私が、死んであげたとしても
沙希はその後、毎晩私のところにやって来るようになった。
そして、生々しい傷口からぱたぱたと血を滴らせながら、繰り返す。
早く死んで――と。
その口調はどんどんきつくなり、あぁ、沙希は焦れているんだな――とわかる。
私のところに現れる沙希の位置が徐々に近付いてきているところからも、沙希の焦燥感が窺える。私と沙希の距離は日増しに縮まり、ここ三日ほどは、無事な左手だけを使ってぎりぎりと私の首を絞めてくることまでした。
「お姉ちゃんが自分で死ねないグズなのはわかったから、私が殺してやる」
――そう、唸るように言いながら。
私にとっては幸いなことに――そして、沙希にとっては残念なことに――私はまだ、死んでいない。締め上げられている間は本当に痛くて苦しいのだけど。
ただでさえ血で汚れた寝具の始末に困って、いっそもう少し「乾いた」状態で来てくれればいいのに、などと思っていたところに、首に付いた沙希の手の跡まで隠さなければならなくなって、本当に迷惑している。今はまだタートルネックのセーターを着ればよいが、もうすぐ春になる。そうしたら、隠しきれなくなる。いや、そうなる前に私は――沙希に殺されるのだろうか。
死んだ沙希が毎晩私に会いに来て、早く死ねと迫る。最近は、自ら殺そうともしてくる。
その事実を、私は誰にも話せずにいた。夫の諒太にさえも。
だから、毎晩沙希の訪問を受けて疲弊しきっている私は、「妹が事故死したショックでずいぶん参っている」というふうにしか見えないはずだ。
死んだ沙希が会いに来ることを誰にも話していない理由は、端的に、話したところで誰も信じないし、何も解決しないだろう、と思うからだ。解決という観点でいえば、いわゆるお祓いみたいなことをお寺か神社に頼めばよいのかもしれない。けれど、私に負けたくないというその一念で動いているのであろう沙希が、素直に引き下がるだろうか――と考えると、その線も消える。
いっそ、私が死んであげれば、沙希は満足するのだろうか。遺体がひどいことになる電車への飛び込みか、ものすごく苦しい死に方だといわれている焼身自殺をすれば、沙希は少しは満足してくれるのだろうか――「私に比べれば全然だけど、まぁまぁ頑張ったね」と、上から目線で認めてくれる、だろうか。
それでもいいかもしれない。
死んで、それで終わるのだとしたら。
私が危惧しているのは、死んでも終わらないことだ。
たとえば、私と沙希のどちらがよりマシな地獄に逝くか。どちらがより高度な生き物に生まれ変わるか。そんなことですら、沙希は私に張り合ってくるのではないか。
そして、仮にまた人間に生まれ変わったとして、きょうだいとか友人とか近しい間柄に生まれたら――生まれ変わっても何かしら縁の深い間柄となることは、往々にしてあるらしい――また、同じような人間関係に追い込まれるのではないか。
こんな想像は荒唐無稽というほかないが、毎晩私の身に起こっていることが十分すぎるほどに荒唐無稽なのだし、相手はあの沙希なのだから、どこまでも、いつまでも「勝ち」か「負け」かに拘って絡みついてくる可能性は十分にあるのではないか――いや、そうなるだろう、と私は確信に近い考えを抱いている。
きっと、私が死んであげたとしても意味がないのだ。ならば、何も死にたくもないのにみっともない方法、苦しい方法を選んで自殺する必要なんかない。いずれ寿命が来るか、それとも近いうちに沙希に取り殺されるか。どちらが先になるかわからないが、私はその運命に身を任せるしかない。
沙希が私より「よい」死に方をして私に「勝った」と思えていれば――最期に「勝って」終われていれば――それで満足して、私たちのどうしようもない関係は終わりを告げていたかもしれないが、実際のところ、沙希は違法行為を手伝わされた末に、若くして惨たらしく死んだ。その事実が変わらない以上、沙希が私にもせめて一日も早く死ねと迫ってくる現状も変わらないし、どうやっても沙希よりひどい死に方はできそうにない以上、死んだ後も沙希が一方的に挑んでくる「勝負」は終わらないのだろう。
ならばせめて一日も長く生きよう。
簡単には沙希の思い通りにはならないと身をもって示すために。
そして――私の大事な家族、諒太をひとりにしないために。
沙希は私に負けたくない 金糸雀 @canary16_sing
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