第4話 金持ちに売られた小さなお姫様
でっぱらなんて 気にしないわ
ちょび髭なん て お 気に入り!
年の差ダサ服だ・い・す・き
姑の監視もドン・とこい
……なんて言うわけないだろうが前に出てこい!
1
心根さえ正しければ、いつかきっと幸せがやって来るというのは、まごうことなき嘘だ。
わたしは自分の人生をふりかえるだけでそう断言することができる。
嘘、といってさしさわりがあるなら……、不幸な人にとっての慰めとか? 確かに、そう考えてないとやってられない。いつまでも奪われて踏みにじられて利用されて捨てられて、では。
せめて心の中くらいは幸せでいたいってものではないかって、ね。
たとえば窓の外にはツバメが飛んでいる。ツバメは自由にどこにだって行ける、私はツバメになったと夢想して、窓を飛び越えてどこにでもいくことを夢見ることができる。
それは悪いこと?
たぶん。暴力よりは、良いこと。
孤児院育ちはダテじゃない。
私は一見小柄で華奢に見えるけど(栄養不良だから)別に腕力もないってわけではない。必殺の右ストレートでチーズを盗んでいこうとする悪ガキをたたきのめしたことが、えーーと……百八回くらい。負けてなるか、奪おうとするなら三倍返しだクソガキども! と仁王立ちして後ろから先生にはり倒されたことも同じ数だけ。
腕っ節に自信がある、通り、私の目の前にはでっぱらちょび髭オヤジがひっくり返っている。テーブルの上にはご馳走のなれの果てが並んでいて、フォークは床に突き刺さってるし純白の布はワインに染まってるし壁の名画(知らないけど豊かな笑みをたたえたおばちゃんの絵)には生クリームたっぷりのケーキが張りついている。
そして、騒ぎを聞きつけてやって来た者たち。
でっぱらオヤジの家の家令とかメイドとか、私に「奥様」と呼びなさいと命令した孤児院からの引き取り親とか。
彼らは有り様を見て一様にぽかーんとした顔をした。老若男女みんなそっくりな、ぽかーん。まばたきみっつ、よっつ、いつつ、どれだけたってもみんなこの部屋の様子が飲み込みきれないみたいで(毒入りだからね)、しばらくの間彫像みたいになっていた。
どんな芸術家だって、あんな見事に時を止めることはできないに決まってる。
それをなしとげたんだから、私も芸術家かも。
テーブルの上には唯一無傷で残っていたキドニーパイ。私はそれを手づかみで口に運んだ。だってごちそうなのに全然食べてなかったんだもんね。見かけ通りのおいしさは、かつて経験したことのないものだった。
だって私、さんざんひどい目にあってきたんだもんね。
聞くは涙、語るは……わりと、笑いまじりかもしれないけど。だってね、自分の運命にナミダするなんて趣味、私にはないわけで。あったとしたら今このオヤジをカウンターで床に叩き伏せるなんて真似しないわけで。(起き出さないよう僭越ながらこの木の靴で急所にトドメをさしましたけどね、うふふ)
孤児院育ちだけどね、生まれたときはふつうにおかーさんのとこにいたのよ。
ちょっと頭の中にヒヨコを飼ってるひとだったけど。家事とか一切なにもできず荒れ果てた部屋の中で日がな一日ひなたぼっこして。ねえあなたはこのチューリップから生まれたかわいいおひめさまなのよ、なんてクスクス笑っている。
薄汚れて、古びて破れた服をきてる私の棒きれみたいな手足。どこがお姫様だっていうの、なんて文句を言っても彼女には届かない。お姫様だったのはおかーさんの方。
元は貴族の端くれの裕福な家の娘だったけど……父親の分からない子供をニンシンしてしまったから家をおいだされたそうで。相手のとこに逃げ込んでも相手は既婚者で、金ヅルにしようとしていた娘が身重で飛び込んできてもなにもできないバカタレだったそうで。
困ったときの神頼みで教会におしつけられた彼女は、「教会だってそこまで面倒をみるわけにはいかない世界には不幸な人はいくらでもいるんだあなたは実家があるんだから」なんてツンツクツンツク毎日毎日いじめられたせいである日プッツンきた、らしい。それからは見事な恍惚の人。枯れたチューリップの鉢を抱えて彼女にしか分からない物語を語り続けている。
だから私は孤児院に預けられて、そこで怒濤の日々を送った。
ものを言うのは金。人情暇無し。使えるものは拝み倒して骨までしゃぶれ。そんな哲学を築き上げて。パンくずを笑う者はパンくずに泣くのよ。虫が入ったくらいでシチューが食べれないなんてことはないのむしろあれでビタミンが入ったと思うのよ。
