第2話 初詣

 人がいつも以上に少ない通りは歩いていても誰も会わない。そのせいか、道のあちらこちらで雀がしめ縄についたお米をついばんでいる。


 やがて、目的の公園が見えてきた。砂場とブランコ、鉄棒とベンチがある公園。誰もいない。命の気配と辛うじて言えるのは、花壇に植わった枯れかけの花たち。ブランコに立ち入り禁止のテープが巻かれているのがもの悲しい。


 後ろから車の音が聞こえてくる。クラクションが鳴り、運転席を見ると待ち合わせの相手だった。


「千佳さん、あけましておめでとうございます」

「あけましておめでとう。ごめんね、森下君。車出してもらって」

「いえいえ。こっちから誘ったんですし」


 降りてきたのは、わたしよりも頭一つ背の高い男性。髪の毛は短くて少しうねっている。寝癖ではなくただの天然パーマ。


 立ち姿がスッとしていて、グレーのロングコートが良く似合っている。話しながら車を回り込むと、助手席のドアを開けてくれた。こういう仕草を嫌みなくこなしてしまうところが素敵だと思う。


「どうぞ」

「ありがとう」


 頭をひっこめて座ろうとすると、ドアの上から顔を出して覗きこんできた。


「その髪飾り、梅ですか? 一足先の春って感じでいいですね。似合ってますよ」


 耳元でこそっと囁かれた言葉は強烈で、咄嗟に下を向く。赤くなったのを見られていないだろうか。急に恥ずかしくなったけど、彼はもう車の前を通って運転席に戻ろうとしているところだった。どう考えても気づいていなくて、ホッとすると同時にがっかりした。


 でも、趣味で作ったものを褒められれば素直に嬉しい。彼が車に乗りこみ、キーを回す。


「そう言えば、悟は戻ってきたんですか?」

「ううん。もう正月は大阪で過ごすって連絡が来た。昨日から仕事なんだって」

「はあ~。それは大変ですね、あいつも」


 呆れたような大げさなため息をこぼしながら、彼は車を走らせる。

 彼は森下正樹。わたしよりも二つ年下で、もともとは弟の悟の親友だった。家が近所でよく遊びに来ていたせいで、小学生の頃からよく知っていた。と言っても、小学生に対して二歳差というのはけっこう大きく、当時は会えば軽く話をする程度でしかなかった。


「まりさん、そう言えば明後日の夜って空いてますか? 地元組で新年会やろうかって話になってるんですけど」

「いや、夜勤だね」

「ああ……」


 あまりにもあっさり答えたからだろうか、それとも今までほとんど行かなかったせいだろうか。にべもなく断ると、森下が苦笑いした。嘘ではないのだが、問い詰められれば具合も悪くなりそうな気がして、話の流れを変えることにした。


「森下君は、また幹事なの?」

「ええ。もう『慣れてるからお前でいいだろ』って感じです」


 そういう声には微妙に誇らしさが混ざっていた。他人から頼られると張り切るタイプだ。人が良いせいで、貧乏くじを引かされることもあるのに苦にしない。


 彼とこうして友達関係になったのも、それが縁だ。


 過疎化と言うほどでもないにせよ、若者がどんどん外に出て行く我が町では、地元に残る人間がそう多くはない。だから多少歳がずれていても新年会や忘年会にお呼びがかかることがある。幹事を押しつけられた彼は、わたしをわたしの同学年を呼びだすための玄関口にした。


 自分が顔を出すことは稀でもお役目は果たしていたので、連絡を取りあう機会も多くなり、たまに一緒に出かけたりするようになった。


 車の中で知り合いの近況を教えてもらっているうちに、神社についた。地元の神社でさして他と違うところがあるわけでもない。強いていうなら、隣に大きめの池があるくらいだ。うろ覚えだが、龍神が住んでいるという謂れがあったはず。


「意外と、多いんですね」


 車から降りて参道を見上げながら、森下君がポツンとこぼした。社は階段を上がった先にあるというのに、参拝客の列は神社の入り口、鳥居の下あたりまで続いている。しかし、こんなのは毎年のことだ。


「いつもと一緒じゃない?」

「俺、毎年元日に来てたんですよ。だから三日ならもう空いてるのかなと」


 へへっと笑って見せる彼の顔を見て、初詣に行こうと言われた時に思ったことを尋ねてみた。


「そう言えば、どうして今日は誘ってくれたの?」

「今年、じゃなくて去年か。福引で温泉旅行があたったんですよ。ペアチケットなんで両親が行っちゃってて、一緒に初詣に行く人がいなかったから」

「でも、それでわたしって……」


 実は機会があれば一緒に行きたいとか、そう思ってくれていたりするのだろうか。あんまりにも都合が良すぎる妄想だと分かっているのに、そんなことを考えてしまう。スマホを前に文面を考えている姿がふと浮かんできた。


