愛すべき迷子たちの、静謐なるおしゃべり。

分を弁えようとする臆病さを持ちながらも、人に委ねたり自分を打ち明けたりすることに躊躇いのない「信じる」を実践する姿(決して自棄を起こしてもいないし投げやりでもない)への憧憬と共に、作品を拝見しました。
タイトルにある「ロストマン」は「迷子」の意味だとして、それは一人だけを指しているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
道に迷うだけでは「迷子」とは言えず、自分を待ってくれる人がいると信じられるから、人は「迷子」になることができるのではないか、と考えさせられました。
例えばヘンゼルとグレーテルは森のなかで道に迷ったけれど、かれらは本来帰りを待つ人がいる「迷子」ではなく、置き去りにされた「捨て子」でした。でも、もしかれらが自分たちのことを「迷子」だと思っていたとしたら、それはかれらが「おとうさんは自分たちの帰りを待っている」と信じていた、ということ。
「自分を待ってくれている」だなんて見えもしないものを信じる、という点では、迷子とサンタクロースのおじいさんはきっとよく似ている。そんなふうに感じました。

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Please,Mr lostman.