第4話『多宝塔』


 お昼も近づき込み合ってきた大聖院を後にして、あせび歩道を歩き多宝塔へと向かう事にした。


 私は大聖院の長い石段を先程クロノが言ったことを思い返しながら下った。


 ――思い当たる節はある……。


 〝感動を伝えたい……〟カメラの広告などで良く目にする言葉だが、プロのカメラマンであればこれは嘘である。プロと言うのは精密機械である。感動をしている暇があればシャッターを押す。それがプロと言う物だ。

 アングル・露出・ハレーション・ぼかし具合にソフトの有無、アンダー・オーバーにライティング――寸刻の為に考える事は沢山ある。表現の為にしなけらばいけない事が沢山ある。一瞬を切り取る為に全力を尽くす。

 私も今の写真館に来る前、東京に居た頃は……いや、今は違うか……。


 長い石段を下り切って仁王門を潜る。そこからすぐ左手側に小道を上がって行くのがあせび歩道である。

 歩道の入り口の脇にある公園と空き地に多くの鹿が集まっているのが見渡せる。

 私は小さなお尻をフリフリ歩く黒い子猫に付いて行く。山の陰になっているせいでこの辺りは日当たりが悪い。

 細い登り道を落ち葉を踏みしめ歩いた。


「なあ、クロノ。先ほど言ってた話なんだが……。私はそんなに変に見えていたのかい」

「ん? いや別に、普通だな。外見は普通に真面目に写真を撮っていたように見えたな。だた……」

 私は落ち葉の積もった小路をゆっくりと歩きながらクロノの言葉を待つ。


「……最初に言ったろ〝やけに熱心に写真を撮ってるな〟って」

「うん」

「あまりに熱心過ぎて、お前の心が見えなかったんだ」

「心が見える?」

「ああ、知らないのか? 猫と言うのは人の心を映す生き物なんだぞ。だからお前があの光景の中で、機械の様に写真を撮っているのが面白かったんだ」

「そうなんだ」

「ああ、そうだよ……」


 クロノが突然駆け出した。そして小路の少し先で立ち止まりこっちらへ振り向く。

「だから少し肩の力を抜け、美宏。機械のままでは駄目だろ。お前はその生きた目でもっと色々見なくてはいけない、だろ」

「うん、そうだね」

 そう言って再びクロノが駆け出す。

 その道の先に眩く煌めく陽だまりが見えてきた――。


 朱色に塗られた二重の塔。厳島神社の裏手の小高い丘に建てられた重要文化財の〝多宝塔〟が見えて来る。


 戦国時代の一五二三年に僧である周歓によって建立されたこの仏塔は、明治時代の神仏分離令によって厳島神社の管理へ移された。現在ここへ安置されていた薬師如来像は厳島神社の隣にある大願寺へ安置されている。


 今ここには私達以外は誰もいない。実はこの場所は厳島神社の裏口から石段を上がってすぐで、宮島内でも一位二位を争うほどのビューポイントなのだが、通常の観光コースに含まれていないせいでほとんど観光客が訪れない。


 ここから見下ろす厳島神社は背景に千畳閣と五重塔を従えて、まるで平安絵巻の様にも見える。

 私はカメラを取り出しレンズを55㎜・絞りF16・シャッタスピード1/125で撮影した。

 その後、少し山手に入り多宝塔越しの大鳥居を撮影する。桜の季節であれば満開の桜に浮かぶ多宝塔と大鳥居の撮影も出来るのだが、今の季節は枯葉なので物悲しい写真になってしまった。


「ふぃ~、気持ちいい」気が付くとクロノが多宝塔の下の陽だまりに座り丸くなっていた。

 私はカメラをバッグに仕舞い横へと腰かける。「ふう、疲れた」

「それで、これからどうするんだ」気持ちよさげに目をつぶったままのクロノが尋ねて来る。

「うーん、本当はこのまま大元公園に抜けるつもりだったけど、どうやら向こうはまだ紅葉が色付いて無いみたいだから、このまま清盛茶屋に降りてお昼にしようか」

「おう、いいなそれ……お、何だ」

 私はクロノの身体を優しく抱きかかえてカメラバッグの上に鎮座させた。


「よいしょっと」そのバッグをクロノを乗せたまま抱え上げる。

「ふふん、楽ちんだ」

「さあ、行こうか」


 私はバッグを抱え陽だまりの道を海へと向けて歩み出す。

 海に浮かぶ大鳥居。その向こうにはゆっくりと海峡を渡るフェリーが見える。

 穏やかな秋の日差しの中、静かな時間が流れている。

 落ち葉で紅に染まる小路を一歩づつ踏みしめる。


 その時、一陣の風が吹きつけて紅葉の葉が舞い散った。


 私は思わず目をつぶる。

 これから冬へと向かうその風は、僅かに潮の香がした……。





 くれないもみじ ~寸刻の為のキエチーフ~ Fin



 〇ハレーション:レンズに直接強い光が入り白くぼけてしまう事を言います。レンズフードや黒い板でレンズに入る光を遮る事をハレ切りと言います。

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くれないもみじ ~寸刻の為のキエチーフ~ 永遠こころ @towakokoro

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