あの子に会わせてください

塚内 想

あの子に会わせてください

 生活安全課係長、石本いしもと真吾しんごは受話器をとったことを後悔していた。

「石本係長に在原ありはらさんという方から面会です」

 ついに来たかと石本は思った。

「こっちに通してくれ」

 ため息交じりに受話器の向こうの受付に告げると静かに受話器を本体に置いた。

 在原が生活安全課ここまで上がってくるのに二、三分はかかるだろう。その間に資料にザッと目を通しておくか。そう考えたが頭を振って否定する。むしろ、なにも知らないほうがいい気がする。下手に頭の中に入れてしまうとひょんなことで在原にバレてしまうかもしれないからだ。

 在原の同僚が言っていた言葉を思い出す。

「教授は執着が強いですからね」

 ここに来るということは諦めてないんだろう。児相にも行ったと報告があった。ここで諦めさせることができなければ、どんな手を使ってくるかわからない。

「気を引き締めていかねえとな」

 石本は両の手で頬をパチンと叩くと「よっしゃ!」の掛け声とともに取調室に向かった。生安の同僚たちは、そんな石本の行動を気にせずに書類仕事に集中していた。


「ご無沙汰してます。在原さん」

 石本は目の前に座った在原に向かってにこやかに声をかける。在原は憮然とした面持ちで取調室のパイプ椅子に腰掛けている。

「どうして、こんなところに通されたんですか」

 慣れてるでしょう。と出かかった言葉を飲み込んだ。さすがに今、心証を悪くするのは得策ではない。

「すみません、こんなところしか空いてなくて」

 笑顔を崩さずに答える。答えながら在原を観察する。

 在原英太郎えいたろう。たしか六十歳だったと記憶している。石本よりも十八歳ほど年上だが目の前の男はそれ以上に年を食っていると感じた。県下の大学で研究をしていたが、石本たち生安の捜査によって逮捕された。あれから一年ほどしか経っていないはずだが、髪は白く薄くなっているし、顔にもシワがずいぶんついたなと思った。

「今日はどういった、ご用件でしょうか」

 せいぜい愛想よく振る舞ったつもりだが、いかんせん厳つい顔の警察官だ。どんな風に思われているかわかったものではない。

「……」

「……在原さん?」

 在原はなにを考えているのか黙ったまま動かない。しばらくその状態が続き、業を煮やした石本が再度、在原に問いかける。

「在原さん、なんでも言ってください。相談には乗りますから」

 余計なことを言ったかもしれないと思った。その言葉に反応するかのように在原が口を開いた。

「……あの子に会わせてください」


「それはできません」

 在原の言葉に即答した。最初から決めていた言葉だから、すんなりと出た。

「どうしてですか?」

 在原は石本がおかしなことを言っているかのように責め立てる。

「今、相談に乗ると言ったばかりじゃないですか。私がお願いしたいのは、あの子に会いたいということだけです。刑事さんだってわかっているんでしょう」

 在原の言葉を聞きながら表情には出さずに、ため息を吐く。

「在原さん。あなたは裁判所から警告が出されたはずです。そのあなたに所在を教えるわけにはいきません」

「裁判官は、なにもわかってない!」

 石本の言葉を遮って在原は怒りをあらわにする。

「私には、あの子に対する責任があるんです。私は、あの子の生みの親でもある。それなのに会うことすら禁じるなんてナンセンスです」

 先程までのボソボソとした喋りとは打って変わって饒舌になった。

「私はあの子に傷一つつけたことはない。それなのにまるで虐待親のように扱われるなんて、おかしいとは思いませんか」

 石本に対して熱弁を振るう。この人は大学でもこんな風に教鞭をとっていたのかと関係ないことを考えてしまう。

「……在原さん。あなたは実刑判決こそ出ていないが執行猶予中の身です。そのあなたが、そんな風に裁判所からの警告を無視するような言動をすることは許されません。それこそ刑務所行きです」

 できる限り穏やかに諭す。

「今回は聞かなかったことにしますから、おとなしくお帰りください」

「……私は……なにも間違っていない」

 またボソボソとした喋り方に戻る。石本は軽くため息をついて穏やかな口調を変えないように注意しながら語りかける。

「在原さん、たしかにあなたにはあの子に対する責任があると思います。だからこそ、あの子の幸せになることを第一に考えてほしいんです。

「今、あの子は平穏に暮らしていますし法務局が戸籍をつくるために動いてくれています。簡単にいく話ではありませんが、あの子の周囲にいる大人たちが、あの子に幸せになってもらうために頑張ってくれています。在原さんがどうにかしなくても大丈夫なんですよ」

「私の許可なしでどうして戸籍を作るんですか?」

 在原の発言に石本は驚いた。

「この日本で無戸籍の人がどれだけ苦労されてると思ってるんですか?今回の件は異例のことです。それだけ、あの子に対して国は関心を示しているんです」

「国はあの子を自分たちのものにしたいだけなんだ」

 石本は在原が、こちらの話を聞いているのか聞いていないのか、わからなくなってきたなと感じた。

「あの子だけではありません。あなたの罪状は本来なら十年の実刑でもおかしくなかったんです。それを執行猶予五年なんて温情判決もいいところですよ」

「だけど、私からあの子を奪った」

 これでは堂々巡りだ。石本はもうわかってもらうことは諦めた。

「とにかく、あの子の所在を探ろうとされても無駄ですよ。あの子がどこにいるか私も知らされていません。児相の職員も知らされていないはずです。たらい回しと言ってしまえば聞こえは悪いですが、そうやってあちらこちらに移っていくことで必要最小限の人にしか、あの子の居所はわからないようになっています。今、あの子を預かっているところと、その直前に預かっていた施設くらいしか知らないでしょう。どれだけ探しても無駄です」

 厳しい口調で告げる。わかってもらうことではなくて、その努力は無駄であると理解してもらうしかない。

 長い沈黙が取調室に流れる。在原は頭の中で石本が言ったことを咀嚼そしゃくしているのだろう。石本は待った。職業柄、待つことには慣れてる。

 やがて……在原が口を開く。

「わかりました」

「わかっていただけましたか」

 石本は破顔する。

「あの子のことは諦めます。……なにも、あの子にこだわることはなかったんだ。……私にはそれだけのことができるんだから」

 在原の言葉に、石本は嫌な予感がした。

「まさかとおもいますが在原さん。また罪を犯すつもりじゃありませんよね?」

 在原は問いかけてる石本を見つめると薄く微笑んだ。

「罪なんか犯したことはありませんよ。単なるいち研究者の探究心でしかありません」

 そう言うと立ち上がった。そして、なにも言わずに取調室のドアを勝手に開けて出ていった。

 取り残された石本は

「あいつ、またやらかす気だな」

 そう確信した。


 生安に戻った石本は地域課に在原の周囲のパトロール強化を依頼するメモを送った。

 今度は研究が成功する前にとっ捕まえてやる。そうしないと、あの子のような子がまた増えることになるのだから。


 ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律

 第三条(禁止行為)

 何人も、人クローン胚、ヒト動物交雑胚、ヒト性融合胚又はヒト性集合胚を人又は動物の胎内に移植してはならない。

 第十六条(罰則) 

 第三条の規定に違反した者は、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。


 在原英太郎は現在、この法律で逮捕された唯一の人物である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの子に会わせてください 塚内 想 @kurokimasahito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