「実は、千佳さんの親に頼まれたんですよ」

「はい?」


 予想外すぎて変な声が出てしまった。前の参拝客が振り返ってきたので、会釈だけしておく。


「『正月そうそう仕事だっていうから、私たちは都合つけられないけど、どうせ一人だから一緒に行ってやって』って」


 そんなことをわざわざ喋っていたのか。両親の行動が恥ずかしいやらみっともないやらで、新年早々気分が憂鬱になる。


「なんか、ごめんね」

「ああ、いえいえ。お気になさらず」


 年下にフォローされるとよけい惨めな気持ちになる。俯きながら、前の人に続いて進もうとすると、反対から降りてきた人とぶつかりそうになった。


「すいません」


 華やいだ声は女性だ。まだ若くて、わたしよりも年下かもしれない。こちらに向かって軽く挙げられた左手には、結婚指輪がはめられていた。去りゆく後ろ姿を目で追っていると、連れの男性にも同じ指輪が輝いている。仲睦まじい若夫婦の姿がショックだった。同じものを森下君も見ていたのか――。


「千佳さんって、彼氏いるんですか」

「――いない」

「そろそろ、言われたりしません? 親とか」


 何の気なしに繰り出される言葉に胸が苦しくなる。図星だ。二年ほど前から顔を合わせるたびに「あなた、良い人いないの?」とやられる。自分の人生だからあまり口出ししないで欲しいとも思うけれど、善意から来ているのは分かっているから突っぱねるわけにもいかなくて。居心地が悪くなる。


 正月に帰らないのは、仕事だからと言っているし嘘ではないけれど、その一言が聞きたくないからというのも自覚している。


「森下君は? 言われないの?」

「言われませんね。まだ若いですから。 ――というより、今しれっといない前提で話しましたよね?」

「ごめん。その手の話を聞いていなかったからつい。でもそっちだって、わたしが若くないみたいな言い方ね」


 ジトッとした視線を向けてやると、困ったように目線をそらした。


「すいません。そういうつもりでは――」


 一歩後ずさって深々と頭を下げてくる。腰から90度に折ったお辞儀。綺麗で丁寧だけど、どこか芝居がかっていて茶目っ気が感じられる。洒落でやっているのが伝わるから、こっちも気軽に受け止められる。


 そういえば、入院患者の子供に似たタイプの子供がいたなあ、と思いだす。あの子は小学生だが、森下君にも同じような子供っぽさが残っているのかもしれない。新しい発見に、気分が良くなる。


「いいわよ別に」


 肩口をとんとん、と叩いてから尋ねる。


「それで、彼女はいるの?」

「結局聞くんですね。いません」

「……実は、彼氏が」

「いません!!」


 食い気味に否定してきた。良かった。「実はそうなんです」と言われたらどうしたか分からない。泣きわめいたか、引っぱたくかしてしまうかもしれない。


「今一つ、出会いがないんですよね」

「……じゃあ、身近にいる人じゃダメなの」


 わずかに、躊躇ってから、尋ねる。意を決しての質問だった。わたしに脈はあるのか。それが知りたかった。どうか、どうか、『ない』なんて言わないで――。


 彼が上を向いて考える。緊張して、いつの間にか手を握りしめていた。


「身近か――」


 心臓がうるさい。


「う~ん」


 早く答えてよ。思わず、口からそんなセリフが出そうになった。教えてよ。


「……あの、そんなに睨まなくても」


 ふっと顔を下ろした彼があたしの顔を見て一歩下がった。そんなに怖い顔をしていたのか。ちょっと必死になりすぎたかもしれない。手袋をはめたままの手を顔に近づけてゆっくり息を吐く。口からでた息が冷えて靄のように視界を覆う。


「身近って言われてもそうそういないんですよ。職場だと、学生かおばちゃんになっちゃうし。新年会で会うような連中は、それこそ中学高校の思春期に四六時中顔合わせていた連中で、今さら恋愛って言われても――。そうじゃない女性って、それこそ千佳さんぐらいなんですよ」


 ははっ、と屈託もなく笑いだした。これは、一体どうとればいいんだ? 恋愛対象枠には入っているようだけど……。


 反応に困っている間に列が進む。今のうちに、お守りを返してきてくるとのことで、わたしの分も預かるとあっさり行ってしまった。


 手持ち無沙汰になってしまい、周囲を見回すと、高校生くらいの一団が絵馬を書いていた。内容までは分からないが、かける場所はほとんど溢れんばかりだ。わたしは人生で一度も書いたことがないから、その心境が分からない。ただその数に圧倒されるだけだ。


