第2話 どっちが好き?
教室にいると時々、彼女の話が聞こえてくる。
美しい天才に向けられる評価は、いつだって嫉妬や侮蔑に満ちている。彼女は特別扱いされ、空き教室を一つ、彼女専用に与えられている。それだけじゃなく、彼女の絵の具や画材も全て学校側で用意しているらしい。
全ては、彼女のため……と言いつつ、学校のためなのだろう。彼女が賞を取れば、また彼女に取材が来たりと大きく取り上げられる。そうすれば、学校の評価も上がる。いつだって、この学校で一番有名なのは彼女で、一番すごいのは彼女だ。快く思わない人がいるのも仕方無い。
けれど……彼女はいつだって、そういう評価から離れたところにいる。彼女はただ、自分が作りたい美しい物を作っているだけだ。それが周りを魅了して、評価に繋がっている。それを理解できていない人が多くて、イライラする。
誰も、彼女のことをわかってない。天才の周りには、本当に敵しかいないのか。
僕だけはいつだって、彼女の理解者でありたい。
僕はなるべく、彼女のアトリエに自分からは入らないようにしている。扉の外から、彼女と彼女の作品を見守る。何十分何時間待っても、彼女の作品は一向に進んでいないように見えて、少しずつ進んでいる。それを黙って見ているのが、楽しい。
熱中しているときは、彼女は僕の姿なんて目に入っていない。ただ、作品だけを真っ直ぐに見続ける。そんな彼女は、本当に天才と呼ぶのにふさわしくて、僕はそんな彼女の姿を見ているだけで、幸せな気分になる。
大きく伸びをして、彼女は作業をしていた脚立から降りる。少しだけ廊下のほうを見た彼女と、目が合う。手招きされたので、僕は教室へと入っていく。
「別に、いつでも入ってきていいのに」
「いや、いいよ。邪魔したくないから」
「物好きね」
困ったように微笑んで、彼女は椅子に腰かける。
「お疲れ様。調子はどう?」
「結構進んだのよ。もうすぐ、完成しそう」
「へえ、楽しみだ」
作品は確かに進んでいる。ガラスの中では、たくさんの星が瞬いていた。
「これ、完成したらどうするの? コンクールに出す?」
今まで、描いてきた絵のほとんどを絵画のコンクールに出展していた。けれど、この作品はどうなるのだろうか。
「こんなの、出せるコンクールがあると思う? でも、完成したって聞いたら、先生たちは喜ぶでしょうね」
「それは、そうだろうね。こんなに、素敵なんだから」
コンクールには出せなくても、どこか……学内に展示はできるだろう。彼女の新作だって聞いたら、また取材も来ると思う。
「いいえ。きっと、『これでやっと次の作品に取り掛かってくれる』って、思うはずよ」
彼女はそう言って、自虐的に笑った。
「『素敵ね』と口では言いながら、『今度はコンクールで賞が取れる絵を描いてね』ってきっと私に言うんだわ」
「そんな……」
そんな酷いことを、言う人がいるなんてと、僕は憤る。彼女の作るものは、全て素晴らしい。その素晴らしさは、コンクールだとか、そういうものだけで測られるものではない。
「君はそんなもののために、作品を作ってるわけじゃない。普通の、学生なんだから」
「でも、特別扱いされてるわ。鍵のついたアトリエも、……このガラスも、天井まで続く木枠も、全部お金を掛けて、用意して貰ったものよ」
「そんなの、当然のことだ」
「当然?」
彼女は訝しげに、笑う。
「ああ。君がこの学校に与えるもののほうが、ずっと大きい。君は天才なんだから、特別扱いされて、然るべきなんだ。堂々としてればいいよ」
彼女のように、物を作れる人と言うのは貴重だ。幼い時から絵を学んだって、こんなにも素敵な物を作ることはできない。そこにはその人独自の感性が必要で、それは万人が持っている物ではない。ましてや、彼女はまだ学生だ。これからきっと、もっともっと、伸びていく。
「周りのことなんて気にしなくていいよ。君は自分のことだけ考えていればいい」
誰も、彼女のことをわかってない。彼女は天才で、ただ自分の作りたい美しい物を作っているに過ぎないのだ。いずれ、いつか、時が来れば彼女はプロになり、全世界から注目を集めることもあるかもしれない。けれど今は、まだ未成熟な天才だ。なのに、今は異物に対する嫉妬と憎悪が彼女に向けられ続けている。彼女は何もしていない。美しい作品を、ただ作り続けているだけなのに。
「そんなことより、完成が凄く楽しみだよ。きっとすごく話題になる」
「――じゃあ、ねえ、どっちが好き?」
「え?」彼女の突然の言葉に、僕は驚く。「どういうこと?」
「だからね、私が前に描いた絵と、この作品、どっちが好き?」
一瞬、どう答えればいいか、わからなかった。
「どれが好きとか……そういうのはないよ。全部すごいし、それぞれ好きだし、魅力があって……」
言いながらも、僕は頭の中で彼女の絵を思い出していた。彼女に直接は言えないけれど……僕はきっと心のどこかで、彼女の作品に順位を付けている。
「綺麗事ね。言ってもいいのに。私に遠慮しなくていいのよ?」
「遠慮ってわけじゃ……」
言いながらも、僕は彼女に傷付いてほしくないのだと思った。誰だって、新しいものより、過去に作ったもののほうが好きだと言われたら、傷付くに違いない。
「私だって、順位をつけるわ。本を読んで、この作者は前の作品のほうが面白かったとか、言うわ」
でも、それだって直接言うわけじゃないだろう……と、喉元まで言葉が出かかって、飲み込む。この言葉を彼女に向けてしまったら、自分がさっき言った言葉が嘘になる。
「別に構わないのよ。そういうものだもの。好きな物は好き、そうじゃないものは嫌いで、合う合わないだって、ある」
「そうかもしれないけど……、でも、本当だよ。君の作品はどれもそれぞれ素晴らしい。どれもそれぞれに魅力があって……。今の作品は特にいいよ。着眼点が素晴らしくて、完成がすごく楽しみで……」
「……そう」
それだけ言うと、彼女は作品制作へと戻る。彼女の視線は作品へと向いて、僕のほうは一瞬たりとも見ない。僕も黙って、彼女のアトリエを後にする。
廊下で彼女の制作を眺めながら、僕は彼女の問いになんて答えるのが正しかったのか、そんなことを考えていた。
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