そう、強く生きていかないと。
いつの日かおかーさんを迎えに行けない。
私の夢は玉の輿にのって扇片手に教会に降り立ち彼女をお屋敷につれていくこと。それが一番。二番目の夢は孤児院に帰って「これはつまらないものですけど」といってほんとにつまらないものを贈ること。三番目の夢は……父親を殴り飛ばすことかな。四番目は母の実家にいって祖父の横っつらを札束ではり倒すこと。五番目は……うん、殺伐としてくるからこのあたりでやめておこう。
2
十四になったとき孤児院にやってきた太ったおばさんがいた。
年頃の女の子を横に並ばせて、ふんふん鼻をならして鑑賞している。これは顔がまずいわね、そばかすはまずいわね、あの方の好みは……あら、あーたはいい感じかも。と私の前で立ち止まった。
紫色のコートに、金縁眼鏡。猛烈な香水の香り。ごってりとリボンをあしらったお帽子。私の審美眼からしたら、「ひとつひとつは突拍子もないアイテムですが、全部そろうとあら不思議、特異な空間があらわれてもうコレしかないと周囲に思わせることができます」といったところかしら。上品さとかはカケラもない強欲そうな女性は、口を開くと金の歯を入れていた。なにそれおしゃれ心?
「あの方の望みからしたらちょっと痩せすぎかも知れないけど、まあこんなところで育ったんじゃあね、仕方ないざます。我慢する事にしましょう。この子いただくわ。寄付金の話は、そちらさまのいうとおりに」
まるで野菜とかパンとかみたいな気軽さで、私はいただかれてしまった。
友達に挨拶する間もなく、もうすぐ雨が降るからすぐ帰ると言いだしたマダムのお言いつけ通り、少ない荷物をあっと言う間に鞄につめて馬車に乗せられた。
本人がどう思っているかは知らないけど。
金満マダムの仕事は、金満ジェントリに若くてきれいな女の子を斡旋すること。怪しげこの上ない。わざわざ狩り場を孤児院にしてるあたり、犯罪臭がすることおびただしい。
「寂しいお方なんざます。あーたはせいぜい面白い話をして慰めて差し上げるのですよ。でもその服じゃちょっとねえ、ああ。あんた縫い物は得意ざますか」
「ええ得意です」
料理(野草や野生動物調理専門)も裁縫も生活に根ざしたものはだいたい得意よ。教養はないけどね。
「ふーん。じゃ、自分で作るざます」
節約心真っ盛りだったんでしょう。
奥様は屋敷の一室に私を閉じこめると、裁縫道具と布を投げ入れた。執事は私のこと見て見ぬふりだし、ほんとろくでもないことになっちゃったなあ、でも孤児院に戻っても絶対厄介払いだろうしなあと、針と糸をもった。
白いドレスは自分で見てもみごとな一品だった。なんていうか、上品? マダムが布地をけちらせたせいだけどその分刺繍に凝ったもんね。刺繍は孤児院時代のいいバイトだったのよね、気が狂う程細かい花をさんざんぬいつけてやったし、それはもう売ったらいくらになるかーってものをつくりあげた。
それでね、着てるのが私なのがザンネン……てわけじゃないわよ。いつの日か玉の輿にのるために自分磨きにも余念がなかったもの私。美肌、美しい眉、いつも笑みを形作っている唇。貧相なんじゃないの、妖精みたいなのと形容して欲しい体つき。我ながらすっごい美人とはとても言えないけど、顔に手をかけてない美人よりは、綺麗だと思うわ。いかに手をかけるかで差がでてくるのよ! これは孤児院で友と語り合った真実。
夢は玉の輿、そうね、孤児院で女の子募集してるような怪しげなやつだとしても、ほんとは寂しがりで純粋なハートの持ち主かも知れないし、金持ちなんだったらちょっとやそっとのこと我慢、する……
のは、やめよう。
相手のツラを見た途端、私は笑顔で決断した。決断なんて表現じゃたりない。猛断とか激断とかそんな感じ。
だってどう考えてもこいつ一週間は風呂入ってないよ。な臭気をまきちらす男だった。年は四十越してそう。マダムの方がちっさく見えるような太り方をして、私を見る目のやらしいことときたらない。
爪が汚い。顔洗ってない。
ってこいつと一緒にご飯食べるんですかあああ? 私は「若い人たちだけにするわね」と退去しようとするマダムのドレスのすそにすがりつきたい思いでいっぱいになった。だって若い人ってこいつ若くないでしょ! なんて言ったらどんなことになるか分からない……けど、言わなくてもどういう目に遭うか分かんないよなこの状況じゃ!
