入ったように目をそらす。青い目は幻のようにきれいで、見たことがないほど少女は美しかった。

 小さな山国には似つかわしくない人形だった。

「帰れ」

 怒りに震えながら王は命じる。

「帰るのだ、第三王子よ。我らはこの屈辱を忘れはしない」

 その怒りの声に打たれたように、第三王子はよろめいた。視線は名残惜しく美しい少女をとらえていたが、王の怒り王妃の怒り部下たちの怒りが場を満たしていた。

「帰れ、帰れ」

「帰れ! 帰れ! 帰れ!」

 怒声は石の雨のように第三王子を打ち据える。

「帰るのだ田舎武人め!」

「帰れ! 二度と来るな」


 その怒声の海の中一人関係ないように立っていた少女は、とん、と王座の下に舞い降りた。白い布地を翻らせて、少女は第三王子のそばに歩み寄った。


「例えば靴を忘れた姫君のように、貴方の気を引くことができるなら。例えば毒針にさされた姫君のように、貴方を待つことができるなら。例えば、海に生きる姫君のように、ただ貴方を愛せるなら……私たちは幸せな夫婦となれるのでしょう。

 しかし私は何も持たない。この病んだ国の、愚かしい夫婦を親として持つ女です。

 この人たちはこの国が今どんな状態にあるか知らない。国境で起こっている戦争のことも、知りながら耳を塞ぎ目を閉じて夢の中に生きている。この山国には関係ないのだと。私を貴方の国に差し出せば、恒久の平和が約束されるのだと信じている。まるで百年の眠りについているかのように……!

 ならば目覚めよと、私は命じます。

 私は棘となり、いばらとなり、あなた達を傷つけよう。

 金貨などいらない。ドレスなどいらない。宝石などいらない。夢など、いらない! 私はただ、生きたいのです!」


 第三王子は目を見張ってその言葉を聞いていた。

 風采の上がらない容貌の、やせっぽち。しかしその目には理知がある。どもるのは言葉を選ぶからで、そしてその頭脳は常に現実世界の事柄のために動いている。女を喜ばせることには長けていなさそうだ、しかし。

 少女にとっては世界の外側から来たというだけで、十分だった。



 でていけ、と王は命じた。

 顔も見たくない、とばかりに王妃は顔をそむけた。家来たちはざわめいていたが、少女の言葉を理解できはしなかった。

 第三王子は手を伸ばす。

 そして少女は、それに応えた。



 二人は手に手を取り合い、お城を出ていった。

 それが、少女が十五の話。いばらにして棘のような姫君は馬上の人となり、二度と生まれた場所に戻ることはなかった。その人生はその場所を守るために捧げられたとはいえ。





 昔話をきいたとき思わなかった?

 お姫様は綺麗、お姫様は優しい、お姫様は……選ばれる。

 いつか王子様が迎えに来るのだから、待てばいいのだと。


 私はいばら、私は待たない、私は戦う。

 愛することを始めるために、生きることから逃げないために。



Fin

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美しく、ちょっと変わった姫君たちの話 花房牧生 @makio

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