第3話 美しい物
それからしばらくは、作品作りも大詰めだったのか、アトリエを見に行っても彼女が僕を招き入れてくれることはなかった。僕も彼女に少し会い辛くて、どこかほっとしている自分がいた。別に、これで構わない。彼女は僕とは次元の違う天才で、そもそも僕なんかに構ってくれたこと自体が奇跡だったのだ。僕はただのファンで、彼女の作品だけが目的だ。いつか彼女は大物になって、世間に彼女の名前がどんどん知れ渡って、いつか同じ学校に通っていたことだけが、僕の自慢になる。
ある日、彼女は作品の前で、今まで見せたことのない、澄んだ笑顔を浮かべていた。ついに、作品が完成したのだろう。僕の姿に気付いて、手招きしてきた。
「できたの?」
「うん。見て」
星空のステンドグラスは、完成していた。美しい星々……一部には銀河まで流れて、キラキラと輝いている。見つめているとどこか吸い込まれそうで、一つ一つの星々がヒカリを放っている。
「おめでとう、すごいよ。綺麗だ」
「そう……ありがとう」
彼女は本当に、澄んだ笑顔を浮かべていた。今まで作品を作り終えても、こんなに幸せそうな表情はしていなかった。満足げな表情を浮かべながらも、どこかで憂いを抱えているような、そんな顔をしていることが多かった。
「もっと後ろから、ちゃんと見て」
僕は彼女にそう言われて、僕はなるべく後ろに下がる。彼女はまだ作品が気になるようで、作品に近付く。そんな彼女も含めて、僕はステンドグラスを眺める。
「……綺麗だ」
自然と、言葉が漏れる。頭で考えて出た言葉ではない、自然な言葉。感嘆の言葉が、自然と漏れ、その美しさに溜め息が出る。美しい星空のステンドグラスの前に、それを創造した、少女が立っている。天才が、美しい作品の完成を喜んでいる。
「私ね、ある日、空を見上げたら星が出ていて……、ああ、綺麗だなって、思ったの」
「前も、そう言ってたね」
どうしてこれを作ろうと思ったのか、僕が尋ねたときに、彼女はそう答えた。彼女は美しい物を見ると作りたくなるのだろうと、僕はそう思った。
「私ね」
彼女は笑っていた。今まで見たことのない、本当に幸せそうな表情を浮かべて、僕を真っ直ぐに見つめていた。
「美しい物って、大っ嫌い」
何が起きたのか、わからなかった。彼女はガラスの縁に手を掛け、手前に強く引く。天井まで届く木の枠があるから、そんなことをしても、倒れない、はず、なのに。
「だから、自分の手で壊せたら、素敵だろうなって思ったの」
木の枠が大きな音を立てて、倒れる。
僕は、動けない。
偽物の星空が、彼女に向かって、倒れてくる。
僕はその場に座り込み、とっさに腕で顔を覆った。
「うっ……」
ガシャーンと信じられないほど大きな音がして、真黒なガラスの破片が僕のほうまで飛び散る。少しチクチクと痛んだけれど、外傷はそれほどでもない。耳がキーンとなって、振動で頭がくらくらした。
僕が悲鳴をあげるよりも早く、真っ赤な血が、僕の足元のほうまで、流れてきた。
業者の工事ミスが原因の痛ましき事故……と、学校側は彼女の件をそう収束させたかったらしいが、木枠のねじは、彼女の制服のポケットから見つかった。ねじには彼女の指紋もあり、教室からは電動ドライバーも見つかっていて、彼女が自分でそうしたのは、間違いないだろうとのことだった。
僕はガラスの破片を少し浴びたけれど、かすり傷程度で済んだ。僕は彼女の最期を看取った人間として、怪我の治療が終わり次第、事情を聞かれることになった。
彼女は自分のクラスにも友達がいなかったらしく、どういうことを話す仲だったのか、男女の関係にあったのかなど、たくさんのことを聞かれた。僕は自分の疲れもあり、その問いに、なんとなくしか答えられなかった。
彼女の亡くなりかたは、他の自殺と違ってずっと異質で、たくさんのテレビや雑誌が、彼女のことを取り上げた。天才と謳われた少女には人知れず重圧があったとか、期待を背負っていたとか、真実ではない憶測が憶測を呼んで、作り上げられた彼女こそが、真実になろうとしていた。
「――ねえ、どっちが好き?」
目を閉じると思い出すのは、彼女の問い。僕はあの時、なんて答えてあげれば良かったんだろうか。素直に順番を着けて、真実を言ったほうが、彼女は気楽だったんだろうか。
わからない。
彼女が僕に最期に向けた、澄んだような笑顔。きっとあの時、彼女は、本当に幸せだったのだ。
全ての苦悩から解放されて、自分の作った美しい物に殺される幸せを噛みしめていたのかもしれない……と、常人にはきっと理解できない、天才のことを、想った。
星空のステンドグラス 御厨みくり @mikuri76
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