10-4 新しい場所へ


     ◆


 ニューヨークの酒場で三日ほど騒いで、仲間たちはめいめいの仕事場に戻っていった。

 しかし九人はもう一度、揃って協力して活動することになった。

 最後に残ったのは俺とニール、そしてユキだった。

「あんたが女房の立場とは、思い切ったな」

「女房じゃないわ、恋人よ、とりあえずのね」

 ニールのからかいに、ユキが素早くやり返す。

「あなたはこれからどこへ行くつもり? ニール?」

「ローマに知り合いが大勢いるから、しばらくは連中にすり寄って糊口をしのぐよ」

「ギャンブルはやめなさいね、金庫番」

「余計なお世話だよ、踊り子」

 二人はニヤニヤと笑っている。お互いを攻撃しているようで、この二人は変に分かり合っている時がある。

 今日はちょうど監視官が様子を見にくる日だった。

 ウォーレンやヌーノが担っていた、俺のアシスタント、というか、俺が補助する技術者の立場にユキが立つことになる。

 今時、女性のコンテンツライターは大勢いるので、特に不自然ではないが、それらしい説明は必要だ。

 どう言い訳しようかな、と思っているとインターホンが鳴った。

 俺が玄関まで行くと、その向こうにはいつもの監視官が立っている。

「仕事仲間が変わりまして」

 こちらから切り出すと、監視官は、またですか、と疑うような表情になった。

「彼女です。ユキ、ちょっと来てくれ」

 ゆっくりとユキが優雅にやってきた。監視官はまだ疑り深い目でこちらを見ている。

 どうやって言い逃れるか、考えていると、監視官がにっこりと笑った。

「これからしばらくは、監視官のことは気にしないでいいようになります」

 なんだって?

 わけがわからない。視線を返していると、目の前で監視官の姿が変化する。拡張現実による変装だ。

 新たに現れた姿は、なんと、エースの人型端末だった。

 つい昨晩、宴会が終わってから、俺とニールで仲間を説得して、エースをオフラインからオンラインに切り替えてやった。

 それでエースは自在に、自由に、どこへでも行けるようになった。

 エースは感謝の言葉もなく、俺たちの前から消えたのだ。アンガスやマルコムはだいぶ怒りを募らせたようだが、他の連中の様子もあってだろう、黙っていた。

 そのどこかへ消えたエースが、監視官の代わりに俺の前に来る?

「私が監視官の思考に介入しました」

 エースがゆっくりと喋った。

「それならエドワードさん、あなたが罪に問われることはない」

「それはありがたいが」

 ちょっと困惑が抜けないまま、思わず反論していた。

「バレずにやることくらい、俺にもできるぜ」

「でも犯罪は露見するとかしないではなく、したか、しなかったか、それが問題だ」

 それはそうだがなぁ。正論すぎて、何も言い返せない。

 俺たちが立ち話をしているせいだろう、部屋の奥からニールがやってくる。

「エースじゃないか。戻ってきたんだな」

「私を仲間に加えてもらえますか?」

 エースの言葉に、俺とニール、ユキは視線を交わし、身振りで答えを口にする人間を譲り合い、最後には俺に回ってきた。

「いいぜ、エース。歓迎するよ」

「ありがとうございます」

 深々と、エースが頭を下げた。礼を口にするのも、お辞儀をするのも、初めて見た。

「とりあえずは、エドワードさんのそばにいさせてください。一番、多くを学べると思うので」

「連絡先を全員に通知しておいてくれよ、エース。こちらからも話があるかも知れない」

 では、今すぐに、と返事があった途端に、俺の使っている複数のアドレスのうちの一つにメッセージが届く。マインド・コンテンツ・インターフェイスが休眠していると見せかける偽装を擦り抜ける通信だった。

 開封してメッセージアドレスを登録しておく。

「では、今日はこれで」

 ああ、うん、などと言っているうちにエースは「失礼します」ともう一度、頭を下げて去って行った。

 変に礼儀正しくなったなぁ、とニールが笑っているのを聞きながら、俺たち三人は去っていく人型端末を見送った。

「さて、俺もここを出て行くかな」

 わざとらしくそんなことを言いながら、ニールは部屋に戻り、すぐに荷物を持って玄関へ戻ってくる。

「それじゃ、二人でこれからよろしくやってくれ。俺は行くよ」

「ああ、また会おう、ニール。俺の件では、まだ感謝したりない思いだ。何かあったら、遠慮なく言ってくれ。援護するよ」

「オーケー、相棒。ユキ、達者でな」

「バイバイ、金庫番」

 ひらひらと手を振って、トランクを引きずってニールも去って行った。

「ゆっくりお茶でも飲んで、今後の仕事について話し合いましょう」

 二人でオフィスの中に戻り、椅子に座って、まさに仕事の話をした。

 これから来るコンテンツを予想して、先取りして発信していくのが一番の儲けになる。ユキのマインド・コンテンツ・インターフェイスも最新型だし、テクニックも身についているから、商材を作る技術がある。

 夕方になり、ユキが食事を買いに行った。なんでも、ドローンによる配達をしていない名店があるらしい。

 部屋に一人きりになり、窓際に椅子を移動させて、カーテンを開いておく。

 なぜか、植物状態になってから夜空を見たくなる時間が増えた。

 残っているかすかな記憶、幻想のようなものは、はるかに広い世界を俺にひしひしと実感させる。

 もっと広い世界に自分を羽ばたかせたい、という素直な欲望。

 もっと大きな世界を意識したい、という願望。

 それは今の俺のマインド・コンテンツ・インターフェイスだけでは成立しない。

 マックス・コードの有機演算装置はしばらく前からネットワークから切り離されて、接続できなくなった。さすがにマックス・コード社も実際のところに気づいたし、エースが消えたことも気付いたのだ。

 これからあの会社からは非合法な攻撃がやってくるのは、想像に難くない。

 それもまたいいだろう。

 やられたらやり返す、全力でだ。

 窓際で夜空を見上げると、夜空の真ん中を点滅しながら光の点が進んでいく。

 航空機の印。

 完全な自由ではないが、俺はどこへでも行くことができる、と不意に気づいた。

 情報ネットワークという現実を超えた超広大な世界もだが、俺は現実世界の地球にも、足を運んでいないところが多くある。

 そんな場所を巡ってみるのもいいかもしれない。

 金はかかるし、時間もかかる、身体も疲れるだろう。

 でもそれが現実だし、不可避の絶対的な代償だ。

 玄関で物音がする。ユキが帰ってきたんだろう。

 外はすごく寒いわよ、と言いながら、ユキがやってきて、テーブルの上に料理を広げる。うまそうな匂いと一緒に湯気が立ち上った。

 食事が終わる頃、ユキが窓の外を見て、「雪だわ」と行った。

 背後の窓を振り返ると、さっきのままカーテンを閉めていなかった窓の向こうで、チラチラと白い点が舞っている。

 その白い粒の明滅が、不思議と目に焼き付いて、窓の外に向けた視線を、なかなかそらせなかった。

 俺は、しばらく、窓の外で舞い踊る雪を眺めていた。




(第10話 了)

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電賊 エドワードと九人の仲間たち 和泉茉樹 @idumimaki

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