突き出した腹。少ない髪。脂ぎった顔。
ネズミみたいな不潔なヒゲ。
「うふふ、ふ。かぁーわいい、ねぇえ……お名前なんて言うのかなあ? こっちにおいでよケーキ食べさせたげるよぉ」
吐き気がした。
この屋敷絶対こいつの代でつぶれる。つーか私がつぶす。なんか女っぽい動きでオヤジは私に近づいてくる。
「ねぇぇ、小鳥ちゃん、ボクと仲良くなろう……」
私はにっこり笑う。
そして、手招きする。誤解して嬉しがって小躍りしてやってくる男。ポケットから小石を取りだし(なんでそんなものを仕込んでいるかというとやっぱこうなる気がしてたからかなっ)右手に握りこみ、かんっぺきに油断していた男をかがませると、右ストレートをアッパーに決めた。
一撃でかなりキたみたいだけど、それだけじゃやはり大の男を仕留めるまでにはいたらず、私はテーブルの上のものをひっくり返した。
ナイフを投げ(「うひゃおう!」と相手は避けた)皿を投げ。テーブルクロスを抜き取り(テーブルの上は無事なままクロスだけぬきとるやつ、クリスマスの隠し芸に練習したの)相手の頭にかぶせると、テーブルの上に立ち上がり、もがくやつの体躯にローリングソバットを決めた。
なんでわざわざローリングするかというと……趣味の問題。
大きな音をたてて男は倒れた。
そしてみんながかけつけたという、顛末。
あああなたはチューリップから生まれたお姫様なの。
この世の汚れなんてなにも知らなくていいわ、私が守ってみせるから。母の愛に包まれてあなたはこの世で一番幸せな娘。
窓の外は嵐、出ていく事など考えなくてもいい。
あなたの幸福だけを願っている。
嘘ね、あなたは夢を見ている。
嵐はいつだって部屋の中にあり、打ちのめされたあなたは不幸だった。私ではない私を見て、幸せのまぼろしをおいかけて、心の中でしか幸せになれなかったあなたのことを、いつの日か迎えに行くために私は頑張ってきた!
でもその理由がなければ、頑張る事なんて、できなかったの!
幸せを願っているって本当?
私は、どこにいけばいい。どこに行けば幸せになれるの!?
体が勝手に動いた。
私がキドニーパイを食べてるうちに、みなさま放心からよみがえったらしい。「ナンテコッタ」と「ツカマエテ」という顔になったところを見計らう。
子種よ絶えろとばかりにも一回ふみつけて私は、壁に駆け寄った。白いドレスを翻らせて。つかまえて! と金満マダムが泡を吹きながら叫ぶ。ぶよぶよの腕を振り回して。
窓を開ける。広がる空。ツバメが飛んでいる。良く晴れた空。死ぬのならこんな晴れた日がいいかも知れない。
振り返り、バカ面さらしたやつらに親指立てて微笑みかけてやった。
そして、飛んだ。
ううん、死ぬなんて思いもせず。だって、二階から飛び降りて死ぬなんて野蛮な育ちのワタクシにはとてもとてもできないことでございますもの。
つかまえて! つかまえて! と声が響き渡る。
痛い靴を脱ぎ捨てて私は走る。運命に涙するならそれは敗北だ、運命に唾を吐くならそれは傲慢だ。私は、運命に爪を立ててひっくり返す。
門を越えてきた白いドレスの可愛い小娘に通りかかるひとはびっくりしたけど、堂々とにっこり笑んで挨拶したりなんてすると「なんだ別に騒ぐほどのことじゃないのか」と勝手に誤解してくれる。
おかーさんを供物に捧げたものたちに、私は復讐したかった。
この手には力なんかないけど、戦う意志だけは失いたくなかった。でも、心の中にいるおかーさんは言う、ただ幸せになってくれと。
3
「………そうか、それが君の物語なんだね」
逃亡者となった私は、地下にもぐるかと思いきや意外きわまる場所にいる。それも、町の中央にある巨大な彫像の肩の上。この町で一番空に近い場所。ツバメがとまり、羽毛をふくらませている。
幸福な王子と名付けられたそのばかでかい彫像は、町の財政が逼迫するごとに装飾の宝石を売られ、かつての豪奢な姿ではなくなってしまっている。ルビーサファイアエメラルド、と見事に派手派手できらめかしい姿だったそうだけど、今は貧相なものだ……いや、私の美的感覚からいうと今の方がイイと思うけど。
