最終話 黒漆の太刀

 あれから、六年――。


「六年かあ……」


 シュンは一人、あの時マサと話をした物置小屋にいた。

 誰も近寄らないので、埃っぽさも変わっていなかったが、その戸から見える外の景色も以前と変わらず綺麗だった。


 違うのは、季節が秋であるということ。

 それ故に、木々の葉は緑色ではなく、深紅や黄金に染まっている。

 シュンは、その景色をあの時と同じように木箱に座りながら、うっとりと眺めていた。


 しかし、ふと、ここに来た理由を思い出す。彼は徐に立ち上がると、壁に立てかけてあった粗末な茣蓙ござを地べたに敷いた。そして小屋にある奥の棚から、埃が被っていた分厚い紙束と木箱を一つ取り出し、丁寧に茣蓙の上に置く。


 シュンはすぐにその中身を見ようと思ったが、埃の溜まり具合が酷かったので躊躇ためらった。


「……汚ぇなあ。一回、はたくか」


 シュンは面倒だとは思いつつも、小屋の外に持ち出して紙束と木箱についた埃を手のひらで落とす。


 すると、今まで埃にまみれて見えなかった紙束の表面に、達筆な字が並んでいることや、木箱が白くて綺麗な桐の箱だったことが分かる。ある程度綺麗になると、再び小屋の中に戻りそれらを茣蓙の上に戻す。


 そして先に、幅が一尺以上ある箱を静かに開けた。


「……久しぶりだな」


 シュンはそう言った。

 中には一振りの「黒漆くろうるしの太刀」が眠っている。「黒漆の太刀」という名は、鞘が木地を黒い漆で塗っているためだ。装飾と言う装飾はほとんどないが、鍔が雲の形になっており、そこには小さな翡翠がちりばめられている。


 シュンはそれをそっと持ち上げると、額に柄のかしら部分を押し付けて呟いた。


「なあ、レン。マサは『守人シュト』を通り越して、王の傍で護衛をする『つわもの』になったよ」


 静かな部屋で、シュンは続ける。


「そのことは今年の春に決まっていたそうなんだが、マサときたらずっと言い忘れていたって言うんで、この秋に手紙を寄越してきた」


 シュンは笑みを浮かべる。孫のマサの出世を喜んでいるようだが、どこか悲し気だった。


「すごいなあ。『兵』だってよ……」


 すると、開けていた戸から、ひゅうっと風が入って来る。冷たい秋風だった。


「でも、知ってるだろ」


 シュンは目を閉じた。


「『兵』はもう王のものだ。俺たちの血を継いでいても、もう俺たちのものじゃない。そりゃあ、マサは『もの』なんかじゃないけど、もう軽々しく家族とか言ってられないんだよ……」


 その時、シュンの耳の奥で懐かしい声が聞こえる。優しくて柔らかで、軽やかな声だ。


 ――シュン。どんな偉い人に「家族と離れろ」と言われても、心で手放さなければそれでいいではありませんか。あなたの心はいつだって自由なのですから。


 すると、言葉が次々と溢れ出す。


 ――あなたは、私の一番の友です。誰もがあなたを裏切っても、私はいつだって味方になりますよ。


 ――ここを去るというのですか。どうして……。私に納得のいく説明をして下さい。


 ――いいんです。もう、決めたことです。何が大切か最初から分かっていたことですから。


(廉……)


 シュンが心の中で廉の名を呼ぶと、目の裏に彼の後ろ姿が見えた。色素の薄い髪を長く伸ばしていて、後ろでゆるく束ねている。そして彼がお気に入りだった白地に金色の糸で装飾した羽織を羽織っていた。


 そして廉はくるりと振り向き、端正な顔をシュンに向ける。いつも優しく笑っている彼だったが、その時ばかりは曇った表情を浮かべていた。


 ――……舜。きっとあなたは怒るでしょうけれど、あえて言います。マサを……鍛える気はありませんか?


「結局、お前が言った通りになったよ」


 シュンは自嘲気味に笑うと、額から刀を外しそれを手の中で軽く弄んだ。漆で美しく塗られた鞘が、部屋の中の僅かな光を反射して艶めく。


 ――やっぱりこれは、廉の化身なのかもしれない。


 シュンはそんなことをぼんやりと思った。


「これから、どうなるんだろうな。廉が言ったように、波乱の世になるんだろうか。俺はそうなってほしかあないけど、お前の千里眼には適わねえからな」


 シュンは刀から視線を外して、戸口を見た。外は穏やかな天気だ。


「廉、くれぐれもマサのこと見守っててくれよ。俺がお前のお願いを聞いた代わりに、お前に頼みたいのはそれだけだからな」


 シュンはそう呟くと、刀を元の桐箱に収め棚に戻す。そして、分厚い紙束は背負ってきた籠の中にそっと入れた。


「またな、廉」


 そう言うと、シュンは小屋を後にするのだった。


(完)

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真国記 ~王に仕える者~ 彩霞 @Pleiades_Yuri

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