 一体、何人が「新年の想い」なんてものを込めているのだろう。神様に願うのだろう。それはとても強くて一身に向かっていける思いだ。


 それはまるで奇跡だ。何物にも縛られずに突っこんでいけるなんて。自分もそんな風にならなければいけないのだろうか。見栄とか恥じらいとか、考えていたら前に進めないのか。


 今のわたしはまさにそうだ。「女性からプロポーズするのは」とか。「弟になんて説明するんだ」とか。そんな言い訳をして前に進めていなかった。そのせいでずるずると今まで来てしまった。わかっていたのに……。


 やがて森下君が戻ってきて、二人揃ってお願い事をする。二礼二拍手一礼は当たり前として、住所を念じたり「祓い給え、清め給え」とやっていたらすっかり時間がかかってしまった。


 熊笹やらを買い込むと彼が持ってくれた。「どうせ、いっしょに車に積みこむんですから」とか言っていたけど、女性に対する彼なりの気遣いだ。子供の頃、道を駆け回っているのを見ていたから、背伸びしたようなまねがおかしい。そして、嬉しい。


 このギャップが良いんだな、と改めて思う。年上のわたしに対しても丁寧に扱ってくれて、気遣ってくれて。こっちも色々と返したくなる。


 そうだ。返せるようになりたい。


 おみくじの箱ををガラガラと揺すりながら決めた。もし、おみくじが良かったら。その時は、気持ちを伝えよう。遅くなって気持ちが鈍るといけないから、今日帰るまでに。急だけど、気持ちは前からあったんだから。それを伝えよう。


 箱から出た番号は十二番。それを社務所に伝えてくじをもらう。出てきたくじは……。


「末吉」


 あんまりよくない。願望のところを読むと「身を慎むがよし。のちほど叶う」とあった。つまり、今は叶わないと……。


 ショックで固まっていると、森下が嬉しそうに近づいてきた。おみくじをこちらに見せてくる。


「大吉でした。願望『容易に叶う。様々な事に挑むがよし』ですって」


 思わず気が昂っていたようだが、沈むわたしの雰囲気をすぐに察して押し黙った。気遣わし気に伸ばされた手がバレッタに触れ、急いで引っ込められる。


「これ、結んでくる」


 そう言って、わたしは彼に背を向けて歩き出した。

 後押しが欲しかった。ようやく変わろうかと思ったのに、新年の出だしでつまづいた。嫌になる……。


 雪が降ってきた。風にのった雪が顔に当たり、溶ける。頬が濡れる。

 泣く訳じゃない。もし、泣けたらどれほどいいか。わたしの心には薄い氷が張っている。


 おみくじでいっぱいになった所からどうにかスペースを見つけておみくじを結ぶ。彼のおみくじ、「待ち人近くにあり」って書いてあったな。彼を導く人、そんな存在がもう近くにいる。わたしの願望は遠いのに。


 たかがおみくじにとらわれ過ぎだとは思うけど、そうそう都合よく切り替えられない。


 冷たい心の中戻ると、彼がいなかった。どこに行ったのだろう?


「千佳さん!」


 人込みの向こうから声だけが聞こえてくる。姿が見えないが、何度も呼ばれるので声を頼りに歩いていくと、境内の隅に置かれたベンチに森下君が座っていた。人があまり通らないようなところで、近くに他に人はいない。


「どうぞ、温まりますよ」


 彼が手渡してくれたのは、紙コップに入った甘酒だった。手袋を外すと温もりが伝わってきて、寒さにこわばったものをゆっくり取り除いていく。一口飲めば、優しい甘さが口いっぱいに広がる。


「美味しい」


 お腹の中から温められる。ああ、嫌だな。本当に美味しい。結局思いは伝えないのに、落ち込んでいるのに。ただ彼と一緒に甘酒を飲む。それだけで、ショックが醒めてしまう。


 彼が反対側にあった福笹を引き寄せながらベンチに座り直す。はずみでわたし達の体がくっつく。二人ともコート越しなのに、体温が伝ってくる。


 幸せだな。なんにも進めていないのに。ただ、こうしているだけで。


「人、多いですね」

「そうね」


 何気ない調子で彼が言うので相槌をうつ。甘酒をすする。


「これだけいると疲れますねえ。しばらくここで休みません?」

「いいね」


 雪が舞う中、のんびり時間を過ごす。やがて彼が、ほうっと大きく息を吐くと、長い靄が柱になって空に溶けていく。それが、龍が火を吐くみたいで、二人で笑った。


 気楽だな。一緒にいて、楽しい。こういうところも、好きだ。


 たぶん、彼にとってわたしは親友の姉でしかない。でも、こうして同じ時間を過ごしていられるし、それで今は幸せ。


 そろって、甘酒に口をつける。まだもう少しのんびり、していよう。

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恋人じゃないけど初詣 黒中光 @lightinblack

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