そして、これはたぶん夢なんだろう。いろいろあったもんね。私もいよいよ恍惚の人の仲間入りしちゃったのかもしれないけど、でもそうなったらそうなったで幸せそうだから、いっか。
まさかツバメと王子の彫像が喋り出すなんて、私そんな夢見がちな乙女ではないと思うのよね。確かに玉の輿なんて乙女の夢みてて八割くらい本気だけどでも、
「女の子である。綺麗なドレスなのである」
「かわいいねぇ。ぼくにルビーがのこってたらプレゼントしたのになあー」
なんて声が聞こえてしまってそれが幻聴じゃないなんて、ああ夢だ。夢に違いないって。
妙に賢そうなツバメだった。浮かない顔をしているな、悩み事があるのなら語ればよい、きいてくれようぞ。なんて言ってくれちゃって。王子は王子で、わーい聞きたい聞きたいよー、なんて軽く続いてくれる。
だから私は喋ったのだ。
今までの長くないけど短くもない、人生。
「うわー……すごい人生だなあ」
「……まあしかし、自力でなんとかしてきたのである。えらいのである」
「かわいいのにケンカ強いなんて、いいよねえ。ぼくの目にエメラルドが残ってたらなあ。プレゼントするのになあ」
ふたり(?)は感心の言葉をくれた。
「んできみは、これからどうするのー?」
どうしようか。空はだんだん暗くなっていく。太陽が沈んでいく。目の下に広がるのは美しい町並み、石造りの家々。丹誠込められた庭も、うち捨てられた石くれもすべて手の中に抱え込むことができそうなほど小さな、これは神様の目からみた風景。
飛べそうな気がするけど、飛んだら死んでしまう。
私はツバメではないから。
そして、自分の身を贄にして捧げるような王子の生き方も、またできはしないのだ。
この手にはなにもないけど。
戦う意志がある。私のことを獲物か何かと勘違いして狩りにくる、ぶよぶよと太った生き物たち。あぶらにまみれた手で、よくも人のことをもてあそぼうとしたものだわ。
「……普通に幸せになる」
「わっ、それってとてもけんせつてきですてきだね。ぼく、きみのこととってもすきになったよ」
「とてもかしこいのである。王子とは違う」
「ぼくはねえ……、ひとのしあわせなかおをみてるだけで、しあわせになれるんだよ。おなかもすかないしね。
でもこのこはちがうもんね」
「ありがと。私もアナタのこと好きよ。でも恋人としてはどうかしらね。人に全財産ささげちゃうような夫って、家庭人としては失格だもんね」
「しっかくかぁー」
「当たり前なのである」
ちょっとだけ心をかすめたのは、オロカな貴族どもを打破してすべての人間たちが平等な世界をつくりあげること。幸せになるために剣をとること。
でもそんなこと、できはしないのだと知っている。
世界は壊れている。生け贄を必要としている。流れたのは母の血、母の涙。この手の届くひとたちを知らぬふりをして、何かを救うのだと剣を取るのは……この王子のように身体の宝石をすべて売り払うことなのだ。
おかーさんはそんなこと望んでない。
望んでないから。
「もう、行くのであるか」
「えー、もうちょっとお話ししようよ」
「気が向いたら、また来るよ」
私はツバメをなで、王子の頬のあたりに手をあててから、下に降りていった。ゆっくりと。階段を一歩一歩歩いていく。
さあまずはなにをしよう。
生きていくために、まずは。
「そんなところでなにを……うわーーっ」
勢いに乗って階段の二階あたりから飛び降りると、下にいたひとが悲鳴をあげて飛びついてきた。ちゃんと着地できたのに、あわてて私を受け止めて、そして危ないじゃないか! と。
その人の目はかつての幸福の王子のような綺麗な緑色をしていた。
Fin
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